釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -195ページ目

ハイチ地震とブードゥー教

今日、自衛隊のPKO部隊が、大地震のあったハイチに向かいました。

先日、アメリカのテレビ伝道師がハイチ地震を「悪魔と契約を結んだ」
ブードゥー教信者に対する神罰だというナンセンスな発言をして、
物議をかもしたそうです(1月27日)。

ブードゥー教は宗教というより、歌って踊る民間信仰で、ハイチではいまも盛んです。
ブードゥー教の司祭らが「遺体を集団埋葬するのは冒涜にあたる」と異議を唱えたり、
「ブードゥー教にのっとった儀式をきちんと執り行うまで、遺体を触らせないという遺族が多い」
(国連ハイチ安定化派遣団のブラジルの国防省)という報道もあって、
自衛隊も苦労が多そうです。


天災や犯罪や病気など、理不尽な不幸と死に対して、
どうやって自分を納得させればいいのか?
「宗教」が生まれた理由は、ほとんどこれに尽きる、という気がします。

で、その納得のさせ方は、宗教によって当然違いますよね。
たとえば、自分の子供が殺されたら・・・・?


◆ロシアの中学校占拠テロ

2004年、ロシア北オセチア州で、テロリストが中学校を占拠して、
死傷者350人(うち150人以上が子供)を出した事件。
あのときテレビで、子供を殺されたお父さんの口から出た言葉に驚きました。
神はときどき、無垢な魂を欲してお召しになるんだ」。

ものすごい納得のさせ方です!
たぶんキリスト教の一派、ロシア正教の人と思われます。


◆アーミッシュ射殺事件

2006年、米ペンシルベニア州で、アーミッシュ(キリスト教プロテスタントの一派)
の学校で、非アーミッシュの男が銃を乱射して自殺した事件。
監禁された女子生徒ら4人が殺されました。
ところが、容疑者の葬式に参列した人の、約半数はアーミッシュだったそうです。
アーミッシュらは容疑者の遺族を抱擁し、心からの許しを表明した
という報道に、世界中がド肝を抜かれたものです。

「何があっても、恨まない!赦す!」と腹を括るのも、
(ものすごく難しいですが)ひとつの納得の仕方でしょう。


◆お釈迦さまのゴータミー法話

で、お釈迦さまならどうするかというと、
有名な、ゴータミーの逸話が思い出されます。
(殺されたのではなく、病死なので少し違うのですが)

ゴータミーという女性が小さな息子を亡くしました。
ゴータミーは半狂乱になって、遺体を抱えたまま、
「誰かこの子を生き返らせる薬を下さい!」と言いながら
町じゅうを歩き回っていたのです。

町の人に教わって、ゴータミーはお釈迦さまに会いに行き、
「この子を生き返らせる薬を下さい」と頼みました。

お釈迦様はこんなふうに言いました。
「では、家々を訪ねて芥子の粒をもらってきなさい。
そうすれば、芥子で薬を作ってあげよう。
ただし、まだ一人の死者も出したことのない家でもらった
芥子でなければいけないよ


ゴータミーは、家々を訪ねて回りました。
ですが、死人を出した事のない家など、一軒もなかったのです。
ゴータミーは、
「死んだのは息子だけじゃない。死なない者などいないんだ
と知って、お釈迦さまの弟子になりました。
                  
        (テーリガータ=岩波文庫『尼僧の告白』に所収の法話)

すばらしい!!!
ゴータミーに向かって、「みんな死ぬんだから諦めなさい」と、
いきなり言わないところが、この法話の素晴らしさですよね。


ちなみに、ブードゥー教は、私の憧れるニューオリンズでも信者が多く、
黒人音楽に多大な影響をおよぼしております。
最後に、ハイチの復興を願って
J.B. Lenoirのブルース「Voodoo Music」を捧げます。


Voodoo Music - Blues Highway (John Mayall J.B. Lenoir cover)




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お釈迦さまと高級娼婦


聖書には、娼婦マグダラのマリアが重要な役回りで出てきます。
原始仏典でも、もっとも印象的な女性の一人として、
遊女アンバパーリー」が登場します。


釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~ マグダラのマリア(16世紀、ティチアーノ)

                         アンババーリーの画像は見つからず・・・。


80歳でお釈迦さまが亡くなる、最後の旅で、
商業都市ヴェーサリーにある、遊女アンバパーリーが所有するマンゴー林に、
お釈迦さまとアーナンダたちは留まり、食事をふるまわれます。


お釈迦さまは、弟子たちに「よく気をつけておれ」と何度も言っていて、
要は大美女・アンバパーリーの前でも欲情するなよ!と戒めてるわけですね。
弟子だちだって男ですから。


これに対する、中村元先生の注釈が面白いのです。
いわく、

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当時の娼婦はかなり裕福で、園林を所有するほどであった。
商業都市ヴェーサリーは、この娼婦のおかげで繁栄していたとさえ言われる。
アンバパーリーは蓮華のように美人で、躍りも歌も音楽もすぐれていて、
一夜にして50金(っていくら?)を受けた。


彼女はかねてからお釈迦さまに帰依していた。
それを聞いて、王舎城の人々も、負けてなるものか、と思って、
サラーヴァーティーという少女を遊女にしたて、一夜に百金を受けさせた
(わたくし註:すごいですね!高級売春で町おこしですよ)


このような遊女によって代表されるような都市の文化ーー
それは進展しつつあった貨幣経済の所産であって、
ヴェーダの祭りに代表されるような農村共同体の文化とは本質的に違う。

このような爛熟した、退廃的な雰囲気のなかから、
それに対する解決・解脱として、仏教などの新宗教が現れたのであった

                  (「ブッダ最後の旅」P225)

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つまり、今までの田舎っぽい呪術的なバラモン教に対して、
仏教は都会的な宗教であって、
今でいえば東京とかNYのように欲望うずまく退廃的な都市だからこそ、
お釈迦さまは「欲望を捨てよ!」と口を酸っぱくして言ったのだと。


この遊女アンバパーリーには、瀬戸内寂聴がガッツリと食いつきまして、
寂聴先生の小説『釈迦』は、遊女のマンゴー林の生々しいシーンで始まります。



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  寂聴さん。ステーキをペロリと食べます。


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雨の中をアンバパーリーの娼館から帰ったら、竹林の小舎の中で、世尊はまだ眠りつづけていられた。
(中略)
さっき、アンバパーリーが緋色の絹に金糸で花や鳥の刺繍のほどこされた窓のカーテンのかげから、
身を乗りだすようにして、窓の外に立っている私をじれったそうにさし招いていった。


アーナンダさま、もっと近くへお寄り下さいましな。そこじゃお話も出来ませんわ。
それともそんなにこの館が穢らわしくてお厭ですの。

尊師さまは、この館の中で、
あのようにおくつろぎ下さって、私ども穢らわしい女たちが心をこめてお料理したものを、すべて気持よく召し上って下さいましたわ。それなのにそのお弟子のアーナンダさまといったら……」

「そんなつもりはいささかもありません。私は修行がたりないので、世尊のお供でない時は、人一倍自分にきびしくしないと、自信がないのです」

「まあ、何て素直なお方、だから私は、アーナンダさまをお弟子さまの中でも一番頼りにしておりますのよ


 明らかに今朝のアンバパーリーは、それとわかる寝乱れ姿で、化粧もまだ終えていなかった。

漆黒の長い髪がほどけ、肩に垂れさがっている。髪に縁どられた化粧の落ちた素顔はしっとりと自分の脂でうるおされ、口紅のとれた唇は嬰児の口のように瑞々しく、
無憂華(アショーカ)の花の色さながらだった。

                              『釈迦』第一章
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危ない、アーナンダ様!


後に、年老いたアンバパーリーは「テーリーガーター」(「尼僧の告白」)で、
すっかり老け込んだ自分を「無常だわ・・・」と嘆くのですが、それはまた後日。


しかし聖書や仏典で、美しい娼婦が重要なキャラクターなのは、なぜでしょうね。
男性の、「娼婦=聖女論」というか、
昼間(や内面)は聖女なのに夜(や外見)は淫乱

、という理想の女性像を反映していて、そういう経典はウケがいいのでしょうか。
いまでもその理想像は根強いみたいですけどね。



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なぜ阿弥陀仏は発明されたのか?

昔から、お寺でたくさんの「阿弥陀如来像」を見てきました。
娘心に「あなた様は、どちら様?」と思ったものです。

お釈迦さまは実在の人物ですが、
日本ではお釈迦さまより人気がある「阿弥陀様」とは誰なの?と。


阿弥陀仏は、推定・紀元1世紀界隈のインド人が考えた、
「想像上の仏」なわけですよね。

でも、なぜお釈迦さまだけで満足できずに、
阿弥陀仏を”発明”したのでしょうか?



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~  私の好きな浄瑠璃寺の阿弥陀仏、ズラリ9体も。


以下は、『仏典をよむ』(末木文美士著)の2章「無量寿経」をもとに、
自己流で書いたメモです。


阿弥陀が登場する主な経典は、
「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」(いわゆる浄土三部経)があります。
「無量寿経」と「阿弥陀経」はサンスクリット語仏典もあるのでインド成立、
「観無量寿経」は漢訳しかなく、中国などで成立した可能性が大きい。
(一番古い漢訳「大阿弥陀経」の成立が2世紀と推定される)


そのとき次に世自在王仏という名の仏がいた(中略)。
そのとき、ある国王が仏の説法を聞き、心に喜んで、
最高の正しい真実の悟りに向かう心を発して、
国王の位を捨て、沙門(出家修行者)となって、法蔵と名乗った。」


つまり、
阿弥陀も、もともと国王だった!(釈迦のアナロジーでしょうね)
・如来になる前、前世は「法蔵」という名前だった!
・自分で悟りを開いた釈迦と違って、
 「世自在王仏」というお師匠さんがいた


へ~。そうだったのか。


で、阿弥陀は長いあいだ思惟を重ねて、「理想の仏国土構想」を確立します。
どのぐらい長く思惟していたかというと、五劫=約216億年!! 長い!


その構想には48項目あって(「阿弥陀の48願」)、
特に「18願」=心から阿弥陀を信じて、阿弥陀の国に生まれたいなら、
10回思念するだけで実現する=は後々に影響を与え、物議をかもします。
(後の、浄土宗・浄土真宗は、この第18願から来てるんですね)



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~ 「五劫

思惟阿弥陀如来像」の特徴は、どれも髪がもっこりしてること(写真は東大寺)。

200億年以上も考えていたので髪が伸び放題なのだ。  

                      


歴史的にみると、阿弥陀の語源は、サンスクリット語の
アミターバ」(無量の光明)と「アミターユス」(無量の寿命)。
その前半「アミタ」の音写が「阿弥陀」。
起源の違う2つの仏を、合体させたものと思われます。



◆ なぜ「阿弥陀」が必要になったのか? ◆


紀元1世紀ころのインド人は、なぜ阿弥陀を発明する必要があったのでしょう?


・釈迦が亡くなって約500年。次の仏=弥勒が登場するのは56億7000万年後。
 仏不在のまま、そんなに待ちきれない!
 現在も生きていて、私たちを救済してくれる仏が欲しい。


・仏教では、一つの世界に、仏は一人だけと決まっている。
 だったら、「世界は他にもたくさんある」ことにすれば、
 同時にいくらでも仏がいてもOKではないか。


・同時に複数の仏がいることにすれば、
 私たちも輪廻中どこかで仏と出会って「誓願を立てて
 仏に承認されて、修行ののちに仏になれるかも」。



阿弥陀は、西方浄土にいるとされています。
実は当初、東方にも「阿閦仏」の「妙喜世界」があるとされましたが
これは広まらずに廃れてしまいました。
やっぱり、「死後に浄土に行く」→「日の沈む西に浄土がある」
というほうが、説得力があるのでしょうか。


仏が、ある方角にいて、姿を持った外在的な存在だと見るのは、
末木先生いわく
「仏教の正当をはずれたものともいえる。
それに固執した中国の僧・善導と、彼に師事した日本の法然によって、
広まったが、仏教哲学的にはきわめて理論付けにくい」。

ですが、この「他者の存在を前提とする」ところが、

大乗仏教の本質である、と末木先生は言います。



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