釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -162ページ目

仏教は一神教くさい!? 梅棹忠夫氏の直観

7月に亡くなった比較文明学・文化人類学の巨人・梅棹忠夫氏。             
仕事上の必要があって、氏の『文明の生態史観』(中公クラシックス版)
を初めて読みました(訃報を機に、文庫はけっこう売り切れてるんですよ)。


意外だったのですが、ベストセラー「文明の生態史観」も含めて、
「論」とか「批評」というより、エッセイに近いんですねぇ。
仮説たてっぱなしの検証なし。
でもその仮説がものすごくユニークなのが、天才と呼ばれる所以なのでしょう。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  山岳部出身で動物社会学者もあり、仮説が野太い!


「文明の生態史観」は実はあんまり説得力を感じなかったのですが、

面白かったのは同書に収録されていた仏教関係の記述です。

たとえば、梅棹氏が1955年にアフガニスタン~インドを旅行したときの
印象を書いた「東と西のあいだ」(56年)というエッセイには、
おどろくべきことが書いてありました。


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「インドの仏教では、おシャカさまがたいへんいばっているという印象を受けた
仏教の寺へいっても、おシャカさまの像があるばかりでほかにはなにもない」


「むしろまるで一神教的なにおいさえする
仏教というものは、ひょっとしたら、多神教であるヒンドゥー信仰の中から、
一神教的な宗教形態が、自己を差別的に確立していったものだ、
というような見かたさえできるのではないか」。


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ええ~、仏教が一神教!?

梅棹氏自身が、仏教の知識はあまりないと書いていますが、
とはいえ「たんに大乗仏教と南伝上座仏教とのちがいかもしれない」
ぐらいのことは前提として書いています。
でも、フィールドワーカーの直感として正直だなぁと思いました。


「人間・釈尊への”信頼”と、絶対神への”信仰”は違う」
等々の理屈をつけることはいくらでもできるのですが、
私なんかも携帯電話の待ち受け画面がお釈迦様ですし、
お釈迦さまだけが本当のことを知っているという思いもあるし、
一神教とどれほどの違いがあるか怪しいものかもしれません。

初期仏典にも神々が出てくるとはいえ、何の権限もない、精霊みたいなものですし。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  

ミャンマーのカックー遺跡。お釈迦さまの骨を奉るストゥーパの異常な数は、

傍からみたら一神教的かも・・・。


それから、同じ本に入っている
比較宗教論への方法論的おぼえがき」(65年)も面白かったです。
いわゆる「宗教=ウイルス説」が展開されています。


「宗教についていえば、いったいどういうわけで、こんなものが発生したのか」
宗教は、人類の生存にとって、なんらかの意味で正常ならざるもの、
病的なものであるかどうかは、
宗教というものの人類史的意味が
もうすこしはっきりしてからでないと、なんともいえない」


という問題意識を持って、
宗教を分析するうえで役立つアナロジーとしてあげたのが、
なんと「疫学」、つまり「伝染病」です。


「宗教と伝染病のあいだには、かなりの類似点がある」

・宗教的観念あるいは行為(仏教ならお釈迦さまの教え)=病原体
・司祭や僧侶など伝播の専門家=病原体をまきちらす保菌者
・信仰や帰依=感染(保菌者に触れても発病する人としない人がいる)
・社会的要因(宗教も伝染病も、その蔓延には社会構造や気候など諸条件が関係する)


そして、エンデミック(地域宗教=土着の風土病)と、
エピデミック(世界宗教=世界的に感染する伝染病)がある、と。

インドの場合、バラモン教→仏教→ヒンズー教という歴史をたどり、
エルサレム界隈の場合、ユダヤ教→キリスト教→イスラム教という歴史をたどり、
どちらも3000年でエピデミック(世界宗教)3種類にしか感染していない。
それは、ある土地に宗教に対する「免疫」ができ
免疫期間がすぎたころ新たな宗教に触れると感染すると。
かのように、梅棹氏は書いています。


めちゃめちゃな仮説だなぁという感想と共に、新鮮さも感じます。
宗教に思い入れがあれば、「伝染病」に例えるバチあたりな発想は

出てきませんよね。
たまには、お釈迦さまに何の思い入れもない人の
本も読んでみるもんだ、

と思いました。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

文明の生態史観ほか (中公クラシックス)



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111歳即身成仏サギと、海老蔵・密教ウエディング

7月28日、足立区で111歳とされるお爺ちゃんが、白骨遺体で見つかりましたよね。
遺族は「30年前に即心成仏するといって部屋にこもった」と

シブい釈明をしていますが、全国の仏教関係者が

「それは即身仏の間違いじゃないかい?」と突っ込んだのでは。


即身成仏と、即身仏は別物だそうです。


即身成仏…厳しい修行のすえ現生の肉身のまま生きた仏になること。
     日蓮宗・真言宗・天台宗などで説いているが、少しずつ定義は違うらしい。
     空海著の『即身成仏義』は、修行者が大日如来の真理と一致したとき即身      

     成仏すると説く。
    
即身仏……ひとことで言うと瞑想したまま餓死したミイラ仏。
     1000~5000日間、山草・木の実だけを食べる「木食行」を行い、

     永遠の生命(要は死)を得る。
     密教的には、大日如来と一体化しているのであってミイラではない、とか。


とすると、足立区のお爺ちゃんは、どちらかというと即身仏ですよね。
あるいは、即身成仏するつもりが即身仏になっちゃったのかもしれませんが。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ 山形県・注連寺(真言宗)の鉄門海上人の即身仏(18世紀) 


遺族は、お爺ちゃんの居場所を聞かれると

「弟がいる岐阜の正道寺で説教している」
などと答えたそうなので、仏教的なおうちなのでしょう。
お釈迦さまが初転法輪で説いた「肉体的な苦行はムダ」という教えを
密教ではどう考えているの?という疑問はさておき、

年金詐取の釈明としては秀逸でした。


密教といえば、海老蔵&麻央の結婚式が、真言宗の仏教式でしたね。
成田山新勝寺の出前結婚式で本尊・不動明王が借り出されていました。
HPによると、新勝寺で結婚式をやると初穂料30万円だそうです。安い。

めったにない仏教ウエディングが注目されてよかったですね。


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「律蔵」1巻をつい買っちゃった

数日前のブログで、「律蔵」がめちゃくちゃ面白いらしい、
ということを書きました。

http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10596500065.html


<お釈迦さまは戒律を机上でつくったわけではなくて、
サンガ(僧団)でケシカラン事件がおこったらその都度、
戒律を決めていきました(随犯随制)。
だから「律蔵」には、その戒律ができた背景として、
「こんなダメ弟子がいた」という由来が書いてあるそうなのです>
つまり当時のダメ弟子事件簿として読めるわけです。

ですが、律蔵は「南伝大蔵経」(パーリ語を旧仮名遣いの日本語訳にしたもの)
の5巻組しかないというので、当面手を出すつもりはありませんでした。


ところが昨日、神保町で偶然見かけ、つい買ってしまいました…。
神保町の、仏教・東洋史専門古書店「東陽堂書店」に行ったら、
外のワゴンに「南伝大蔵経・律蔵大1巻・オンデマンド版」が
2000円で売られているではないですか。
しかもそのとき酔っ払っていたもので、つい購入…。
後で調べたら、定価4900円ぐらいのようです。
http://touyoudou.jimbou.net/catalog/index.php


中はご覧のように超読みにくいですが、確かに面白そう。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


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例えば
人女の三道に於て不浄法を行ぜば波羅夷なり、大便道・小便道・口なり」。
つまり
前でも後ろでも口でもヤッちゃったら教団追放、だそうです。


比丘なる怨家、人女を比丘の前に伴い来たりて、
大便道を以って生支におかしめんに、
彼若し入時に楽を覚え、停住に楽を覚え、出時に楽を覚えれば波羅夷なり
」。

つまり

入れるときも中でも出すときも気持ちよければ教団追放、だそうです。


お釈迦さまは「智慧とは列挙なり」と言うだけあって、
いちいちを列挙するところが几帳面ですよね。


律蔵に手を出して初めて、お釈迦様追っかけ隊の仲間入り、という気もしますし、
1巻だけでもそのうち読んでみることとします。



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