仏教は死刑を認めるか(末木文美士先生コラム)
先日、ブログのコメント欄に、読売新聞に仏教学者の末木文美士先生が
書いたコラムについて、おかしいのではないかと書き込みを頂きました。
「見えざるものへー死刑に思う死者の世界」読売新聞夕刊2/21付。
(返答コメントで「関西版」と書いてしまいましたが、
関東版だったので読めました)。
「本当に死刑を是認していいのか、とりわけ宗教の立場から
もう一度しっかり議論する必要がある」と問題提起する文章です。
コラムはまず「死刑を維持する理論的根拠」を否定していきます。
・世論が支持していることが正しいとは限らない
・抑止力という根拠は薄弱
(死刑を廃止した国で凶悪犯罪が増えたという統計はない)
・遺族感情が絶対とはいえない
(被害者や遺族が冷淡に扱われてきたことは反省すべきだが)
・冤罪事件が少なくない
これは死刑反対派がよくする主張であって、わたしも同感です。
「死刑は単純な死ではなく、それ自体が殺人である。
人を殺すことが許されないというのに、死刑という制度は
どんなに言葉を飾っても、実質は報復の殺人を是認することである」
「原則的な立場から言えば、仏教であれ、他の宗教であれ、
たとえ報復のためであっても殺人は認められないはずだ」。
これも同感。
「反省もしてない凶悪な殺人者を被害者と同じ死者の世界に
送ってよいのか、という疑問である。
もちろん死者の世界がどうなっているか分からない。
しかし、もしかしたら死者の世界で無防備の被害者が
再び加害者とめぐりあう可能性がないとはいえない」。
これには脳内で???が飛び交いました。
コメントくれた方も、批判していたのはこの部分です。
確かに死者の世界は分からないのだけれど、
ゴリゴリ合理主義者の私にはピンとこないです・・・・。
ところで、いま仏教界は死刑制度にどういう態度なのでしょうか?
実際の執行は別として制度として死刑存置な国を調べると、
日本、中国、タイ、台湾、スリランカ――って
仏教徒のいる国が軒並み存置じゃないですか!
「仏教の立場から死刑が是か非か」といえば、
「お釈迦さま以来ずっと殺生はダメなので、死刑反対。以上」。
この一言で済んでしまうのでは?
古代インドでは今とは比べものにならないくらい
凶悪犯罪がはびこっていたはずですが、お釈迦さまは
「被害者による報復殺生ならかまわぬ」などと留保条件をつけなかった。
シャカ族が殺戮されるのを指を加えて見ていた(?)ぐらいに
「殺生、ダメ、ゼッタイ」なわけですよね。
あと、私が疑問に思うことは、
死刑の判決文によく「更生の可能性は皆無」とあるでしょう。
あれを仏教的に翻訳すると「この有情に仏性は皆無」という話でしょう?
「すべての人どころか草木にまで仏性がある説」が好きな日本人が、
世論調査ではなぜか死刑容認85%。 なのに死ねばみな仏。
人々の頭の中でどう両立しているのでしょうか。
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国の治め方を説く珍しいお経(金光明経1)
しばらく休んでいた大乗仏典斜め読みを再開しました。
駆け足で解説するこの本は、密教ファンには不評でしょうが、
全容をざっくり眺めるぶんにはよさそうです。
本日読んだのは、4世紀頃の成立とされる
「金光明経」(スヴァルナプラサーバ・スートラ)です。
そのものズバリの密教経典ではないですが、
密教の特徴であるダーラニー(陀羅尼=呪文)がたくさん出てきて、
法華経から密教に移行する中間のお経と捉えられるそうです。
「金光明経」の一番の特徴は、
「国を治めるにはどうしたらいいか」が説かれていることです
(正論品第十一)。
「仏・菩薩の神通力や威神力で国を護るのではなくて、
ブッダが教えたような正しい道理に従って国王が国を統治するならば、
ヒンドゥー教や一般民間信仰で認めているような神々が、
その国王または国土を守護するのである―ということです」
(同書解説より)。
この「金光明経」はインドではマイナーだったけれども
中国・日本・チベットなどではとても重用されたそうです。
「我」に実体がないと言っている仏教にとって、
もっと実体のない「国家」なんかどうでもよさそうですが、
一方で、インドでも古来、お釈迦さまと転輪聖王(架空の理想の王)を
オーバーラップしていたわけですし、
仏道で国がうまくいくという信仰は最初からあったのでしょうね。
サンスクリット原文では、
国王が正しい政治を行う→神々が加護し、雨風の自然現象も順調になる。
それが、漢訳(曇無識による)だと、
国王の力で神々を加護せしめ、雨風を順調ならしめる、と微妙に変化するとか。
「これは、国王が自然現象をも支配しうるという
中国の伝統的な災異説の思想に基づいているのでしょう」(同書解説より)。
そして、日本のように、国策として仏教を輸入した国には、
この「金光明経」はぴったり。
たとえば聖武天皇が8世紀に、全国津々浦々につくった「国分寺」は、
正式名称が「金光明四天王護国之寺」なんですって。知らなかった。
政治がダメだから転変地異が起こるんだよ、ということは、
「金光明経」に基づいて日蓮上人も怒っていましたね。
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お釈迦さまも十大弟子も金持ちだった(「大乗仏教興起時代」4)
ちびちびと読んで来た『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』
(グレゴリー・ショペン教授著)を、やっと読み終わりました。
現存する律(僧院規則)のなかで最古だと教授が主張する
「根本説一切有部律」(1~2世紀?)を読み解いて、
明らかになった僧院の姿は、いままでのイメージをひっくり返すものでした。
なかでも白眉は、「僧院と経済」。
つまり、一般のイメージ=初期の僧院は”清貧”で、
お金のことなど考えずに修行だけに励んでいた=というイメージとは違い、
お金のことを考えまくりだったということが証明されるのです。
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「僧とは私的財産を放棄した人」
「初期の教団は財産を持たず金銭に清潔だったのに、
だんだん蓄財をするようになって堕落した」
というようなロマンティックな妄想を、教授はまず否定します。
堕落ではく、規則そして財産は持っていた。
根本説一切有部律のなかに「貧困の誓いというようなことを
示唆するものは絶対に存在しません」と。
キリスト教でも仏教でも、
現存する最古の僧院規則を見ると僧は明らかに財産を持っている、
「お釈迦さま時代の教団」の律は残っていないのだから
誰もその実情を推測することなどできない、というわけです。
財産についての記述が溢れているので書ききれませんが、
以下はその一部です。
お釈迦さまが「寄進者から貨幣を受け取って思い通りに使うべきである」
と言うなど、お釈迦さま自身の方針という形で書かれています。
・僧は金銀を所有していた
金と貴金属を寄進されたら、3つの取り分に分けなければならない。
①仏陀 ②法のためのもの ③僧院の取り分 に分けて、
僧院の取り分は僧たちのあいだで分配する。
寄進者から物品を寄進された場合は、それを売って貨幣に換えてもよい。
「僧はお金を触ってはいけない」という規則があるにはあるが、
全体としてそれに触れている部分は少なく、些細な規則だったようだ。
・僧は建築現場監督でもあった
托鉢僧は在家者に「福業事」(物質的な善行)を進める。
たとえば「僧院には浴室がないのでそれを寄進してほしい」などと。
そして、僧自身が「私が功徳の協力者になります」といって、
建築現場監督として賃労働者を雇って、設備を完成させた。
・「福徳者」とは「有名で金持ちな僧」
特定の僧を指名する寄進は本人のものになったので、
ジュニャータ・マハープンシャ(高名で大功徳ある者)と呼ばれる僧がいた。
あまり徳の高くない僧・ウバナンダなどにもこの称号が使われている。
つまり、「福徳者→金持ち」ではなくて、「金持ちなら徳が高い」という、
ほとんど「稼ぐが勝ち」(Byホリエモン)のような世界があった。
一方で、無名で貧乏な僧もいる”格差社会”だった。
・お釈迦さまをはじめ有名弟子は金持ちだった
ご指名の多い有名僧、シャーリプトラもマハーカーシャパもみんな金持ちだった。
たとえばマハーカーシャパは、お釈迦さまの供養を完全にやり直しているが、
1回目の葬儀用品をそろえるのにクシナーラー全村がかかわったことを考えると、
マハーカーシャパの私有財産は村まるごとの資産を上回ったと思われる。
もちろん、一番の金持ちはお釈迦さま。
『アヴァダーナ・シャタカ』にも、「世尊は有名で金持ちで、これこれの財産を
持っていた」という常套句が100回登場する。
・仕事のために修行を休んでもよい
安居(修行期間)に入っていたために、寄進をもらいそこねた例があって、
お釈迦さまは妥協することにした。
「世尊は自ら考えられた。ああ、私の弟子たちは布と食物との寄進を
必要としている。僧が安らかに生活できるように、かつ寄進者の布施を
生かすために、7日間の猶予を公認すべきではなかったか。
だから私は、業務の場合には7日間の認可を受けて出かけるべきことを公認しよう」
(安居時)
そして、在家者から「寄進します」とか「説法してください」といって招かれた
場合などは、届けを出して7日間は安居を休んで仕事に行くよう、定められた。
きりがないのでこのへんにしておきますが、なんたる人間くささ。
私は今まで、このブログでも「初期教団の僧は労働禁止」と乱暴に書いていましたが、
農業などの生産労働をしなかっただけで、僧の「仕事」はたくさんあったんですね。
仕事のけっこうな割合は、寄進がらみのようで、
いつの時代もスポンサー集めには苦労がつきものだったようです。
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