横浜、東京、軽井沢に続いて、箱根地区のドイツ人の没収された資産を見ていく。
ここは箱根地区と山中湖に分けることが出来る。一方ドイツ大使館の疎開した河口湖には一軒もない。
箱根地区には管理番号117番から127番までの11軒、山中湖地区は128番から133番の6軒の計17軒があった。軽井沢の26軒より少ない。疎開者は軽井沢より多かったが、それは日本外務省が枢軸国外交官の疎開地を、箱根方面と定めたことに関係していよう。そして多くがおそらく日本人から別荘を借りたことになる。
箱根地区は数枚の地図で示されているが、ここでは芦ノ湖畔の元箱根地区の地図を添える。
GHQ資料の地図。箱根(番号はリストに対応)
この管理番号120から122番の別荘のひとつがシュミット商会創設者のパウル・シュミットの別荘である。(おそらく121番)
シュミットは1906年、外国人として最初に箱根に別荘を建てたとしてすでに紹介した。こちら
また箱根村328には資産家カールクライヤ―(Karl Krayer)の別荘があったことが分かっている。こちら
他に次のような別荘の写真が何とか識別可能なものとして残っている。
C.H.シュバルツ(C.H. Schwarts)
オットー・ルール(Otto Ruhl) 温泉村小涌谷450-7
山中湖は地図、所有者リスト共に残っている。
GHQ資料の地図。山中湖(番号はリストに対応)
128 ドイツ人学校
⇒大森のドイツ人学校は土地のみ取得してあったよう。
129 ヘルムート・フーネック(Helmuth Funek)
130 ルドルフ・ブーヘルト ( Rudorph Buchert )
131 リヒャルト・ヘルム( Richard Helm)
ヘルム一族はここにも別荘を持っていた。こちら
132 マルティン・フォン・ケーネ(Martin von Koene)
133 トーマス・ベールライン(Thomas Baeerlein)
これから少し時間をかけて、これらのドイツ人の特定に努めていく。
またここまで読み続けてきていただいた方には、改めて感謝申し上げる。
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本編に関連する『第二次世界大戦下の滞日外国人』
(ドイツ人・スイス人の軽井沢・箱根・神戸)は こちら