想えば…
わたしは余り
本気で努力したり、
何かを目指したりしたことが
ない子どもでした…
一人っ子で
不仲な両親のそれぞれから
溺愛され、
母方では初孫でもあったので
周囲は常に優しく
愛に満ち溢れていました…
冷めた両親(ほぼ母サイド)の間以外は…
昔から
「やればできる」
と期待されつつ
やらずに終わる を繰り返し…
それでも適度に器用だったので、
気紛れに楽しめることだけは
一時的にハマり
それなりに一通りこなしたり
…も、しました
…が…
大抵直ぐに飽きるので、
胸を張れる経歴は
殆ど何もありません…
何事も中途半端なので、
自称
「なんちゃって○○」
…と、
茶化して誤魔化していました
「なんちゃって登録販売者」
「なんちゃってブロガー」
「なんちゃってイラストレーター」
「なんちゃってYouTuber」
「なんちゃって絶対音感」←
…ナドナド
少し前までのわたしは
そんな自分を内心情けなく
恥ずかしく想っていたので…
フィンドホーンでのシェアリングでも
「自分の『なんちゃって』を外したい 」
何て主張してた記憶があります
そもそも、
どうしてわたしが
『なんちゃって』という言葉に
逃げるのか…
何か一つのモノに特化して極めたくない…
プロフェッショナルでは在りたくない
責任を負いたくない
…という、
免罪符にしていたのです…
それが免罪符になる/ならないはともかく…
または、
大義名分…
日本語の使い方合ってますか…
本当に笑えるくらい安易ですし、
そんな器の小ささも
今となっては愛おしい自分…
…だったりするのですが…
それが、ここ最近…
自分の内側へ向かい始めた
去年辺りから…
『なんちゃって』こそが
わたしのアイデンティティ
…かも
ということに想い当たり、
もういっそ開き直って
『なんちゃって』を
生きてしまおう
…何てことまで
考えてしまったのデシタ
そもそもわたしの
基本的なスタンスは、
気紛れ
我が儘
ゆるりん
…なの
そして更に…
自分に優しく
甘やかす
勿論、
やりたいことが決まっていて、
目指したい目標が
定まっているのなら、
それへ向けて真っ直ぐに
努力できる方を
心から尊敬いたします
今の(今までの)わたしには
未だソレがないので…
適度に楽しく無理をせず
例え
「なんちゃって」でも
自分なりにやってみよう…
そう、想っています
・・・・・・・・・・・・・
柔らかな龍雲に包まれていました…
今気付きましたが、
月が龍の目 にも見えますね
振り向いた足跡に