釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -127ページ目

白毫は毛ではなく腫瘍なの!? (平山郁夫と文化財保護展)

昨日はロクに仕事もせずに、
上野の「平山郁夫と文化財保護」展(東京国立博物館平成館)に行ってきました。
http://www.asahi.com/hirayama/   (3月6日まで)


平山郁夫御大の絵に興味がないのでうっちゃっておいたのですが、
出展されているガンダーラ時代の仏像をやはり見たくなって、
しかも休日は大混雑に違いないので
終了間近の今頃になって行ってきました。平日でも混んでました。


行ってよかったです。
仏像が作られはじめて間もない2~3世紀の、
お釈迦様像の中でもっとも美男子類のレリーフ・仏像は見る価値ありでした。



釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  

2~3世紀の仏陀坐像。

まぁ山梨の「平山郁夫シクルロード美術館」に行けば見られるのですが。


それと、あらたなる発見もありました。


◆白毫は毛ではなく良性腫瘍である!?


「仏陀の三十二相」といって、仏の身体的特徴というか図像が定められている中に、
「白毫」つまり眉間のあいだのポチッとした突起があります。
一般にあれは、眉間のあいだに生えた白く長い毛の渦とされています。


ですが、図録を買わずにセコく見本を立ち読みしていたら、
気になる記述がありました。
立ち読みなので言葉尻は不正確ですが、こう図録の説明に書いてあったのです。


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白毫はインド発生で毛であると仏典にあるが、それは間違いである。
本当は良性腫瘍であって、イラン族の間で、

神が与えた正当なる権力の証であるとされた。
仏像制作の際に、

それを、転輪聖王に匹敵するとされた仏陀に転用したものである

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えっ! 白毫って「腫瘍」なの?

この項を書いたのは、中央大学教授の田辺勝美という先生
あとで調べたら、「仏像の起源」などを研究している仏教美術の先生でした。
ガンダーラ美術が「ギリシャとインドの文化交流で」云々は高校生でも知ってますが、
そこにイラン(ペルシャ)文化が激しくブレンドされて初めて仏像が誕生した、
というのが田辺教授の説らしいのです。
白毫=イラン起源説も1985年の専門誌『佛教美術』(毎日新聞社)に
田辺教授が書いていて、今も図録に書いてるということは
学界でオフィシャライズされた説なのでしょうか?


考えてみればイラン文化の影響は当然で、
仏像が誕生したのはお釈迦さま入滅後、500年ぐらいたった北インド。
当時は「クシャーン朝」、つまりイラン系遊牧民が北から進出して
建てた王朝のもとで、ガンダーラ地方の仏像制作がはじまったわけです。


今回出展されていたレリーフの中でも、
お釈迦様の横に、レリーフを寄進した金持ちの像が刻まれていて、
それが明らかにイラン系遊牧民の格好をしているものもありました。
彼らは北インドから絹やら香料やらをローマに輸出して、大変な金持ちで、
もとはゾロアスター教徒だったのが仏教に改宗して、盛んに寄進をしたわけです。
大乗仏教も、彼らイラン系民族に支持されて、盛り上がったきたとされています。


田辺勝美教授の著書を探したら、『仏像の起源に学ぶ性と死』(柳原出版、2006年)という本が相当に面白そう。ですが1万6800円という泣ける価格でした・・・。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~


<アマゾンの紹介コピペ>
豊富な遺物・文献に基づき、研究成果の集大成として、新しい“仏像の起源”を提示する。図版満載。
“仏像の起源”や“ガンダーラ美術の起源”の研究は仏教経典やガンダーラの歴史を中心に考察されてきた。そのた
め曖昧模糊とした仏像の起源論にとどまっているのが現状である。
著者は人間存在における仏像起源の真相にせまるべく、仏像の背後に蠢く仏教徒の本心や浅薄な人間の欲求、際限の
ない欲望などを視野に入れながら、日本をはじめとする関連地域の資料・遺物を丁寧に分析し、その核心を究明した。21世紀に相応しい仏像の起源論である。



金剛力士像の起源はヘラクレス


これは有名な話ですが。
出展されていた中に、「執金剛神またはヘラクレス頭部」(クシャン朝、2~3世紀)
というのがありました。どう見たってギリシャ彫刻です。
また、お釈迦さまの横に、ボディガードとして執金剛神がいるレリーフもありました。


執金剛神(サンスクリット語で「ヴァルジャパーニ」)は、
ガンダーラ美術では釈尊のボディガードとして至るところに登場するのに、
それ以外の仏教美術や仏典には全然登場しないそうです
(文献では「根本説一切有部律」だけに登場する)。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
右がヘラクレス=執金剛神。これは今回の出展でなく大英博物館蔵


この執金剛神のモデルはヘラクレスだというのです。
ガンダーラにいたギリシア人の仏師が取り入れた図像なのでしょうね。
これが、金剛力士像の起源だというから、
東大寺南大門のあれは、ヘラクレスの発展形というわけですね。



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新興企業の社長としてのお釈迦さま(『大乗仏教興起時代3)

あまりに面白いため、連日『大乗仏教興起時代~インドの僧院生活~』
(グレゴリー・ショペン著・春秋社)について書いてしまいます。
いいのかな? 宣伝になるか。でも版元品切れだから意味ないか。


この本でショペン教授は、碑文や僧院からの出土品という考古学的資料と、
教団の規則である文献「根本説一切有部律」を照合しています。

そこに現れるお釈迦さまの姿は、従来の「俗世を捨てた」イメージとは
まったく違っていて、驚きます。
日常の些事に頭を悩ませながら、新興教団を運営する、
ほとんど「新興中小企業の社長」といった風情なのです。


文字の刻まれた日用品

インド北部の僧院遺跡から、文字の刻まれた日用品が大量に出土されている。
これは、僧院の財産に記銘をせよ、という規則に対応している。
「根本説一切有部律」にはこのような記述がある。

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■お釈迦さまの教え
「シーツと寝具を区別し、所属を記すべきである」


昔、一人の在家者が「森の僧院」と「村の僧院」の2つを持っていた。
あるとき「森の僧院」で祭りがあって、僧が「村の僧院」に
シーツや寝具を借りに行ったが、「村の僧院」の僧は貸さなかった。
世尊が「それらを貸さなければならない」と言った。

祭りが終わったとき、「森の僧院」の僧は、シーツや寝具を
返さなかった(どうせ同じ在家者の僧院であるため)。
世尊は「それらは力づくでも取り返さねばならない」と言われた。
でもそれらは、森のと村のとぐじゃぐじゃになって、
どちらがどちらのかわからなくなっていた。

世尊は「『この寝具とシーツは森の僧院に属する』というように記せ。
寝具とシーツをはっきりと区別できるようにして使用すべきである」
と言われた。

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なんなの、これー!?
人類の至宝である釈迦牟尼スーパースターが、
「シーツや寝具を別館から取り戻せ。今後はちゃんと<本館>と書いとけよ」
って、温泉旅館のオヤジさんのような指示を出してるのです。


◆僧院の財産に押した印章


インドの広い地域の僧院遺跡でさまざまな年代の印章(ハンコ)が出土されている。
2~3世紀は様々な図案なのが、5世紀以後は突然「車輪と2頭の鹿」に統一される。それに対応するように、根本説一切有部律には、印章に関して以下のような記述がある。

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■ 男女の性器を印章に刻んだトンデモ僧


あるとき、僧院に泥棒が入り、貴重品保管室と僧個人の独房から品物を盗んだ。
個人の所属物(僧が寄進されたもの?)がグジャグジャになって、
どれが誰の所有物かわからなくなってしまった。
そこで世尊は「以後は印章を付けることを許可する」と言われた。

ところが、それを聞いた六比丘衆は、金・銀・瑠璃・水晶で印章をつくり、
あらゆる飾りでゴージャスに飾った印章付きの指輪をはめ、
バラモンや在家者を見かけると、指輪で飾り立てた手を見せながら
「みなさん、ごきげんよう」と言った。
しかも六比丘衆は、こともあろうに印章に性器まるみえの男女を刻み(!)、
見せびらかした。

それを見たバラモンや在家者は「あんたら、それでも坊さんか?」と呆れ、
僧たちはそれを世尊に報告した。

世尊は、「印章付きの指輪は禁止。印章は真鍮・銅・青銅・象牙・角に
せねばならない。図案は、教団の印章は<車輪と鹿>、
個人の印章は<骸骨か頭蓋骨>にせねばならない」と言った。

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お釈迦さま、ハンコの素材や図案まで管理せねばならなかったのですね・・。
「シーツを返してくれません!」「ハンコに性器を刻んでるヤツがいます!」
などという案件が日々持ち上がるとは、社員(僧)の質としていかがなものか。
豪華な指輪で「みなさん、ごきげんよう」って、どんな俗物僧なのよ。


このような風景は、パーリ律からも伺え、
以前のブログで「お釈迦さまは町工場の社長みたい」と書きましたが、
あながち間違ってなかったようです。
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10596500065.html

ただショペン教授が書いているように、
「根本説一切有部律」は1~2世紀に書かれたか編集・編纂されたもので、
お釈迦さま時代の教団の姿をどの程度あらわしているかは、わかりません。
500年以上あとの文献ですからね。


でも、もしお釈迦さまが実際にこのような教団経営の苦労をしていたなら。
涅槃に入る前、「アーナンダよ、わたしは疲れた」というセリフに、
「社長、本当にお疲れ様でした!」と言いたくなってきます。

と同時に、お釈迦さまでさえ日常の些事から逃れられなかったのなら、
わたしたち凡夫が些事にまみれて死んでいくのは仕方あるまいという、
救いだか諦めだかの境地に達するのでございます。



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「1日尼僧体験」ってあるんですね

2/21発売の「週刊ポスト」で「美人尼僧のひと言説法」という
ありがたいようなありがたくないようなグラビアをやっていました。
出ている方はみんな浄土真宗系でした。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

ポストに出ていた元CMモデルの美人尼僧・英月さん。


で、ちょっと調べていたら、
「1日尼僧体験」をやっているお寺ってけっこうあるんですね!
法衣一式を貸してくれて、1泊で1万円台~2万円台。
私は体験しようとは思いませんが、
お寺もいろいろと考えるものですね~。


真言宗梅香寺(三重県)
http://www.baikouji.jp/nun.html

円満院(滋賀県)
http://syukubo.com/spot/05kinki/naraken008.html

月光山洗心庵(栃木県)
http://nisou.com/1nisou.htm

信貴山玉蔵院(奈良県)
http://www.gyokuzo.com/
などなど。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
1日尼僧体験。剃髪の真似事をする儀式もある(実際には剃らない)


なかには、ホテルとパックになった「1日尼僧体験プラン」まで!
http://www.granvia-kyoto.co.jp/stay/entry/000882.html

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ホテルグランヴィア京都(京都市下京区烏丸通塩小路下ル)は、
笠原寺(山科区)で実施される「1日尼僧修行体験」とホテル宿泊を組み合わせた
女性限定の「『1日尼僧修行体験』宿泊プラン」の販売を始めた。


 大本山川崎大師京都別院である笠原寺は、1979(昭和54)年に笠原政江尼が開山し、
翌年から来山する悩める女性を一堂に集めて話し相手になることを目的に「1日尼僧修行体験」
を開始した。体験者は中学生から80代までと幅広く、延べ3,000人以上にのぼる。


 同プランは2006年から毎年期間限定で販売しており、首都圏を中心とした「癒やし」を求める
30~40代の女性をターゲットに据えている。同ホテル広報担当者は「尼僧体験という普段とは
違う空間を無心で体験していただくとともに、京都を感じ楽しんでほしい」と話す。


 スケジュールは、1日目に同ホテルチェックイン後自由行動。2日目の朝、
笠原寺に移動し約6時間の尼僧体験後、現地解散となる。
尼僧体験では、香をまたぎ心身を清浄にする儀式「足香」から始まり、
精神統一をする「安座」、願い事を念じながら大日如来を描く「写仏」などを行う。

 同担当者は「期間限定で尼僧体験を行う日程のみの設定にもかかわらず反響があり、
例年20人前後の利用がある」と話す。「普段と違う空間と体験から自分を見つめ直し、
癒やしを全身で体験できる。さらに京都の文化にも触れながらゆったりとした時間を
過ごせて、現代に暮らす女性にはぜいたくなひとときになるはず」(同)とも。


 設定日は6月~来年3月の指定日。料金は1人=25,000~30,000円(1室2人利用の場合)で、
ホテル宿泊(朝食付き)・尼僧体験(昼食付き)・笠原寺までの往復タクシー代が含まれる。
問い合わせ、予約は宿泊予約係(TEL 075-344-4433)で受け付けている。
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