今までは自分の外側に意識を向けることが興味がないで済まして気遣うことも無かったから猫さんは全部出来るんですよね。
自分の基準を求めないで。って言われることが多々ありました。
ゲームでもリアルでも。何処でも
最近、甘えっていうんですかね。今まで一般人だったのが障害者申請をして、障害者になって、でもなったからとは言え、変わらないんですよね。自分の事をその制度の事を知らないから覚えなきゃいけなくて、どの世界も反復練習なんだなってその時に思ってしまって。
なんだか。黄昏れたいとかぼーっとしたい気分でずっと過ごしてきたなって。少し自分の人生が残念に思えちゃって
なら、まず知らない事を受け入れるようにしようって思ったんですよね。
まず、自分自身が一番興味が無かった他者へのこだわりや認知から始めることにしたんですよね。
家族の年齢がどうだとか、仕事はどんな事をしていてどれだけ凄いとか偉いとか社会性っていうんですかね。
一切興味が湧かなかったんです。でも知れば知るほど自分が手放してきた物が多くて逃げていた事が明るみに出るのは怖かったですよ。
まあ。保険みたいにいつも「まあ」だとか「大丈夫」とかで自己防衛?してるのが、自分的にも嫌になっていますが許してください「いや誰に?」
知ろうとしなかったから普通あるべきものがないから衝突が起きてそれを周囲は自分勝手や自己中で済ましたけどよく考えたらまず無理な話で。
知らない人と繋がる知らない人と簡単に繋がれるからこそ、できた弊害だとおもっています。今は
まあ。言葉を飾っている。綺麗事を言っているように思えますかね。
ずっと自分の事を俯瞰的や客観視しか出来ないんですよね。いややろうとしなかっただけなのかもしれないっすけど。
自分はやればできるって言葉嫌いなんですよね。やればできるのにやらないじゃなくてやってもできないからやれないなので。最初からやったらできるんであったら何でも自分で解決できて人なんかいらないですもん。
自分には、まずこれをしようとかあれをしようっていう目標が基本ないんです。
とりあえず、これしてみたいっていうのから始まって常に考えて効率的に出来たらそれでいいな。って例えば、配信とかライブとかでいうと自分にできるチャレンジというか身の回りの物に向けた歴史とか実際生きていていらないかもしれないじゃないですか?ただの趣味として片付けるか。知っていても損はないけれどそこまで詳しく知らないもの。服だって何気なく最初から着ていて、人間だから着ているのではなく羞恥という事を隠すから、体温を下げないようにするからというように様々な意味があるじゃないですか。
それを深く考えていなかったな?っていまさらおもったんですよ。
今まで流れるように生きていたんですよ。何故っていう問いをせずにそういう歴史だからそういう時代だからっていう意味や言葉で片づけていたんです。だって家族はいたかもだけどずっとソロプレイ状態だったから。
自分の存在の前提。なぜ自分はここにいるのか、呼吸をしているのか。なぜ生きているのか。そもそもどういうものなのか
考えてなかったんです。それをしたら考える時間がないとかそんなことを考えている暇なんて社会人にも小学生にもそうそこまで深く考える人はあまりいないから。
考えたところで、結果は十人十色だし、無限の回答があるからそもそも回答しないっていうのもあるから。
その答えが出たところで悩んだっていう答えは過程は出るけど何も変わらず結局人は死ぬ。それでも知りたいっていう興味を放棄していたからいつからか、考えるっていう大事なことを辞めていたから。楽しくないとか悲しいとかっていう感情論と上っ面の言葉で片づけようとしていたから。
大丈夫だよ。何が?きっと意味があるよ。何処に
生まれてきたから幸せなんだよ。生まれてきたことに意味があるんだよ。
そういう言葉をずっと聴いてきた。
誰も知らない人に中身のない慰めをずっと。聴かされてた。聞き飽きた。
だってそれをしたところで、自分は苦しいのは変わらないし意味もないし、理由も分からなかったから。
母が亡くなった時も根拠もないのに仏さまになって傍で見守っているから。
仏様になったから大丈夫。笑顔になれたからその時は心配しない
天国で見守っているから大丈夫。誰がそれを証明するのか。いままでなら会えてたでも会えない、触れてた。触れられない。声が聞こえない。居ないのと同じ
赤の他人に根拠のない慰めをもらっても、何も響かないしなにもやすむこともできない。大丈夫って言われてもそれで、やぁ!って帰ってくるわけでもない。
大丈夫って言葉は自己防衛でもあり侵略でもあった。
傷ついた人間に「大丈夫でしょ」と心の中に踏み込む行為。
血が流れている泣いているはずなのに蓋をされる。
痛いとわかっているのに笑われる。心の中を勝手に掃除して分かったような顔でいられる。別に心配がいらなかったのではないかと。
自分自身が使ってた言葉。大丈夫だからって自分を安心させて他者も綺麗事っていわれてもしょうがないとどこかで思った。
大丈夫って言葉で他者を遠ざけて自分を守って不快だけど合理的な選択だと自然に使って、結果として誰も近寄らなくなったし自分からも行動を起こせなくなってた。
待って待って待って。待つことしかできなかった。
いつからか待つことしかできなくなった自分という存在が嫌だった。
誰かが助けてくれたらという願望。でも何かが変わって自分で動けば失敗するから傷つく。何も来なかったし悲しかったし。
受動的な態度で気づかないふりをしたずっと。今の状況より悪くないって動いたら恐怖が先に来るから。
人がいなくなってた。
近づかなければ、近くにいられない。
当たり前と言ったら当たり前だけど寂しいけど悲しいけどどうすることもできない。
感覚が麻痺していたんだと思う。私がいるよとかそういうエゴを与えられても響かない。
感情はある。あるはずなのにずっと偽っていた。出口がない。泣き方を忘れた。怒りだけがあった。どうでもよくなった。笑い方を忘れた。最後にほんとに笑ったのはいつだっけ。感情の行き場が無かった。全部体の中にずっとあった。
笑っているから楽しいのだと自分を騙していた。
偽物の笑顔がほんとうになるほど完成度が上がってでも空っぽのままでまるで人形だ
自分の写真を撮るのが嫌だった。自分の顔を鏡で見るのが嫌だった。
目元だけ笑って笑った風にして口が引きつっている
笑顔って何だろう。
顔出し配信をしたから何かが変わるわけでもない。ただの人間だ。
醜い顔だと思ってるから晒せばいや諦めていたから笑い者にされたいのか。期待されないほうが傷つかないから。
気づけば、2500文字を超えていた。
曝け出した。自分が記録として配信やライブに残した。仮面も外して見せれば何かが動くと思った書けばすべて共感してくれると思った。
でも結局中身は空白のままで。
どれだけ視聴者が増えても器が満たされなかったらずっと真っ白のままだった。
配信している時だけ自分になれたわけじゃない。
配信もゲームも逃げ場だった。全部人生から逃れるための。
暗闇配信で吐き出した言葉は吐き出した瞬間から過去になる。意味を持たなくなる
治すためではなく消費するための儀式みたいな。
永遠に晒される自傷行為。だから人が離れる
自覚がある。だからこそ人が離れた。分かっていた。自分がすべて原因なのだと。
理解できないから離れた。狂気だった考え方が少し違うだけでこんなに違った
この時点で分かっていた考えすぎだと。
思考を止めればすべて楽になると、楽になったらといって残るのは自分じゃない何か
自分でもあるけど、思考放棄した人間の形をした何か。
頭の中で常に処理しなきゃいけない。処理してないと行動してないと不安で仕方がない。止めたら苦しくなる。
止めたら停めたらでまた考え始める。
振り子のように。楽をしたあとに反動が必ずくる。
思考放棄した瞬間、自分が嫌になる。自分で合って自分じゃない。
糸がなければ動けない人形、糸があってもどっちも地獄だった。
苦しくなるとわかっていて続ける
人が離れているってわかってるけど続けるしかなかった。続けないと死ぬから
思考が止まったら、人は死ぬ。寝て起きたら一瞬何処で寝たのかも忘れる。
自分の名前が浮かばない昨日食べたものも味も分からない。
操り人形になれば、植物状態それは生きているかもしれないけど、差別じゃないし、なりたくてなったわけじゃないかもしれない。
気づいた時には遅かった嫌でもまだ間に合うから話してる書いている。
手遅れなら黙ってる。書かない。エネルギーの消費が激しいから文章を書く時間が止まらないから表現だから。
まだ止まりたくないただそれだけ。
ずっと波打ち際でサイクルの繰り返し。
食べて希望をもって悲しくなって沈んで。
疲れたと言えばとまるかもしれない。
疲労が限界突破しても気づいた時には体が悲鳴を上げて気絶したりしても現代社会は普通に生きろって言われる。
普通だろ・甘えるな・社会人なら自分は弱いからではなく弱いからダメなのではないか。自己嫌悪なのかそれ以上なのかそれともそれを求めるのがダメなのか。
贅沢悩みだと誰かが言われるなくても、いつかいう。
思考が自己否定に触れたら出口のない永久機関。
普通の人間はそうはならないかもしれない。
面倒だから曖昧な表現だからといってそれが通用するとは思えない。
自分が面白いと思って始めたことも
視聴者にとって面白くなかったらだめだとどこかで、企画倒れする。
ん。少し疲れた