岩瀬昇のエネルギーブログ:#931 再び問う、50周年を祝ったIEAの役割とは何か? | 岩瀬昇のエネルギーブログ

岩瀬昇のエネルギーブログ

エネルギー関連のトピックス等の解説を通じ、エネルギー問題の理解に役立つ情報を提供します。

 IEA(国際エネルギー機関)の役割とは何か?

 

 オイルショックを機に1974年にOECD(経済協力開発機構)傘下の組織として設立されたIEAがパリで50周年を祝っていた2月中旬、本件に関する議論がアメリカで沸き起こっていた。

 

 これらも踏まえ筆者は、本欄に『#929 50才を迎えたIEAの任務は?』(2024年3月5日、*1)を投稿し、

 

〈今一度、IEAの任務を再考すべきではないだろうか〉

 

と結んだ。

 

米エネルギー業界論客の議論

 

 2月中旬のアメリカにおける議論とは、ボブ・マクナリーとジェイソン・ボルドフによるやり取りに代表されるものだ。

 

 G.W.ブッシュ大統領(息子)のエネルギー特別補佐官を務めた経歴を持つボブ・マクナリーは2月12日、ウオール・ストリート・ジャーナル紙に「エネルギー安全保障のために設立されたIEAは、いまや気候問題に夢中になっている」とIEAを批判する論考(Op-ed)を寄稿した

 これに対し稀代の環境エネルギー問題論客であるジェイソン・ボルドフが2月15日、「時代の変遷に伴い、気候変動も重要なエネルギー安全保障問題になっているので当然だ」とLinkdInでIEAを擁護する論陣を張った。

 その後、両人はさらにそれぞれの主張をLinkdInに発表する形で議論を深めた。

 

出所:2022年10月に開催された第9回北米会議の案内状

 

 ボブ・マクナリーは『Crude Volatility』 (2017年、コロンビア大学出版。未翻訳)の名著でも知られている。本書は「The history and future of boom-bust oil prices」とのサブタイトルが付いている通り、米国石油産業の歴史と未来を考察したものだ。邦訳されていないのが残念な1冊である。

 現在はラビダン・エナジーグループの代表を務めており、CGESの客員フェローでもある。

 

 一方のジェイソン・ボルドフは、2013年に創設したコロンビア大学エネルギー政策センター(CGES)代表を務め、2021年以降は同大学の気候大学共同創設者代表も務めている御仁だ。

 

 両者が関連していることもありCGESが3月22日、両人の寄稿文をまとめて公開している(「Recapping (respectful) dialogue about IEA analysis」、*2)。

 お時間のある方はぜひご一読願いたい。

 

IEA事務局長への公開書簡

 

 共和党の要人は3月20日、ファテイ・ビロル事務局長宛に「IEAは本来の任務から逸脱しているのではないか」との公開書簡を送り、タイムリーな回答を要求した。事態は業界における議論から政治問題化したといえる(*3)。

 

 但し、バイデン政権のエネルギー政策を批判している側面もあり、留意して読む必要がある。

 

 

 当該書簡は、上院エネルギー天然資源委員会少数党筆頭委員のジョン・バラッソと下院エネルギー商務委員会委員長のキャロル・マクモリス・ロジズの連名で出されている。6ページにわたりIEAが抱えている諸問題を提起しているおり、全貌をまとめることは筆者の能力を超えている。

 ご興味のある方はぜひ自ら目を通していただきたい。

 

 だが、筆者の興味関心にしたがい前文の要点を次のように紹介しておこう。

 

・IEAはエネルギー安全保障を推進するという本来の目的から逸脱しているとの懸念から、本書簡を書いている。

・最近のIEAはエネルギー投資を止めるように説き、エネルギー移行のチアリーダーとなっており、本来の責任を果たしていない。

・仏マクロン大統領は最近、「IEAはパリ協定実現のための武装勢力となっている」と述べていたが、正しい指摘だ。

・IEAが2021年5月に発表した「2050年ネットゼロ工程表」も、最近の「世界エネルギー予測(WEO)」もバックキャステイング思考方法に基づくもので、長期的には十分に野心的なものだが、政策決定者にとって重要な短期的な観点が欠如している。

・このようにバイアスのかかったIEAの予測を基に、元IEA副局長で現在、米エネルギー省の副長官を務めているデービッド・タークは先月、LNGプロジェクトの許認可プロセスを当分のあいだ中断するというバイデン政権の決定を正当化した。

・米エネルギー情報局(EIA)、日本のエネルギー経済研究所(IEE)、BP、エクソンやOPECなど主要機関が、世界のガス需要は2020年から2050年までに20~47%増加すると見ているのに対しIEAは、STEPS(公表政策シナリオ)では4%の増加、APS(表明公約シナリオ)では40%減少すると予測している。

・IEAは長い間ベースケースとしていたCPS(現行政策シナリオ)の作成公表を止めたが、その理由を明らかにしていない。説明してほしい。

 

 最後の2項目について、若干解説を加えておこう。

 

 IEAが2021年5月に発表した「2050年ネットゼロ工程表」には、各国政府が公表している政策を100%実行できるとした場合のSTEPS(公表政策シナリオ)と、各国政府が国際公約として表明しているがまだ正式決定はしていない政策に基づくAPS(表明公約シナリオ)に加え、2050年排出ネットゼロ実現のためには必要だとするNZE(ネットゼロシナリオ)の3つのシナリオが記載されている。

 2050年のガス需要予測(2020年対比)については前述の通り、STEPSで+4%、APSでは▲40%であるのに対し、NZEでは▲55%としている(以上については、たとえば弊論考『IEA「2050年排出ネットゼロ工程表」の衝撃的内容』2021年5月24日参照、*4)。

 

 これを主要機関の予測と対比してまとめると、次のようなものとなっている。

 

 2050年のガス需要予測(2020年対比)

 EIA、IEE等主要機関  +20~47%

 IEA 公表政策委シナリオ  +4%

    表明公約シナリオ  ▲40%

    ネットゼロシナリオ  ▲55%

 

 そして当該書簡が作成公表を中止した理由開示を求めているCPS(現行政策シナリオ)とは、IEAが毎年公表しているWEO(世界エネルギー予測)の中で、2019年までベースケースとして記載していたものだ。

 CPSは、各国政府が現実に実行している政策に基づくシナリオであり、STEPSより格段に保守的、現実的なものである。

 

 IEAがベースシナリオとしているSTEPSには、世論の支持が得られない場合とか、予算を確保できないなどの理由により実行されないリスクが含まれている。したがって、ベースケースとしては相応しくない、というのが当該書簡の主張である。

 

 なお、本書簡にはこのような本質的議論に加え、①これまで米国はIEAに毎年どの程度の拠出をしているのか、②全体に占めるシェアは、③IEAの支出明細を各年ごとに示してほしい、あるいは④データ/資料をEIAのように無料で公開してほしい、等の要請も含まれている。

 

 果たしてIEAはどのような回答を示すのだろうか、注目されるところである。

 

世界の現状

 

 これらの現状を俯瞰してフィナンシャル・タイムズ(FT)は3月23日、『膨大な利益を上げている石油企業幹部たちは急激なグリーンエネルギーへの移行を見下して見せた』という記事を掲載した。先週、ヒューストンで開催されたCERAWeekと呼ばれる業界コンフェランスで「気候変動で新たな警告がなされているものの石油企業幹部たちは、大いに勇気づけられた」とのサブタイトルが付いている記事である(*5)。

 

 たしかに昨年末に行われたCOP28で世界のリーダーたちは「化石燃料からの移行」や「2030年までに再エネ3倍増」を誓約した。

 また国際気候機関は今週、2030年は歴史上、最も暑い年だったと発表し、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のトップもまた、世界はいま「未知の領域」に足を踏み入れていると警告している。

 

 だが、このような動きがあるにも拘わらず、エネルギー企業の幹部たちは意気軒高だった、というのである。

 

 振り返れば、これまで脱炭素化を急いでいたシェルもBPも、その動きを減速している。英国政府も然りだ。

 

 このように脱炭素化=エネルギー移行は、環境派が望むようなスピードでは進んでいない。

 

 なぜだろうか?

 

IEAはMore Energy Less Carbonの同時解決を目指すべき

 

 現在エネルギー業界が、いや全人類が直面している最重要課題はMore Energy Less Carbon(より多くのエネルギーを、より少ないCO2排出で供給する)という、相対立する二大課題の同時解決だ。

 これが筆者の基本認識である。

 

 これまで環境派はLess Carbonだけを主張してきた。

 2100年の地球温度上昇を産業革命前対比1.5℃以下に抑えるというパリ協定の目標を金科玉条としているのである。

 そしてこの目標達成のために、2050年排出ネットゼロ実現が絶対必要だ、との立場である。

 

 すべてはここから始まっている。

 IEAは「エネルギー移行のチアリーダー」として、Less Carbonを主導しているのだ。

 

 だが、IEAが指摘しているように、現在でも電気を使えない人が7億人も、厨房で健康に害を与えないきれいな燃料を使用できない人が20億人もいるのが現実だ。

 このエネルギー貧困を解消することもIEAの任務ではないだろうか。

 

 IEAのお墨付きを得て元気づいている環境派は、脱炭素化=エネルギー移行によりエネルギーコストは高騰するが、それは受容すべきだ、と主張してきた。あたかもエネルギー貧困者のみならず、意識の低い人々はこの冷徹な事実に気が付いていなのだ、と言わんばかりの主張である。

 

 たとえば、本欄『#777 「脱炭素化」エネルギー高価格は当然なのか』(2021年10月10日、*6)で紹介したように欧州の知識人や、『#879 「脱炭素化」エネルギー価格高騰は当然なのか、再考』(2023年2月20日、*7)で示した「FT」社説がその代表だ。

 

 筆者はこの主張にはまったく賛成できない。

 

 そもそも脱炭素化=エネルギー移行で目指しているのは、人類が幸福に暮らせる未来の実現だ。温暖化が進行すると、海面の上昇や異常気象の激発などにより、人類は過酷な居住環境に追い込まれてしまう。それを避けよう、ということだ。

 

 だが、未来の幸福のために、現在不幸になってもいいという主張には正当性がないのではないだろうか。

 

 またLess Carbon実現のため、IEAや環境派は化石燃料の供給を減らすことに注力している。

 だが、この動きだけでは不十分だ。なぜなら、減少した化石燃料に代替しうるクリーンエネルギーの供給が、affordable(無理なく支払える価格で)かつreliableな(これまでと同様、間違いなく供給される)形でなされなければならないからだ。

 つまり、More EnergyもまたLess Carbonと同じように、脱炭素=エネルギー移行の目標として掲げなければならないのだ。

 IEAの「2050年排出ネットゼロ工程表」では、2050年のエネルギー消費は現状より数%減少するシナリオを描いている。人口も世界の経済規模も40%程度拡大することを前提にしているにもかかわらずだ。

 

 

 道筋の見えていないエネルギー使用の効率化=エネルギーGDP強度の劇的改善に賭けているのだ。

 

 前述したFT記事の中に、電力多消費のAIデータセンターの拡大、人口増や急激な電化などによりエネルギー需要は増加し続けているが、消費者は、風力や太陽光への急激な以降に伴う高コストを払うことを良しとしていない、このことが再エネ拡大のネックになっているとのエネルギー業界幹部の発言が紹介されている。

 

 筆者はこの言葉こそが、これまでIEAが提唱してきた脱炭素化=エネルギー移行は、実は消費者を置いてきぼりにしていることの表れだと判断している。

 

 欧州知識人やFT社説が主張している、脱炭素化はエネルギー価格高騰が前提になっているのだから、消費者は我慢しなければならないとの考え方に、筆者は同意できない。

 

 脱炭素化=エネルギー移行を目指す動きは重要だ。

 だが、100年以上かけて築き上げてきた化石燃料を中心とした現行エネルギーシステムを、クリーンエネルギー中心のシステムに転換するには、これまた100年かかることを覚悟すべきなのだ。それでもMore Energy Less Carbonを同時達成するために、英知を絞って立ち向かっていかなければならないのではないだろうか。

 

 IEAは、エネルギー移行のチアリーダーであると同時に、エネルギー安全保障の守護神たるべきではないだろうか。

 

 そのためには、2100年における地球気温上昇を産業革命前対比+1.5℃以下に抑制する、という目標が、本当に人類を幸せにする未来なのか、2050年排出ネットゼロ実現はけっして崩してはならない道標なのか、IEAは再検討すべきなのではないだろうか。

 

 

出所:JCCCA

 

 添付した図は2019年のCO2排出量を示したものだが、IEAの最新報告(*8)によると2023年の排出量は約374億トンだった。

 国別詳細は読み取れないが、前年対比先進国は▲5.29億トン、▲4.5%だったが、中国は+5.65億トン、インドは+1.9億トンだったとある。したがって、傾向値としては次のように述べても間違いではないであろう。

 

 すなわち、先進国は2050年を排出ネットゼロの目標年としているが、(2019年)29.5%の中国と4.9%のロシアは2060年、6.9%のインドは2070年を目標としている。つまり、世界のCO2の41.3%を輩出している国々は「2050年」を目標年とはしていないのだ。

 また、もし今秋の大統領選でトランプ前大統領の返り咲きが実現すると、間違いなく再びパリ協定から脱退する。

 前述した3か国に米国を加えると、世界の55.4%が2050年排出ネットゼロを目標年とはしないことになるのだ。

 

 これが世界の現実である。

 

 したがってIEAは、2050年排出ネットゼロ実現を金科玉条とするのではなく、エネルギー安全保障確保という本来の目標をも右手にしっかりと握りしめて、More Energy Less Carbonの同時達成に尽力する必要があるのではないだろうか。

 

*1  岩瀬昇のエネルギーブログ#929 50才を迎えたIEAの任務は? | 岩瀬昇のエネルギーブログ (ameblo.jp)

*2 Recapping a (Respectful) Dialogue About IEA Analysis - Center on Global Energy Policy at Columbia University SIPA | CGEP

*3  8E2BA8FC-08F5-432F-A579-0BE6EEAE81C4 (senate.gov)

*4  IEA「2050年排出ネットゼロ」工程表の衝撃的内容:岩瀬昇 | 岩瀬昇のエネルギー通信 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト (fsight.jp)

*5 Oil executives talk down rapid shift to green energy as profits boom

*6 #777「脱炭素化」エネルギー高価格は当然なのか | 岩瀬昇のエネルギーブログ (ameblo.jp)

*7 #879「脱炭素化」エネルギー価格高騰は当然なのか、再考 | 岩瀬昇のエネルギーブログ (ameblo.jp)

*8 CO2 Emissions in 2023 – Analysis - IEA