八解脱とは?「大縁方便経」その2
昨日につづいて、
『現代語訳 阿含経典 長阿含経』(末木文美士ほか訳)第3巻、
「大縁方便経」(訳:丘山新)から。
お釈迦さまが阿難に、縁起や無我や解脱を直接説くお経です。
この中に、
「阿難よ、また八解脱というものがある。八とは何か」。
という節があります。
解脱解脱と言うけれど、それが具体的にどういう状態なのか、
イメージできなかったりしますよね。
しかも解脱には8段階あるというんです。
大乗、禅からオウムまで、各種の「解脱」観があるのでしょうが、
ここはひとつ本家の説明を記しておきましょう。
以下、「 」が「大縁方便経」のお釈迦さまの言葉、
その下が同書の解説です。
・初解脱
「(心内の)物質(想念)により(外界の)物質を観ずる」
意識に物質的な貪りの想念があり、これを除くために
外界の不浄青瘀(せいお。死体が風雨で変色すること?)等の物体を観て、
貪欲が起こらないようにする。
この初解脱は四禅のうち初禅に依り起こり、欲界の物質を対象とする。
・第二の解脱
「心内に物質想念がなく、外界の物質を観ずる」
意識内に物質に関する貪りのための想念はないが、それをさらに堅固に
するために外界の不浄なる物質を観じて、貪欲を起こさせないようにする。
・第三の解脱
「清らかなる解脱」
浄らかな対象を観ずるから浄解脱という。
・第四の解脱
「物質想念を超え、対立想念を滅し、雑多な想念を心に思い浮かべず、
虚空の(無限であるという)境地を超越し、意識の(無限であるという)
境地に住まう」
・第五の解脱
「虚空の(無限であるという)境地を超越し、意識の(無限であるという)
境地に住まう」
・第六の解脱
「意識の(無限であるという)境地を超越し、いかなる(心の)作用もない
という境地に住まう」
・第七の解脱
「いかなる(心の)作用もないという境地を超越し、
想念があるでもなく、ないでもない境地に住まう」
・第八の解脱
「(心と心のはたらきとをすべて滅しつくした)滅尽定」
「比丘たちはこの八解脱において、あるいは順行し、あるいは逆行し、
自由自在に出入りする。このようにして比丘は、
(心解脱と慧解脱との)倶解脱を得るのである」
※心解脱(心の貪りを離れている)、慧解脱(無明を離れている)
風船の糸が切れるように、パッと煩悩から解き放たれるわけでなく、
やはり段階を踏んで、なんですねぇ。
この「八解脱」は「倶舎論」や「大智度論」、
大乗では「法華経」にも書かれているそうですが、
かなり初期の段階で成立していたということですね。
まだ初解脱も経験していない私としては、
「外界の不浄なる物質を観じる」ところから始めねば。
これは例えば、なんとか一発性交したいと焦がれる男や女がいるとして、
彼・彼女が死んで腐ってウジがわくのを想像する、
みたいなことなのでしょうか? 解釈まちがってる?

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