釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -176ページ目

やっと観た40年前の大作・珍作 映画『釈迦』

ようやく観ました、1961年製作の超大作映画「釈迦」。
4000円出してヤフオクでDVDを買った価値はありやなしや。
まぁ予想通りだったから別にいいのです。


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<当時の宣伝コピー>

奇跡とロマン! 轟然と崩れ落ちる大神殿!
真二つに裂ける大地! 史上空前のドラマ!
大映オールスター総動員の歴史的一大叙事詩!


<DVD解説>
1961年当時、空前絶後と言われた製作費を投じて、
釈迦の生誕から入滅までを壮大に描いた歴史スペクタクル大作。
古代インドの華麗な王宮の巨大セットをはじめ、衣装は数万着、
それを収納する棟も設けられたほど、
何をとっても既存日本映画のスケールを超えている。
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仏教徒の人なら、あのお馴染みのキャラクターを、
あのお馴染みの名優が演じている、というだけで
楽しめるのではないでしょうか。


釈迦は本郷功次郎(よく知らない)ですが、
悟ったあとははっきり映さずにシルエットや影だけ。
これは正解ですね。パンチパーマで出るのも変ですし。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  釈迦。ヤソーダラー妃役のフィリピン人女優は、

                             2作だけ出て消えてしまった?


ディーヴァダッタは勝新太郎。
仏伝では釈迦の弟子になって教団を割って出るのですが、
映画では神通力を使うバラモンのような修行者でした。


あと、けっこうお色気シーンもあって、
女優さんたちが、本当にきれいでした。
村の女マヤに京マチ子、
子供を食うカリテイ母に山田五十鈴、
アショカ王の淫乱な第一夫人に月丘雪路、
月丘雪路に眼を潰されるクナラ王子が市川雷蔵で
その妻が山本富士子……ほかにもいっぱい。
胸もあらわなインド衣装の名女優たちを見られるだけでも、
観る価値はありました。


どうせ今から観る人はいないと思うので
ネタバレを書いてしまいますが、
最後に勝新のディーヴァダッタが割れた大地に落ち、
地獄行き寸前になるんですね。
そこで上から降りてきたのが、なんと1本の細い「蜘蛛の糸」。
これって、仏典とかに出てきたことありましたっけ?
単に、芥川龍之介から取っただけですよねえ?



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  勝新、若い。


あとね、比丘と比丘尼が抱き合ったりもしちゃってました。

そんなこんなで、突っ込みどころは多いので、
あんまり真面目な仏教徒の方にはお勧め致しません。
このDVD、そのうちヤフオクで売ろう。
釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

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八解脱とは?「大縁方便経」その2

昨日につづいて、
『現代語訳 阿含経典 長阿含経』(末木文美士ほか訳)第3巻、
「大縁方便経」(訳:丘山新)から。

お釈迦さまが阿難に、縁起や無我や解脱を直接説くお経です。


この中に、

「阿難よ、また八解脱というものがある。八とは何か」。

という節があります。


解脱解脱と言うけれど、それが具体的にどういう状態なのか、
イメージできなかったりしますよね。
しかも解脱には8段階あるというんです。
大乗、禅からオウムまで、各種の「解脱」観があるのでしょうが、
ここはひとつ本家の説明を記しておきましょう。


以下、「 」が「大縁方便経」のお釈迦さまの言葉、
その下が同書の解説です。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ ミャンマーのアーナンダ(阿難)寺院


・初解脱
 「(心内の)物質(想念)により(外界の)物質を観ずる」
 意識に物質的な貪りの想念があり、これを除くために
 外界の不浄青瘀(せいお。死体が風雨で変色すること?)等の物体を観て、
 貪欲が起こらないようにする。
 この初解脱は四禅のうち初禅に依り起こり、欲界の物質を対象とする。
   
・第二の解脱
 「心内に物質想念がなく、外界の物質を観ずる」
  意識内に物質に関する貪りのための想念はないが、それをさらに堅固に
  するために外界の不浄なる物質を観じて、貪欲を起こさせないようにする。


・第三の解脱
 「清らかなる解脱」
  浄らかな対象を観ずるから浄解脱という。

  

・第四の解脱
 「物質想念を超え、対立想念を滅し、雑多な想念を心に思い浮かべず、
  虚空の(無限であるという)境地を超越し、意識の(無限であるという)
  境地に住まう」
  
・第五の解脱
  「虚空の(無限であるという)境地を超越し、意識の(無限であるという)
   境地に住まう」


・第六の解脱
  「意識の(無限であるという)境地を超越し、いかなる(心の)作用もない
   という境地に住まう」


・第七の解脱
  「いかなる(心の)作用もないという境地を超越し、
   想念があるでもなく、ないでもない境地に住まう」


・第八の解脱
  「(心と心のはたらきとをすべて滅しつくした)滅尽定」


「比丘たちはこの八解脱において、あるいは順行し、あるいは逆行し、
 自由自在に出入りする。このようにして比丘は、
 (心解脱と慧解脱との)倶解脱を得るのである」


※心解脱(心の貪りを離れている)、慧解脱(無明を離れている)


風船の糸が切れるように、パッと煩悩から解き放たれるわけでなく、
やはり段階を踏んで、なんですねぇ。

この「八解脱」は「倶舎論」や「大智度論」、
大乗では「法華経」にも書かれているそうですが、
かなり初期の段階で成立していたということですね。


まだ初解脱も経験していない私としては、
「外界の不浄なる物質を観じる」ところから始めねば。
これは例えば、なんとか一発性交したいと焦がれる男や女がいるとして、
彼・彼女が死んで腐ってウジがわくのを想像する、
みたいなことなのでしょうか? 解釈まちがってる?


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お釈迦さまがズバリ縁起を解説「大縁方便経」(阿含経典)

初期仏典を訳した
『現代語訳 阿含経典 長阿含経』(末木文美士ほか訳)の
第3巻を読み始めました。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


今日読んだのは「大縁方便経」(訳:丘山新)。
「長阿含経」の第13番目のお経
(パーリ語長部経典=ディーガニカーヤ=では第15経


「大縁方便経」という名のとおり、
「縁起説」についてバッチリ解説しているお経です。
仏教の中心思想である「縁起」を
お釈迦さま自らアーナンダに説いているとなれば、
これは読むしかない。


縁起説はある時期から、
「十二支縁起」がオフィシャルとされていますよね。

すなわち
無明ー行ー識ー名色ー六処ー触ー受ー愛ー取ー有ー生ー老死
(玄奘訳。訳者によって微妙に違う支もある)


ところが、おもしろいことに、
この初期仏典「大縁方便経」にはさまざまな縁起が混在しているのです。

・五支縁起(老死から愛まで)
・九支縁起(老死から識まで)
・十支縁起(九支+六処)
・十二支縁起


要は、お釈迦さま自身が縁起の基本構造を悟ったとしても、
その後、紆余曲折を経て十二項目に整えられたらしいです。

解説によると、
「縁起説はかなり遅れて成立し、
殊に十二の項目を立てる縁起説は最も遅れて完成したものである」
「成立過程で特に有力であったとされるのは五支縁起」。


まあ、それは置いておいて・・・
告白すると、私は「縁起説」がよくわかりません!
「なぜこんなに苦しいのか」を解明した、
仏教の基本中の基本なのに、
「大縁方便経」でお釈迦さまに説明されてもピンとこない。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  縁起鯉Tシャツ。

                                  「縁起がいい」「縁起を担ぐ」とは、これいかに。


「愛→取」(渇愛があるから執着がある)とか、
二支関係はなんとかわかるのですが、
十二項目が「そうか!」と膝を打つようにクリアになって、
子供にでも説明できるぐらい「わかりたい」のですが・・・。


バカにでもわかる縁起の解説本はないでしょうかねえ。

続きは後日。





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