京阪5000系が誕生して50年が経った.
日本初の5扉車であり,今でも現役で走っている日本最後の多扉車である.
5扉車として運用されるのはラッシュ時のみ,それ以外は2扉を閉鎖して3扉車としても使用できるユニークな車両だ.
開発経緯は,簡単に言ってしまえば,“ラッシュ時の乗降時間増大による遅延をなくすため”.
高度経済成長期,京阪線沿線は宅地化が進行し,沿線人口も急増したらしい.
当時の京阪は,京都市電や大阪市電と平面交差する関係で,架線電圧が600V,ゆえに,7両編成までしか繋げられない,という時代.
今では1500Vに昇圧され,8両編成も可能となったが,当時はそれができなかったんだなぁ・・・.
8両繋げられないから7両のままで何とか乗降時間を短縮できないか,と考えて辿り着いたのが5扉車っていうね(笑)
誕生から50年,時代は変わった.
5扉車にとって最大の敵,ホームドアの普及である.
5000系は3扉車運用時でも他の車両と扉の位置が異なるため,ホームドアに対応するのが難しい.
京橋駅にホームドアが設置されるに伴い,今月29日で,5000系は5扉車としての運用を終えることになった.
“次々発 7:41 通勤準急 大阪淀屋橋 5扉”
の表示が見られるのも最後なのだ.
50周年記念のスタンプラリーをしてきた.
5000系とコロナを一緒にしないでと思っちゃうオイラ.
マスクケースならA4サイズが入るクリアファイルの方がいいなーってね(笑)
首都圏でも多扉車は走っていたよなぁ.
山手線にも6扉車があったし.
最初知ったときは,どんだけドアがあるんだ!と思ったが,思った以上に短命だった.
多扉車が引退する理由はほとんどがホームドアだという.
京阪幹部も,「50年前にホームドアの想定はしていなかった」と言っている.
そりゃそうだよ・・・.
時代のニーズに合わせて誕生し,時代の流れには逆らえず引退する多扉車.
なんか切ないねぇ.
今後は3扉車としてしか運用されない5000系.
誕生から50年経っているので,3扉車として運用後も,そう遠くないうちに廃車になるかも.
大好きな5000系,どうか素敵なセカンドライフを送ってほしい.