小説「TOUBEE-3」
第五章 「対決」
第十二話 「新人」
大幅に予定が遅れた研究所の修復。
そのさなか、更なる攻撃を警戒して、巡視艇グレイトホワイトは、隠し桟橋の周辺に無数の無人監視ブイを配置した。
これは、太陽光発電によって稼働するコンピュータ制御の監視システムで、レーダーと連動させた衛星通信により、周辺海域の状況をリアルタイムでデータ化して、研究所のメインコンピュータに送信し続けるというものだ。
そして、破損した作業艇は修理に時間がかかるので、元々研究所にあった小型探査艇に治具を取り付けて代用することになった。
「うちの探査艇が見違えるほどメカっぽく成ったしぃ。」
機械好きの淳士は喜んでいる。
作業班の面々が探査艇のシミュレーションに慣れるまでは、淳士と功勇が交替で作業にあたった。
ただ作業員とは言っても、彼等は皆一人一人があらゆる設備の設計から施工までを全てこなせる精鋭なので、一週間後、研究所の探査艇を、その構造から頭に叩き込んでシミュレータをクリアしてきた。
ただ一人を除いて…。
「朝霞さん、具合はどうですか?」
功勇が診察器具のワゴンを押して病室に訪れた。
「はい、おかげさまで…。」
研究所内の病院施設で、朝霞は入院していた。
よもや、ゾンビに刺されたなどとは他言できないので、経験は少ないが、医師免許を持つ功勇が治療に能っているのだった。
「面目ないです。」
「いいえ、生身の人間では無理もありませんよ。それより、ゾンビ化しなくて本当に良かったですよね。」
「それも真喜志さんのお陰です。」
「いえいえ、これは私の祖父が作ってくれた解毒剤のお陰ですから…。」
功勇は手元から目を離さず、バイタルチェックをしている。
「例えそうだとしても、あの非常時に応急処置をして戴いた事は感謝に絶えません…。」
言われた功勇は、少し照れくさそうに微笑んだが、その穏やかな表情の中に浮かんだ微妙な影を、朝霞は感じ取っていた。
その発明者である祖父を、功勇が自らの手で葬ってしまったことを、朝霞は聞き及んでいたのだ。
もちろん、祖父、康順のとった行動は、言わば『自殺行為』だったわけだが、その最期の時まで闘い合っていた功勇にしてみれば、そう簡単に割り切れることではない。
朝霞はそんな功勇の心情を汲み取り、次に掛けるべき言葉を選んでいた。
そこへ、館内放送が流れる。
『真喜志所長、至急管制室までお願いします。』
功勇はゆっくりと振り返り、朝霞に言う。
「呼ばれてしまいました…。」
「お忙しいのに、すみません。」
「いえいえ、元々こっちが本業ですから。」
そう言って、笑顔で点滴を交換した功勇は、朝霞が昼食に使った食器をワゴンに乗せて病室を後にした。
滅菌シャワーを潜った功勇が、白衣を脱いで管制室に入ると、雷駄と日登美がモニターの前でしきりに何処かと通信していた。
「どうかしましたか?」
「あ、所長。先程那覇の航空管制塔の通信を傍受していたら、ハワイから成田に向かうはずの民間旅客機が、コースを外れてこちらに向かっているらしいんです。」
「民間機が…?」
「はい…、その通信の内容からすると、ハイジャック犯にコックピットを占拠され、乗客を人質に取られているので機長は言いなりに。そして…、」
「そして…?」
「犯人グループは、得体の知れない怪生物を連れていると…。」
「餓鬼の一味か…。」
功勇は咄嗟に、昔アメリカで起きた同時多発テロの記録を思い出した。
それも、餓鬼なら乗客の中に半獣人化する人間を一人潜り込ませれば、武器など持たさずとも容易い事だ。
緊急作戦会議が始まった。
幸い、雷駄と藍は変身すれば自力で飛行できるので、追い付くことさえ出来れば機内に入る事は可能だと言う。
しかし問題は、その機体を何処に下ろすかということだ。
これがもし本当に餓鬼の仕業なら、狙いはこの研究所だろう。
石垣島の空港では滑走路の距離が足りない可能性がある。
陸地に下ろせば大惨事は免れない。
となれば海に下ろすしかないのだが、漁船や観光客などは那覇空港からの知らせで避難させるだろうが、石垣島の地下全体に広がる研究所施設の各所では、作業班の面々が水中で修復に能っており、その中には、浮上するのに時間の掛かるような、入り組んだ閉所もあるのだ。
日登美もその事を危惧して、作業の指揮を執っている常磐局長に連絡していたところだ。
雷駄と藍はマシンをスタンバイ。
そこへ室田から通信。
『飛行機の事なら俺の出番だな。』
「え?おやっさん飛行機持って来たんですか?」
『おぅ、研究所の備品としてな。いま美由紀とホエールシャークに居る。これからすぐに発進させるから、お前たちの他に奈瑠美っちも来るように言ってくれ。』
「奈瑠ちゃん、お呼びよ。」
「いつから奈瑠美っち?」
雷駄たちと共に隠し桟橋へ向かう奈瑠美。
それと入れ違いに、華寿美に付き添われた朝霞が入って来た。
「私にも手伝わせて下さい。」
「朝霞さん、まだ寝てなきゃダメですよ。」
主治医の功勇は断るが、
「いいえ、管制室での事ならなんとか出来ます。それに、海に下ろせば仲間にも危険が及ぶのでしょう?」
「しかし、そうは言っても…。」
「大丈夫です。それに、仲間の救出には監視ブイが使えるんです。」
「ブイが…ですか?」
「はい、あの監視ブイは、通常はアンカー(錨)で固定してありますけど、ここからの遠隔操作でアンカーを格納、移動して、監視エリアを任意に変更することも出来るんです。ですからこの機能を応用すれば、ブイ本体の点検用ハッチから人が乗り込み、移動シェルターとしても使えるようになるんですよ。」
「ブイがシェルターに?」
「はい、元々あのブイは、あらゆる悪天候や自然災害を想定して作られていますし、こちらの操作で冷却機能を低下させれば、動作熱のお陰で中の人間が凍えることもありません。」
「そんな機能が…。」
「はい、全部で20基のブイの操作を、そこのキーボードひとつでコントロール出来る仕組みです。」
「え?これで?」
全員の視線が、卓上のキーボードに集まった。
「はい、ただし、この操作にはそうとうの熟練が必要です。」
「失礼ですが、朝霞さんにはそれが出来るんですね…?」
「私が作ったんですよ?」
今度は朝霞に全員の視線が集まった。
功勇はこのことを室田と常磐に報告。
室田は、美由紀、雷駄、藍、奈瑠美を乗せて発進準備。
探査艇の常磐と淳士は、周囲で作業をしていた者を出来る限り確保して帰還しに向かう。
残りの作業員たちは、朝霞の操作するブイと合流するため、位置確認のための信号を発信。
管制室では、モニターを見ながら目にも止まらぬ速さでキーボードを叩く朝霞。
桟橋の周囲にあったブイが移動を始めた。
ホエールシャークでは、格納庫の屋根が開き、垂直離着陸機が上昇を開始。
その機内では、室田が後ろの席に乗せた奈瑠美に言う。
「今まで指示通りにシミュレータの練習はしてきたと思うが、これは訓練ではない。」
「いきなりですか~ぁ…。」
「あぁ、経験が何よりだ。」
「年寄りって、みんな同じこと言いますよねぇ?」
「ハハハッ!ようし!それだけ減らず口が叩けるなら適任だ!」
「どういう意味ですか?」
「コイツは音速を超えるジェット戦闘機だ。常磐局長とも相談したんだが、長女の日登美は急激な加速や気圧の変化に身体が着いて来られるか未知数の部分がある。次女の華寿美は性格的に管制室の方が向いているだろう。だから、いずれはこの二人にも操縦は覚えてもらうにしても、まず最初は一番若い君を選んだ。」
「マジですか…?」
「嫌か?」
「いいえ、その逆です…。私は今まで姉たちと比べられて来ました。理屈っぽいけど遣れば何でも出来てしまう日登美ねーねと、いつも落ち着いて居て頭の良い華寿美ねーね…。だから私は、私の得意分野が欲しかったんです…。私にしか出せない、私の色が欲しかったんです。」
「其の意気や由!」
「え…?」
「年寄りの言葉で、『良い覚悟だ。』という意味さ。」
「よろしくお願いします!」
複座操縦席の後ろ側に座っている奈瑠美は、機長である室田の操縦技術をトレースする。
「いいか奈瑠美っち、飛行機がなんで空を飛べるかはもう解っているな?」
「はい、翼に沿った速い空気の流れによって起こる力、『揚力』です。」
「まぁ、そーゆーことだな。つまり、空気がなければ飛行機は飛べない。翼は空気を切り裂く道具。その空気とどう付き合うかということが、操縦の原理だとも言える。」
「空気と付き合う…。」
「そうだ。翼を含めた、機体全体で空気を感じろ。」
「そんな…、難しいこと…。」
「大丈夫だ。機械を道具としてではなく、自分の身体の一部として感じるんだ。まぁ、要は慣れだよ。」
「慣れ…、るんですか?」
「考えるな。感じろ。」
「それって、昔の武道家の言葉だしぃ。」
「あ、バレてた…?でも、何事にも通じると思うぞ?」
機体は、ハイジャック機をレーダーで捉えながら大きく旋回し、右斜め後ろから接近して行った。