釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -54ページ目

南直哉さん、ハードに死を語る(BSフジ映像)

昨日、妙にアクセスが多かったので、

検索ワードを見てみたら「南直哉」ばっかりだった。


なんで?なんで?急に南さん人気が上昇?と思ったら、

5月18日にBSフジのプライムニュースに登場されたらしい。


以下の5月18日のところで動画が観られますので是非。

(2週間だけ)


「恐山院代・南直哉が説く 死ぬことと生きること」

http://www.bsfuji.tv/primenews/index.html


恐山、死、震災、夢と希望、自殺などなどをハードに語っておられます。南節全開で、地上波だったらクレーム殺到だったかも。


エリート街道を突っ走ってきたらしい男性キャスターが

腑におちん!という顔をしていて面白かった。


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仏像はどうやって生まれたのか(「ガンダーラ 仏の不思議」)

結局のところ、一番好きな仏像はガンダーラ仏だとわかった。
お釈迦さまがもっとも美男子だから。


『インド美術史』(宮治昭著)がとても面白かったので、
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-11156701780.html
宮治先生の『ガンダーラ 仏の不思議』(講談社選書メチエ)
読んでいる。これも、とってもいい本だ。
こんな本が1500円の選書で読めるとは、申し訳なくなってくる。

(アマゾンは古本のみで、510円・・・(泣)。


何事も、いつ・なぜ・どうやって始まったかを知りたくなる
持病があって、仏像の起源を知りたくてこの本を読んだ。


仏像の起源は、中インドのマトゥーラ説と、
北西の辺境・ガンダーラ説があって、決着はついていないらしい。


高校の授業かなんかでは、
「アレクサンダー大王の東征により、
ガンダーラではギリシャ美術の影響を受けた仏像が生まれ」と
習った気もするが、実際はそう単純ではないようだ。
以下、ランダムなメモ。
(1996年の本なので、以後の発見などで変わっているところも
あるかもしれないが)


・ガンダーラ地方にいたギリシャ人(インド・グリーク)に
よって紀元前1世紀頃にガンダーラ仏が作られ始めた、と
想定されてきた(フーシェ、1928)が、どうも違うらしい。
インド・グリークたちはギリシア系美術の足跡を
ほとんどなにも残していない。


・仏像製作と仏伝図像が飛躍的に展開したのは、
イラン系遊牧民が広大な帝国をつくったクシャーン朝時代
1世紀中ごろ~3世紀中ごろ)なのは間違いない。
特に、カニシカ王は、自分の貨幣に仏像を刻んだ唯一の王である。
貨幣の表には拝火壇に手をかざすカニシカ王、
裏には「ブッダ」等のギリシア文字銘の貨幣が見つかっている。
(ゾロアスター教と仏教のリバーシブル!?)


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
左がカニシカ王(表)、右がお釈迦さま(ウラ)



・ギリシヤ美術の影響説と、ローマ美術の影響説がある。
ローマの皇帝像と、ガンダーラ仏は、そっくりである。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  ローマ皇帝・アウグストゥス


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  ガンダーラ仏のお釈迦さま(美形!!)



・辺境のガンダーラには、お釈迦さまは足を踏み入れたこともない。

だからこそ、この地域ではお釈迦さまを実感したい想いが募り、
仏伝図や仏像が盛んに作られた。


・仏教徒のその想いと、古代イランにあった帝王の肖像彫刻の伝統が

結びついて、仏像が誕生したのではないか。


続きは後日・・。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~



ガンダーラ 仏の不思議 (講談社選書メチエ)


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空想の涅槃シーン・菩薩道バージョンに驚いた

『シリーズ大乗仏教3 大乗仏教の実践』(春秋社)メモの続き。
第4章「大乗仏教の禅定実践」(山部能宜)。


初期仏典=阿含経を読んでいると、具体的にああせぇこうせぇという
生活指針や修行法が書いてあって、人生のマニュアルとして使える。
ところが大乗仏典の場合(一部の有名なのしか読んでないけれども)
では私に何をしろと?ということがわからなかったりする。


この第4章「大乗仏教の禅定実践」では、
大乗仏典の海の中から、禅定の方法が書かれたものを
リストアップして解説してくれて、とても参考になった。


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『八千頌般若経』や『般舟三昧経』のような初期大乗仏典において、
行者が仏と直接見(まみ)える「見仏」の宗教体験が説かれている
ことはよく知られている。
これらの経典における「見仏」は、修行がクライマックスに達した時
に得られる一種の神秘体験であって、必ずしも意図的なイメージ操作の
結果ではなかったと思われるが、禅観経典の段階になると、
仏を見るための具体的な方法論が確立されるに至り、
「観仏」あるいは「念仏」と呼ばれるようになる。


まず仏像をよく観察して、その「相を取る」、つまりイメージを
心に焼き付ける。それから別の静かな場所に赴いて、
目の前に仏像のイメージがありありと浮かぶようになるまで、
瞑想を繰り返し修していくのである。

(同書より引用)
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個々のお経で説かれた実践法は、同書を読んでほしいが、
激しく印象に残ったのは、『梵文瑜伽書』の項だ。
これは、20世紀初頭にキジルとショルチュク(中国・新疆)で
発見された写本断片で、原題不明なので「ヨガの教科書」と
呼ばれているそうで、同書では便宜的に『梵文瑜伽書』としている。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~   キジルってこの辺。





伝統的な修行項目が並んで、有部系と見られているそうだが、
意外なことに強い菩薩思想が見られるという。


たとえば四無量心の「捨」の項。
これがお釈迦さまの涅槃シーンで、ものすごい空想世界なのである。
以下は、写本から同書が概略を書いてくれているもののメモ。


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行者の眼前に、世尊の涅槃シーンが現われる。
世尊は犍稚(けんち・鳴り物)を打って、涅槃の城に入る時が
来たことを知らせる。
涅槃の城には、瑠璃のように輝く門番がいて、
「この城に入った者は再び出ることはない、寂滅に至る」と告げている。

その時、行者の体の中には、以下の4つの象徴が現われる。

・十力(仏の持つ十種の智力)の象徴・・・10頭の象に乗る10の仏像
・四無所畏の象徴・・・獅子座に座る4つの仏像
・三念処の象徴・・・油の入った鉢と武器を持った3人の男性
・大悲の象徴・・・虚空の色をし、金色に輝き青い衣をまとった女性


世尊の体内には、白い色をして白い衣をまとった大悲を象徴する女性
が現われ、「なすべきことはなしとげられ、誓いは果たされ、
弟子たちは成就され、涅槃は寂静となった」と言う。

世尊は「すべては無常で生滅し、その寂滅が楽なのだ」という趣旨の偈を述べ、涅槃の城に入り、虚空のような雲につつまれた灯火のように寂滅に至る。
声聞たちも続いて涅槃の城に入る。


ところが! 行者は門番によって止められる。
その時、一切衆生の海が現われ、悪趣で拘束され、さまざまな苦しみを
受けている。彼らは言う。
悲ある者よ、私たちを救ってください。
般涅槃の城に入ってはいけません
」と。


その時、行者の心臓には、先ほどの大悲の象徴(女性)が現われて、
両手で彼をつかまえて言う。
苦しんでいる者達を捨てて、あなたはどこに行こうというのですか?」
すると捨は退き、悲が優勢となる。
行者は両腕で、一切衆生の海を抱擁するのである。


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のけぞるぐらいドラマチックでしょう?
お釈迦さまが、鳴り物をシャンシャン鳴らして涅槃城の門を入るとか。
修行者が涅槃城に入ろうとしたら、苦しむ衆生が現われて
「涅槃に入るな~。救ってくれ~」と訴え、
あえて涅槃に入らずに衆生を抱きしめるとは、
ベタすぎるまでにわかりやすく視覚化された菩薩道のイメージだ。


この空想の涅槃シーンを絵にした仏画はないのだろうか?


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  千仏洞という有名な仏教遺跡があるキジル


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