仏教はプロテスタント・・200年前のバラバラ仏教観
『新アジア仏教史02 仏教の形成と展開』の第7章「近代から現代へ」(粟屋利江先生著)が、すごくおもしろかった。
「仏教」という概念は、19世紀にイギリス人が“発見”した――しかもアジアを植民地化するなかで発見して体系化したものだという。
その頃、イギリス人、インド人、インド先住民・・・と、立場によって仏教象がぜんぜん違ったらしいのだ。これにはびっくり。
以下は、同書からのメモ。(「」内は引用)
◆イギリス人・・・ブッダは、合理的な私たち西洋人(支配者)に近い!
「イギリスにおけるアンチ・カトリックの風潮は、ブッダを祭官階層(バラモン)と対峙した人物と捉えたうえでルターと比較し、仏教をインドにおけるプロテスタントと評価することを促した。
カースト制度に挑戦し、キリスト教と共通すると見なされた平等、慈愛、博愛を説いた英雄としてのブッダは、因習と果敢に闘いつつインドを「文明化」しようとするイギリス人支配者の自己認識と重なった、と(フィリップ・)アモンドは指摘する」。
◆インド人エリート・・・仏教はヒンズー教の一種!
(ヨーロッパ人の仏教への関心の高まりをうけ、19世紀後半からインドにおいても仏教の再発見が進んだ)
「経典の研究に携わり、インドにおける仏教への関心を復活させたインド人研究者たちの多くは、仏教をヒンドゥー教とは別個の宗教とみなさなかった」(ゼリオットの指摘)
「仏教はヒンドゥー教のより純粋なかたちとみなされ、仏教への関心は、アショーカ王に代表されるような古代インドの栄光を発掘・称揚する熱意に支えられていた。
インドの第2代大統領で自身が著名な思想家でもあるラーダクリシュナンは、ブッダ生誕2500年を記念する出版物に次のように記したのだった。
『ブッダは自分が新しい宗教を説いているとは感じなかった。彼はヒンドゥーとして生まれ、成長し、そして死んだ。彼はインド・アーリアン文明の古代の理想を、新たな強調を加えつつ、再提示していたのだ』」(ゼリオットの指摘)
◆南インドの先住民族・・・仏教はバラモン教より前にあった!
先住民族のドラヴィダ人は、カースト制度の中でアンタッチャブル(不可触賤民)
と大差別されたが、その出身の医師、バンディット・アヨーティ・ダース(1845/50~1914)は、仏教がBC1500年頃に起こったという仮説を提示。仏教のもとに、生まれによる差別もなく平和に調和のとれた生活をしていたところに、アーリア人が侵入し、さまざまな神をでっちあげカースト制度をつくった、と。
たった200年ぐらい前まで、仏教について、こんなに見方がバラバラ(またはトンデモ)だったのかと驚く。しかも、法華経読んだ人と観無量寿経を読んだ人で見方が違うならわかるが、上記の人たちは同じ初期仏典やその周辺をがっちり学んでいたわけでしょう? それでこんなに真逆の解釈が出て来たとは。
やっぱり人は考えたいようにしか考えられないのかしら。
いま私たちが持っている仏教像も、数十年後には全く変わっているかもしれない。
世界は神様だらけ(『リグ・ヴェーダ讃歌』)
仏教を知るには、ヴェーダも少しは知らないとね、ということで『リグ・ヴェーダ讃歌』(辻直四郎訳、岩波文庫)を読んでいる。
インド最古の宗教文献ヴェーダのなかでもとりわけ古くて、
紀元前1200年頃を中心に長い間に作られた詩の集積。
10巻1028讃歌あるうち、一部を日本語訳したのがこの本だ。
日本語で読んでも、どのぐらい意味があるのかわからないが、
ともかく読んでみた。
しかしこれ、どうすればいいんですかね。
すごい数の神様が出て来る。火も雨も風も動植物も神酒(ソーマ)もバターも、ソーマ圧搾用の石も犠牲獣を繋ぐ木柱も、みんな崇拝の対象で讃歌が捧げられる。
これらは、民衆のあいだで生まれた詩ではなくて、プロ詩人たちが文学的技術を駆使して作ったそうだ。
「優秀な讃歌によって神を動かして所願を成就し、庇護者たる王侯貴紳から多くの報酬を得るため、詩人のあいだで激しい競争があったらしく、文学的にすぐれた作品が多数に残っている」(同書まえがき)
この讃歌で神を褒め称えて、いけにえの動物と神酒とを捧げる――と聞いて思い出すのは、お釈迦さまが説いた不殺生と不飲酒の戒だ。
これって、どの程度、アンチ・ヴェーダの文脈があるのだろうか。
今読むと「不殺生」は、あらゆる命は大切ですというラディカルエコロジーみたいに見えるが、当時の人はもっと限定的に「動物のいけにえなんて意味ないからやめておけ」と受け取ったかもしれない。お釈迦様も、そういう含みで言ったのかもしれない。
(こんなことは、ちゃんと研究してる先生がいるだろうけど)
ある歴史的な状況と文脈の中で出てきた話を、どのぐらい普遍的に読み替えていいものかは、ちょっと悩ましい問題ではある。のかな?

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仏教徒VSイスラム教徒の殺し合いは続くinミャンマー
今日、オバマ大統領が、現職大統領として初めてミャンマーを訪問した。
異教徒同士の殺し合いというと、ユダヤ-キリスト教VSイスラム教が激しいので、仏教はピースフルだと思いたくなるのだが、そうとも言い切れない。ミャンマー西部では、仏教徒のラカイン族VSイスラム教徒のロヒンギャ族が、血で血を洗う抗争を繰り広げている。ミャンマーでは人口の89%を占める仏教徒が多数派で、イスラム教徒はわずか4%だ。
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事の発端は、イスラム教徒のロヒンギャ族の若者がある町で、仏教徒であるラカイン族の少女を暴行したと伝えられたこと。報復としてラカイン族は6月3日、ロヒンギャ族が乗ったバスを襲撃し、10人を殺害した。
8日にはロヒンギャ族が暴徒化し、千人以上がラカイン族の22村を襲撃して7人を殺害し、住宅や店舗など約500軒に放火した。混乱は州都シットウェにも拡大し、10日にラカイン族の家屋が焼かれ負傷者が出た。最大都市ヤンゴンでは仏教徒約600人が、「ロヒンギャ族をミャンマーから追い出せ」と叫んだ。
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その後も衝突は続き、11月19日までに少なくとも178人が死亡、双方の民家や寺院が焼き討ちにあって、のべ10万5000人が避難民となっているという。
ロヒンギャ族は、バングラディッシュからの不法移民だと扱われ、国籍さえ与えられていない。オバマ大統領訪問で米国の支援を勝ち取るために、ミャンマーの大統領はロヒンギャ族への国籍付与を検討すると表明した・・と新聞に出ていた。
あと、ミャンマーには少数民族の武装組織、民主カレン仏教徒軍(DKBA= Democratic Karen B
前に見た映画で、キリスト教系民兵の機関銃にマリア像が貼ってあって印象的だったが、民主カレン仏教徒軍は軍服に仏教旗を貼っていた。B
民主カレン仏教徒軍
彼らは敬虔な上座仏教徒。不殺生とかそのへんはお読みになりましたよね?と言うのは簡単だが、どんな宗教を看板にしようとも「人は状況によって寛容にも排他的にもなる」という末木先生の言葉を思い出した。

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