空想の涅槃シーン・菩薩道バージョンに驚いた
『シリーズ大乗仏教3 大乗仏教の実践』(春秋社)メモの続き。
第4章「大乗仏教の禅定実践」(山部能宜)。
初期仏典=阿含経を読んでいると、具体的にああせぇこうせぇという
生活指針や修行法が書いてあって、人生のマニュアルとして使える。
ところが大乗仏典の場合(一部の有名なのしか読んでないけれども)
では私に何をしろと?ということがわからなかったりする。
この第4章「大乗仏教の禅定実践」では、
大乗仏典の海の中から、禅定の方法が書かれたものを
リストアップして解説してくれて、とても参考になった。
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『八千頌般若経』や『般舟三昧経』のような初期大乗仏典において、
行者が仏と直接見(まみ)える「見仏」の宗教体験が説かれている
ことはよく知られている。
これらの経典における「見仏」は、修行がクライマックスに達した時
に得られる一種の神秘体験であって、必ずしも意図的なイメージ操作の
結果ではなかったと思われるが、禅観経典の段階になると、
仏を見るための具体的な方法論が確立されるに至り、
「観仏」あるいは「念仏」と呼ばれるようになる。
まず仏像をよく観察して、その「相を取る」、つまりイメージを
心に焼き付ける。それから別の静かな場所に赴いて、
目の前に仏像のイメージがありありと浮かぶようになるまで、
瞑想を繰り返し修していくのである。
(同書より引用)
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個々のお経で説かれた実践法は、同書を読んでほしいが、
激しく印象に残ったのは、『梵文瑜伽書』の項だ。
これは、20世紀初頭にキジルとショルチュク(中国・新疆)で
発見された写本断片で、原題不明なので「ヨガの教科書」と
呼ばれているそうで、同書では便宜的に『梵文瑜伽書』としている。
伝統的な修行項目が並んで、有部系と見られているそうだが、
意外なことに強い菩薩思想が見られるという。
たとえば四無量心の「捨」の項。
これがお釈迦さまの涅槃シーンで、ものすごい空想世界なのである。
以下は、写本から同書が概略を書いてくれているもののメモ。
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行者の眼前に、世尊の涅槃シーンが現われる。
世尊は犍稚(けんち・鳴り物)を打って、涅槃の城に入る時が
来たことを知らせる。
涅槃の城には、瑠璃のように輝く門番がいて、
「この城に入った者は再び出ることはない、寂滅に至る」と告げている。
その時、行者の体の中には、以下の4つの象徴が現われる。
・十力(仏の持つ十種の智力)の象徴・・・10頭の象に乗る10の仏像
・四無所畏の象徴・・・獅子座に座る4つの仏像
・三念処の象徴・・・油の入った鉢と武器を持った3人の男性
・大悲の象徴・・・虚空の色をし、金色に輝き青い衣をまとった女性
世尊の体内には、白い色をして白い衣をまとった大悲を象徴する女性
が現われ、「なすべきことはなしとげられ、誓いは果たされ、
弟子たちは成就され、涅槃は寂静となった」と言う。
世尊は「すべては無常で生滅し、その寂滅が楽なのだ」という趣旨の偈を述べ、涅槃の城に入り、虚空のような雲につつまれた灯火のように寂滅に至る。
声聞たちも続いて涅槃の城に入る。
ところが! 行者は門番によって止められる。
その時、一切衆生の海が現われ、悪趣で拘束され、さまざまな苦しみを
受けている。彼らは言う。
「悲ある者よ、私たちを救ってください。
般涅槃の城に入ってはいけません」と。
その時、行者の心臓には、先ほどの大悲の象徴(女性)が現われて、
両手で彼をつかまえて言う。
「苦しんでいる者達を捨てて、あなたはどこに行こうというのですか?」
すると捨は退き、悲が優勢となる。
行者は両腕で、一切衆生の海を抱擁するのである。
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のけぞるぐらいドラマチックでしょう?
お釈迦さまが、鳴り物をシャンシャン鳴らして涅槃城の門を入るとか。
修行者が涅槃城に入ろうとしたら、苦しむ衆生が現われて
「涅槃に入るな~。救ってくれ~」と訴え、
あえて涅槃に入らずに衆生を抱きしめるとは、
ベタすぎるまでにわかりやすく視覚化された菩薩道のイメージだ。
この空想の涅槃シーンを絵にした仏画はないのだろうか?