第二次世界大戦終盤のドイツ人を中心とした箱根方面への疎開をみた場合、彼らの受け入れ先として筆頭に上げねばならないのは、現在の富士屋ホテルチェーンである。主として次の施設が挙げられる。
1 富士屋ホテル (宮ノ下)
2 箱根ホテル (芦ノ湖畔)
3 富士ビューホテル (河口湖畔)
4 富士屋ホテル仙石ゴルフコース (仙石原)
5 箱根駅伝ミュージアム (箱根湯本)
これらの内今回は河口湖畔の富士ビューホテルを除いて訪問してきたので、まずは富士屋ホテルに関し、美しい建物群を自身で撮影した写真を元に述べる。
富士屋ホテルは1878年の創業である。
1891年竣工の本館の正面に立つと、左側に歴史的な建物が3棟連なる。
西洋館(2棟) 1906年竣工
フラワー館 1936年竣工
下は本館の入口の左ウィングの写真
この位置で終戦の年である1945年1月1日に撮られた宿泊客の集合写真が残っている。
白抜きの文字で「大東亜戦・第四周年の春を迎えて・富士屋ホテル」と写し込まれている。
(『消えた宿泊名簿』 山口由美)
また今回訪問出来なかったが、ドイツ人医師ロベルト・コッホ、エルヴィン・フォン・ベルツが訪問したことが史料展示室に写真と共に記されているようだ。そうした宿泊者名簿は過去に遡ってほぼ完全に残っているという。一度目を通してみたいものである。
本館入口
西洋館(2号館 レストフル・コテージ)
花御殿
メインダイニング ザ・フジヤは1930年竣工で今も利用されている。
食堂棟外観
宿泊は出来なかったがラウンジの喫茶室を利用した。
次回は戦時下の富士屋ホテルの外国人客について述べる。
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本編に関連する『第二次世界大戦下の滞日外国人』
(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)は こちら