法然・親鸞展は、信者&ツウ好みだった(法然と親鸞 ゆかりの名宝展)
東京国立博物館でやっている「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展に行ってきた。
http://www.honen-shinran.com/
~12月4日(日) 東京国立博物館 平成館(上野)
日曜日の午後に行ったので、さすがに館内は混雑していたけれど、
入口に行列はなくスッと入れた。
過去の、空海展や薬師寺展や阿修羅展ほどは混んでなかった。
中を回って、なるほどね、と思った。
仏像が少ないのだ。直筆文書や掛け軸など紙ものが多い。
法然・親鸞の信者は涙ものだろうし、仏教通の興味はそそるだろうが、
一般の人は「なんか地味・・」と思うんじゃないかな。
派手なのは、総高4mの阿弥陀三尊像(神奈川・浄光明寺蔵)と、
阿弥陀二十五菩薩来迎図(知恩院)ぐらい。
それでも、勉強になることはたくさんあった。
思ったことをランダムにメモしておこうっと。
◆はげしく宗祖信仰◆
法然・親鸞の像や絵や系図や書状が山ほどあった。
特に、たくさんある「絵伝」は法然・親鸞上人の伝説を絵解きしたもので、
かなり神がかっている。
阿弥陀信仰もさることながら、法然・親鸞信仰なんだな、と実感した。
◆お二方とも伝説は”夢はじまり”◆
「って話は夢でした」で終わると「なんだ夢オチかよ」と言われるが、
法然・親鸞上人の伝説は夢オチならぬ”夢はじまり”。
法然は夢に、中国の僧・善導が出てきて「念仏だけでよし」という
専修念仏の教えを授けられたとされる
(本当は、比叡山にいた法然が、善導の経典解釈を読んで傾倒した)。
親鸞は、京都・六角堂で寝ていたときに、聖徳太子=救世観音の化身から
偈句(女犯偈にょぼんげ、性交してよし)を授けられたとされる。
◆死ぬときに”お迎えが来る”のは浄土宗だけ◆
死ぬときに阿弥陀仏や菩薩が雲に乗って迎えにきて、
浄土に連れて行ってくれるという、ありがたい「来迎図」。
今回の展覧会の目玉でもあるが、これは浄土宗のもの。
浄土真宗に来迎図はない。よく考えたら当たり前だ。
展示解説によると、浄土真宗では
「誰もが瞬時に往生するから来迎を待つ必要がない」
「浄土真宗の阿弥陀仏の台座には、来迎を表す雲がない」。
結局、大乗仏教って、成仏スピードアップの歴史なんだなー。
◆釈尊と阿弥陀仏のWキャスト「二河白道」◆
「二河白道(にがびゃくどう)図」が何点もあった。
現存する最古のもの(京都・光明寺、13世紀)も展示されていた。
わかりやすい図をブログに載せていた方がいたので借用させて頂いた。
火の川(怒り)と水の川(むさぼり)の間に、細く白い道がある。
後ろからは追手が迫っている。
この道を渡れば、向こう=西岸には阿弥陀仏のいる浄土がある。
東からは、お釈迦さまが「決心してこの白い道を行け」と
励ます声が聞こえる。後ろから前から力づけられて、
人は一心に道を渡って往生しましたとさ。
これは観無量寿経の解釈書『観経疏(かんきょうそ)』で善導が書いた喩えで、
法然が引き継いだ浄土宗の定番らしい。
怒りとむさぼりに落ちずに細い道を行く譬えは、うまいと思った。
でも三毒の残り1つ、「癡=愚かさ」はどこにいっちゃったのかな。
あと、お釈迦さまは仏教考案者なのに、なんか応援団みたいな扱いなんですけど。
「二河白道」図は、珍しくお釈迦さまと阿弥陀仏のWキャストだ。
調べたら、2仏が並ぶ京都「二尊院」も、このパターンで、
来迎阿弥陀&発遣釈迦(迎える阿弥陀&送り出す釈迦)だった。
長くなったので続きは後日。
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罵られても褒められても平然としていよう(スッタニパータ その2)
今夜も「スッタニパータ」メモ、
もうなにも脈略もなく好きな言葉をメモしています。
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第三 大いなる章 11 ナーラカ
702
村にあっては、罵られても、敬礼されても、平然とした態度で臨め。
(罵られても)こころに怒らないように注意し、
(敬礼されても)冷静に、高ぶらずふるまえ。
712
「(施しの食物を)得たのは善かった」「得なかったのもまた善かった」
と思って、全き人はいずれの場合にも平然として還ってくる。
あたかも(果実を求めて)樹のもとに赴いた人が
(果実を得ても得なくても平然として)帰ってくるようなものである。
713
かれは鉢を手にして歩き回り、唖者でないのに唖者と思われるようにするのだ。
施物が少なかったからとて軽んじてはならぬ。
施してくれる人を侮ってはならない。
720
そのことを深い淵の河水と浅瀬の河水とについて知れ。
河底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、
大河の水は音を立てないで静かに流れる。
721
欠けている足りないものは音を立てるが、満ち足りたものは全く静かである。
愚者は半ば水を盛った水瓶(かめ)のようであり、賢者は満ちた湖のようである。
『ブッダのことば』(岩波文庫 中村元訳)
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702~713は、托鉢する修行僧に対する言葉ですが、
現代でふつうに働いて暮らしていても沁みます・・。
720,721は、これまた比喩が素晴らしい。
罵られても褒められても、得ても得られなくても、
平然と、満ちた湖のように静かでいよう。そう決めよう。
ところで昨今、テレビを付けると、なんであんなに騒々しいのでしょう?
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酒井抱一の珍しい仏画を見てきた(酒井抱一と江戸琳派の全貌展)
「生誕250年記念展 酒井抱一と江戸琳派の全貌」という展覧会に行ってきた。
千葉市美術館 11月13日(日)まで
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2011/1010/1010.html
琳派(りんぱ)というのは、金箔や金泥の上に、四季折々の
お花が描いてあるような絵だ。
私は大好きで酒井抱一も主だったのは見ているのだけれど、
今回は珍しく仏画が出ているとのことで行ってみた。
酒井抱一(1761-1826)は大名家のお坊ちゃんで、
趣味人で吉原通いが大好きな遊び人なんだけど、37歳で出家してるんですね。
でも50歳で吉原の高級遊女を身請けして内妻にしたりしてて、
次男坊のアリバイ的な出家だったようだ。
仏画は数点で、やっぱり花鳥風月の絵のほうがいいと思ったけれど、
この「青面金剛図」は素敵だった。
絵の周りの表装がまたかっこいい。織物に見えるけれど、。
琳派お得意の「描表装(かきびょうそう)」というやつで、
赤金の細かい模様も、その周りの花も、筆で描いてあるのだ。
ほかの仏画では、紺紙金字のお経をびっちり表装に描いたものもあった。
酒井抱一や弟子が描いた「白衣観音」もあった。
仏像で白衣観音て見たことがないので調べたら、
あの巨大な高崎観音や大船観音はそうなんですって。
インド由来の観音だけれど、中国の禅画でよく描かれたそうだ。
聖母マリア風の白いヴェールを被っているので、
勝手にマリア観音と名づけた。
このヴェールは、像よりも絵画向きだ。
でも展覧会自体は、抱一作品160点+ほか160点(入れ替えあり)もあって、
疲れるぐらいに見ごたえがあった。
絵に興味がなくても、お花が好きな人なら、感動すると思う。
千葉市美術館は11月13日で終わってしまうけれど。
この美術館の上にあるレストランは、見晴らしが良くて、
ステーキや鶏のソテーなどのランチが美味しいです。
日曜に行ったけれど、そんなに混雑してなかった(最終日は混むかも)。
<巡回情報>
細見美術館(京都)←琳派をたくさん持ってる美術館
2012 年4 月10 日~5 月13 日
http://www.emuseum.or.jp/
※姫路は千葉の前に終了
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