アメブロさんから
1800投稿を褒められたのを契機に
私の5年9カ月の
ブロガーライフを振り返る
短期集中連載を始めました。
本日はその4。
書けない状態のまま
2024年が明け、
春が通り過ぎ、
夏がやってきます。
ブログもSNSも
相変わらず書けないままでしたが
現実逃避していた秋冬の頃とは違って
春先から私を取り巻く現実が
急激に渦を巻いて
大変化を起こし始めました。
これから
その怒涛に揉まれながら
だんだん見えてきたことについて
書いてみます。
まず本日は
書けなかった時期の駄文の分析と
変化のきっかけとなった
心の動きについて。
リア充記事がつまらない理由
まぁね、昨年の秋冬も
何かあったときには
ときおり発信はしていましたよ。
でもね、出来事中心で記事を書いても
いい文章にはならないんですわ
例えばこのリア充記事↓
確かに浅草酉の市の風景は
ジモティ以外の方々には物珍しく、
江戸情緒を感じさせるものでしょう。
同じ出来事中心の記事でも
「今日3歳さんが当教室にご入会」
「レッスンで◯◯ちゃんが素晴らしかった」
などという
『ピアノ教室あるあるすぎて
他教室との識別不能な記事(苦笑)』
よりは、よほどイベント性が高く
多様な属性の読み手の興味をそそりやすい。
その意味ではこの投稿も、
単なるリア充というより
一種、旅番組的な魅力が
備わっているとは思いますよ…
(一応、そこを伝えたいと思って書いてます)
でも、旅番組の中でも、視聴者が
「いつか自分も行ってみたい」
という気持ちになるものと
「ふ~ん、そうなんだ」
で終わってしまうものがありますよね。
同じ名所やコースを取材しているのに、
番組により差がある。
あの違いがどこから来るかというと、
どういう視点、どういう切り口から
情報を伝えていこうとするかという
脚本家(シナリオライター)の差
そしてコメンテーターの差なんですよ。
つまりライターとコメンテーターの
言葉の力と個性によるもの。
このことからもわかるように
出来事(事実)など
比較的客観的な要素が濃い目のテーマでも
5W1H※を伝えるだけじゃつまらないんです。
※超有名なフレームワーク。
いつ(When)、どこで(Where)、誰が(Who)、
何を(What)、なぜ(Why)、どのように(How)
厳密にいうとこのうちのWhyだけは
書き手の個性を乗せられる要素にはなり得る。
「ここへ行った」
「あれを経験した」
「何が起こった」
「なぜそうしたか」
という客観的な出来事描写(情報)の陰に
書き手の視点やキャラクターを
強く感じられないと
読み手にとっては響くものが何もない。
どんなに有益でも
客観的な5W1Hが大部分で
人のぬくもりが感じられない情報からは
コミュニケーションは生まれません。
やっぱり
文は人なり
この記事を書いた昨年11月と言えば、
売るための裸踊りのような
インスタ辛口ライブを60日以上やって
自分を削り尽くしてしまった時期。
インフルエンザにも罹患しましたし、
身も心もボロボロ
自分が何をしたいのか、
どうなりたいのか、
どこへ向かっていきたいのかが
自分でも全く分からなくなっていて、
それでもなんとか発信は続けなきゃ...と
強迫観念に駆られていました。
そんな中、折よく浅草酉の市という、
誰にとっても興味を惹きそうな出来事を
経験したのだから
書けることだけでも書こうとして
絞り出した記事です。
この記事を書いている時点で既に
「ひどい駄文だな~」
と思ってましたもの。
でも、このときの私には
これがやっとだったんですよね