自分のブログのアクセス数をみているとMOHO(人間作業モデル)やAMPSに関する記事のアクセス数が未だに高い。
ずいぶん昔の記事なのだが、よく読んでもらえている。
OSAⅡ作業に関する自己評価改訂版についての話 https://ameblo.jp/nlp-ot/entry-11376574795.html
OSAⅡを使ってると作業療法がわかってくる気がする。。。
そんな訳で今日はOSAⅡ(作業に関する自己評価改訂版)について
自分の考えをもう少し書いてみたい。
OSAⅡは、人間作業モデルの評価ツールで、クライアントにとって大切な作業を探していくために、
クライアントと面談しながら使ったりするもの。
私はそんな風に理解している。
自分についての、21の質問と、
自分の環境についての8つの質問からなる。
計29の質問は、抽象度の高い曖昧な質問からなる。
一見するとこれは何について聞いているのか?
何について聞かれているのか?
わからない質問とも言えると思う。
そして、この曖昧な質問こそが、
OSAⅡのポイントだなと思う。
例えば
OSAⅡ最初の質問
「自分の課題に集中する」
これについてクライアントは
「問題あり」
「やや問題」
「良い」
「非常に良い」
の4段階でどれかを選ぶ。
ここでクライアントにとって
「自分の課題とは何か?」
「集中するとはどういうことか?」
これについては何も触れられていない。
だから、この質問を読んだクライアントは、
ここで自分の課題というものは何なのか
自分で考えて決める。
という作業が必要となる。
そうやって自由にクライアントにとっての課題というものに
話の焦点を合わせていくことに、
このOSAⅡの面白さがあるのだと思う。
だから、作業療法士の方から
「あなたの課題は薬をしっかり飲めないことだと思うんだけど、、、、」
とか
「あなたの課題はデイケアを休みがちのことだと思うんだけど、、、」
なんていう風にこちらで、勝手に決めて話し始めたりしない。
だから、MOHOはクライアント中心の作業療法っていうことになるのだと思う。
さて、この抽象的で曖昧な質問。
OSAⅡは最初は、「自分の課題に集中する」
からスタートし、
「体を使ってしなければらないことをする」
「生活しているところを片づける」
・・・
というように抽象的な質問が続く。
このような抽象的な質問についてクライアントが考えることは
どのような意味があるのだろうか?
生活行為向上マネジメントなどで使われる
「興味関心チェックリスト」のようなものや
ADOCなどはかなり具体的に聞いていく。
「排泄」「食事」「外出」みたいなADL項目があったり
「楽器を演奏する」「友達との交流」「子供の世話」
などなどかなり具体的に、作業項目をあげていて、
それらについて、
興味があるか?
とか
大切な作業に当たるか?
とか
できているのか?できていないのか?
などを聞いていく。
そういったものと比べて、
OSAⅡの「自分の課題に集中する」
という問いはかなり抽象的だ。
ここでNLPの基本原則というものを思い出してみたい。
「地図は土地ではない The map is not territory」
この原則を私は
人によって現実の捉え方というのは違うよ。
とまあざっくりとそんな感じで理解している。
土地というのはリアルな現実。
地図というのは、リアルな現実を頭の中で解釈して理解していること。
人によって現実というのはいかようにも理解できる。
そして、それはある言葉を投げかけられた時にそれによって起こる反応も様々だ
ということでもあると思う。
したがって、「自分の課題に集中する」
この言葉を投げかけられた時
人は頭の中で様々なその言葉の変換が起きるわけなんだけど、
それはかなり多様性に富んでいる。
自分の課題と言われて
「1人で歩いてトイレに行くこと」
と思う人もいれば
「家に帰って部屋の掃除をすること」
と思う人もいるし
「自分に課題はない」
と思う人もいる。
そういう、自由度をOSAⅡは認めているところが、
この評価のミソだと思う。
言語というのは、抽象的にすればするほど、
それは、催眠言語とも言えるものになっていく。
抽象的で、なんとでも捉えらえて、
誰にでも当たりはまりそうな言葉、
OSAⅡの質問群は実は使い方を変えれば、催眠言語にもできる。
例えば目を閉じさせて、
リラックスした、状態で、
「あなたは、自分の課題に集中しています。。。。」なんて言われたら、
聞いている人は自分の頭の中で
何かしらの課題に集中している様子を想像しトランスに入ることもできるわけで、、、
そうやって見てみると、OSAⅡの29の質問というのは、大変興味深いものがあるなあと
最近改めて考えてみたりしています。