私がナレーターになるまで(①幼少期編) | ナレーター☆影アナウンス☆ボイストレーナー☆音声制作の森沢 幸ブログ

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私がナレーターになるまで

ざっくり記録です。

 

今回は、生まれから小学校までのお話です。

下矢印

神奈川県横浜市で生まれる。

駅から徒歩20分以上も歩く走る人

坂道だらけの住宅街で幼少期を過ごす。

スーパーもコンビニもマックも

近くに無い、すんごく不便なところに

住んでいました。

「もっと便利なところに住みたーい」えーん

と幼いながらも思っていましたね。

下矢印

北海道で引き馬に乗ったのがきっかけで

馬大好き恋の矢になる。

この写真は多分、初めて引き馬を体験した時の

ものだと思います。

それを父がテレホンカードにしてくれました。

(テレホンカード!懐かしい!!)

 

「こういうのは使わないでとっておくものよ」

と母に言われたのですが、

私は速攻使っていましたね。

だって500円ですよ?

使わなかったら勿体ナイですよね。うんうん。

 

当時の将来の夢は

馬おウマしゃんとずっといっしょにいる馬

下矢印

小学校4年生で乗馬クラブに入会。

 

休みの日は、ほとんど乗馬クラブに通い

大会とかも出ていましたね。

勉強もせず、ずっと馬と一緒にいました。

当時の夢は、

馬競馬の騎手馬になる。

 

ちなみにエレクトーンも習っていました。

(あまり真面目にやっていなかったけれど)

音楽好きはここから始まっています。

幼少期のお習い事は一生の宝デス宝石赤宝石ブルー

下矢印

幼少期は結構、痩せ型だったのですが

思春期にさしかかるにつれて

好きなものを好きなだけガツガツ食べ

ガッツリ成長豚豚豚

夜中の読書て視力はダダ下がり

身長も規定よりちょっと高く

競馬の騎手を断念えーん

 

昔の騎手規定と今はもしかしたら違うかも

しれませんが、私の時代はかなり厳しかった

ように記憶しています。

 

しかし、時は声優ブーム

 

たまたまTVを見ていて、

私は知ってしまったのです。

「声優」という職業を・・・

 

ここから長くなりそうなので、次回に続く。

 

➡︎私がナレーターになるまで(①幼少期編➡︎②学生期編➡︎③養成所編➡︎④なったぞ編

 

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