近くに新しいパン屋さんができた。昔からあるインド風喫茶店(カフェとは呼びたくない。なんでこのようなものが住宅地に、と目を疑いたくなるような店で、トータス松本が無名時代に長いことアルバイトしていたらしい。トータス松本って昭和の匂いがしませんか。やっぱりカフェとは呼びたくない。)がはじめたお店。 焼きたてのパンの香りがお店の外までただよっている。たくさんの種類のパンのあいだに「夕焼けパケット」を見つけた。ふつうパケットは朝焼きあがるけれど、夕食用に夕方焼き上げたもの、という意味らしい。夕焼けの中を、パケットを持って帰る雰囲気もあって、のんびりしていていいなあと思い、買ってみた。(実は私は、のんびりということばにちょっと罪悪感を持っています。 少しでものんびりしている人を見ると、「ひまそうでよろしなあ」と声を投げつけあう大阪商人の間で育ったからだと思います。で、今「忙しがりバリケード」を撤去する練習をしています。)帰ってさっそくスライス、かじってみる。おいしい、けれど残念ながら少しだけ重い。これはパン屋さんのせいではなくて、梅雨も間近な日本の湿気のせいだと思う。カリカリに乾いたパリの空気で焼いたパケットのようにはいきません。

武術研究者の甲野善紀先生、現役東大生にしてすでに数学者の森田さん、精神科医の名越康文先生による「この日の学校」に出かける。「この日の学校」とは甲野先生と森田さんが、資格も入試も関係なく(つまり本当に)学びたい人々のために各地で開催なさっている講座。「異種格闘技」のようでもあり、数学や武術の話が交錯しながら、ものごとの本質に光があたってくるという感じで進んでいきます。 
発見はいろいろありましたが、とくに印象に残ったのは、「自分で何とかしようと思いすぎるな」というメッセージ。 たとえば初期のロボットは、一歩歩き出すために20時間以上の計算が必要でした。人間はなぜそんなことをしなくても歩けるか、それは身体の構造自体が「歩くのに向いたように」できているから。 とても素直に単純に、構造に任せておくことによってうまくいく。人間は頭だけで計算して動いているのではなくて、身体のつくりが歩かせてくれているのだと。この言葉、考えすぎて前へ踏み出せなくなっているひとや、今ちょっと疲れているひとにおくりたいと思いました。
(そういえば、植島啓司先生の「偶然のチカラ」という本のなかにも、「できるだけ自分で選択しないように心がけよ」というアドバイスがあります・・・)
家の近くに、道路に面したサイドが全面ガラスの建築事務所があります。ある日その前を通ると、おもしろそうな古本がたくさん並んでいる・・・古本屋さんも兼業なのかなと思っていると、いつの間にか古本は全部消えて、とても魅力的なノートや文具に変わっていました。思い切って中に入ってたずねると、スペースを貸しておられて、定期的に借主が代わるとのこと。このノートが消えるのは残念なような、次が楽しみなような。置いてあるものが代わっても、同じようにひかれるということは、場を貸している人と借りている人(と見ている私)の趣味にたぶん共通点があるのだと思うのです。家の周辺も歩いてみると楽しくて、それによく知っていると思っている道でも、意外とまわりが見えていない!


$-on my points-  錦見眞樹のバレエ・パサージュ