もうすぐ令和元年が終わろうとしてますね。
この年が移り変わる中の騒々しさは
なんとなく風情があって好きです。
年が変わる前にと
2019年の振り返りをしています。
私にとって、2019年は大きく流れが変わる節目の年でした。
普段は冷静な自分の、感情がとっても動いたし、
苦しい年でもありました。
娘が幼稚園を卒園し、小学生になり
1人で学校まで登校するようになりました。
今だに朝は一緒に途中まで
でかけていますが、
朝に友達と会ったら
嬉しそうに友達の方に行きます。
親としては寂しいかもしれないけど、
楽しそうにしているのを見るのは嬉しいですね♪
あとどれくらいこれが続くのだろう?
そう思いながら
今しかない瞬間を大切にしています。
しかし良い状況は続きませんでした。
GW明けの5月末に父親が脳出血で倒れて
状況が一変するのです。
仕事も忙しいなか、
刻々と変わる容態の中で
日々判断を迫られる毎日。
いきなり介護が始まり
それが要介護1からではなく、
いきなり要介護5からのスタート。
認知症も進み、
どんどん選択肢がなくなっていき
悔しかったし、つらかったです。
受け止めるのに時間がかかったし、
同じような事例がないので、ネットで検索しても
出てこない。途方にくれました。
でも時間は過ぎていくので待ってはくれません。
医療と介護の連携のなさをすごく感じました。
医療って治すだけでいいのか?と。
動いての骨折が怖くて身体拘束をする病院
は絶対おすすめしません。
病院側にも事情はあるかもしれませんが、
そんなのは理由にはなりません。
仕事も忙しい時期で土日もなく
疲れ切っている中である決断をしました。
1ヶ月介護休職をすることを決めたのです。
休職までの間もいろいろありました。
試行錯誤し、
父の年賀状リストを作成、
年賀状の交流がある人かつ
携帯に登録している人に少しずつ連絡してきました。
それでも8月には症状がどんどん悪化し、
今お世話になっている
介護保健施設がさじを投げ、
電話が来て絶望的にもなりました。
ちょうど娘の七五三の写真の前撮りをしている日でした。
「もうこちらでは面倒を見れません」
と言われた日はどん底。
でもその後1週間以内に元会社の同僚が見舞いに何人がきてくれて
症状の悪化っが止まったのです。
奇跡がおきました。
きっと親しくしている人が来てくれたので
父親は頑張らなくてはと思ったのでしょう。
あのとき施設から
「症状が良くなったので、
こちらで面倒を見させていただきます」
と電話があり、
夜のご飯をある中華店で
泣きながら食べたのは忘れられません。
復帰してからも
なるべく自分以外の人が父を見舞いに来てくれるよう定期的にメールを送ったり、
葉書を見た人が訪問してくれたのを
施設の人に聞いたり、
施設での記録を確認したり
してなんとか
状態は安定しほっとしています。
そして仕事以外の活動も
昨年からボランティアを始め、
継続してコミュニティに関わっています。
またいくつかの場に参加したり、
ゆるく長く付き合える場を育てることもできてきています。
やっぱり今年1年を振り返り
教えられたのが、
この「父の介護」という辛い事実がありましたが、
そのおかげで
人とのつながりを
育てることができるようなった
と感じています。
これが一番の収穫であり
来年飛躍できる土台がそろってきたと思っています。
関わってくれた方
来年もよろしくお願いいたします。
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