筆者の戦時下のドイツ人を求めての旅は箱根湯本から箱根に入り、最初に訪問したのが、宮ノ下の「富士屋ホテル」、次いで強羅の旧「強羅ホテル」であった。

 

その後小涌谷を通って大学駅伝コースを芦ノ湖方面に向かい着いたのが芦之湯の松坂屋本店である。1662年創業のこちらも歴史ある旅館である。

 

ここには戦時中は75名ほどのドイツ海軍の水兵らが疎開していた。彼らの内ある者は危険を冒して日本までやって来たが、帰りの艦艇がなくなってしまった。一番大きな被害は1942年11月に横浜港での4隻の艦艇の爆発である。(その墓前祭に関してはこちら

さらには終戦が近くなると、連合国が制海権を持つインド洋を越えて本国に戻ることは危険と判断されて、日本に残った者もいた。

 

45年5月8日、箱根地区に散在していたドイツ将兵たちの代表は、仙石原の臨時ドイツ領事館に集合するように連絡があった。松坂旅館からはブロンフィールド中佐たち将校が出かけて行った。そこで伝えられたのはドイツ帝国の無条件降伏の知らせであった。

 

また日本の敗戦直後の10月10日、テオ・ツェラー准士官は大量に飲んだお酒の中にメチルアルコールが入っていた様で、その晩に急性アルコール中毒で死亡する。テオは旅館に裏山の麓に丁重に葬られた。(『横浜港ドイツ軍艦燃ゆ』石川美邦より)

 

ドイツ兵と松坂屋旅館関係者との交流は戦後も盛んで、当時の写真の他ドイツ兵がスケッチしたかデッサンなども旅館には残っていた。2017年に同旅館は金乃竹リゾートが運営権を持ち、女将さんも創業家とは別の人である。このドイツ兵の歴史も繋いでほしいものだ。

 

玄関はかつての面影を残す?

 

陸に上がったカッパ河童ともいえる水兵たちは、毎日やることは殆どなかった。そうした状況を少しでも改善するために、村ではドイツ兵たちに空襲にも備えた防火用水の池を掘るように依頼した。

 

依頼を受けた彼らはドイツ人らしい徹底さで、図面を引き、担当を分けて完成させた。それが松坂屋本店の道を挟んだ正面にある阿字ヶ池である。

阿字ヶ池

 

箱根ホテル 

 

1923年創業のこちらも富士屋ホテルの経営であった。芦ノ湖に面して4階建ての和風の建物であった。現在は富士屋ホテルレイクビューアネックス(別館)の名称である。

 

元々は横浜のホテルニューグランドの会長野村洋三所有の元旅籠屋の「はふや」を買収した。野村洋三は箱根の旅館「紀伊国屋」長女ミチと結婚する。1715年創業の紀伊国屋は、先述の松坂屋旅館の隣で戦時中は横浜の日枝国民学校の4,5,6年生が疎開した。松坂屋には3年生50名であった。どこかホテル、旅館ホテル関係の横の繫がりを感じる。

 

さて前置きが長くなったが、箱根ホテルにもドイツ海軍関係者が疎開した。ウェルネル・フェールメン大佐以下20名である。松坂屋の最上位は中佐であったがこちらは大佐、そこに意味があるのかは不明。

 

こちらは疎開児童がメインであった様だ。横浜・川崎・横須賀の学童は近藤壌太郎県知事の意向で全員、神奈川県内の疎開となった。

 

ホテルのホームページには「ドイツ海軍に貸与していた頃の箱根ホテル」として玄関で撮影した集合写真が載っている。また女学校の生徒の疎開の様子の写真もある。

 

1946年2月14日 ドイツ海軍が使用していた新館二階61号室から失火、木造亜鉛鉄板葺三階建一棟207坪の新館と付属廊下10坪の合計217坪を焼失した。

 

現在の富士屋ホテルレイクビューアネックス(別館)

 

古谷旅館

古谷旅館は1923年に創業し1955年11月に法人改組された。箱根芦ノ湖畔の温泉旅館「箱根宿 夕霧荘」と名前を変え経営していた。関所本陣跡に建てられた街道筋の老舗温泉旅館であったが、2020年11月に箱根旅館で初の「コロナ倒産」と報じられた。

 

戦時中は11名の海軍関係者が疎開した。その内の2名について紹介する。

ゲルハルト・クロービッシュ2等兵は古谷旅館の離れに隔離されて療養していたが、1946年9月に結核で死亡する。遺骨は萬福寺に埋葬された。(次号紹介予定) 

松坂屋のテオ・ツェラーと合わせて2名の箱根の海軍関係の死者であった。

 

またディーク・ブルーノ海軍中尉(貨物船の船長であったという)は旅館の娘古谷キミエと恋に落ちた。1947年2月にデュークは他の将兵たちと帰国する。そして53年に再来日して結婚したが、その後夫が亡くなりキミエは日本に戻った。1991年、幾人かのかつての海軍関係者が箱根を再訪した際、関所跡でキミエと感激の対面をした。(『横浜港ドイツ軍艦燃ゆ』石川美邦より)

 

同旅館の疎開者のみでなく、将兵たちはボート遊びがてら芦ノ湖畔の古谷旅館に立ち寄っていて、顔見知りであった。

 

今や外国人にも観光スポットとして知られる箱根神社をドイツ兵も詣でる集合写真が残っている。

 

(続く)

 

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