仏像はどうやって生まれたのか(「ガンダーラ 仏の不思議」)
結局のところ、一番好きな仏像はガンダーラ仏だとわかった。
お釈迦さまがもっとも美男子だから。
『インド美術史』(宮治昭著)がとても面白かったので、
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-11156701780.html
宮治先生の『ガンダーラ 仏の不思議』(講談社選書メチエ)を
読んでいる。これも、とってもいい本だ。
こんな本が1500円の選書で読めるとは、申し訳なくなってくる。
(アマゾンは古本のみで、510円・・・(泣)。
何事も、いつ・なぜ・どうやって始まったかを知りたくなる
持病があって、仏像の起源を知りたくてこの本を読んだ。
仏像の起源は、中インドのマトゥーラ説と、
北西の辺境・ガンダーラ説があって、決着はついていないらしい。
高校の授業かなんかでは、
「アレクサンダー大王の東征により、
ガンダーラではギリシャ美術の影響を受けた仏像が生まれ」と
習った気もするが、実際はそう単純ではないようだ。
以下、ランダムなメモ。
(1996年の本なので、以後の発見などで変わっているところも
あるかもしれないが)
・ガンダーラ地方にいたギリシャ人(インド・グリーク)に
よって紀元前1世紀頃にガンダーラ仏が作られ始めた、と
想定されてきた(フーシェ、1928)が、どうも違うらしい。
インド・グリークたちはギリシア系美術の足跡を
ほとんどなにも残していない。
・仏像製作と仏伝図像が飛躍的に展開したのは、
イラン系遊牧民が広大な帝国をつくったクシャーン朝時代
(1世紀中ごろ~3世紀中ごろ)なのは間違いない。
特に、カニシカ王は、自分の貨幣に仏像を刻んだ唯一の王である。
貨幣の表には拝火壇に手をかざすカニシカ王、
裏には「ブッダ」等のギリシア文字銘の貨幣が見つかっている。
(ゾロアスター教と仏教のリバーシブル!?)
・ギリシヤ美術の影響説と、ローマ美術の影響説がある。
ローマの皇帝像と、ガンダーラ仏は、そっくりである。
・辺境のガンダーラには、お釈迦さまは足を踏み入れたこともない。
だからこそ、この地域ではお釈迦さまを実感したい想いが募り、
仏伝図や仏像が盛んに作られた。
・仏教徒のその想いと、古代イランにあった帝王の肖像彫刻の伝統が
結びついて、仏像が誕生したのではないか。
続きは後日・・。
ガンダーラ 仏の不思議 (講談社選書メチエ)