釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~ -118ページ目

韓国仏教の専門家が語る「龍樹と中論」(花園大学公開講座)

このごろ安易にイベント情報のコピペばかりしている気がしますが、
花園大学公開講座でちょっと面白そうなのがありました。


「龍樹と『中論』」
中島志郎 (Shiroh Nakajima)
6月18日(土) 午後2時~午後5時  ※中島先生は前半
場所 世田谷 龍雲寺(東京禅センター隣)
会費 1000円


中島先生ってよく知らなかったのですが、
韓国仏教の研究をしている方のようですね。
その方が、語りつくされた感もある龍樹をどう語るのかしら?


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

何度か行った花園大学公開講座は、どれも面白かったので
今回も面白いかも・・・。
何でもありというか、宗派系大学のポジショントーク臭がなくて、
けっこう醒めてて好きなんですよね。
龍樹さんも熱狂的なファンが多いですが、
それとは違うお話が聞けるといいな。


会場の龍雲寺(臨済宗妙心寺派)も雰囲気がよくて、
やはり仏の話はセミナー会場より寺で聴くのが一番だと思いました。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~  今頃の龍雲寺は緑がきれいでしょう。


≪中島志郎先生 略歴≫
昭和28年京都府生まれ。昭和55年 花園大学文学部仏教学科卒業。
昭和58年 韓国・東国大学校大学院哲学科仏教学碩士課程修了(文学碩士)
平成13年花園大学教授


≪主な著書≫
『高麗中期禅宗史』(国際禅学研究所、近刊)
「知納と了世」(共著、聖厳博士古希記念論集『東アジア仏教の諸問題』、三喜房)
「羅末麗初の王師国師について-禅宗を中心に-」(『仏教史学研究』43-1)
「知納と慧諶」(『禅文化研究所紀要』二四)
「知納の三玄門体系について」(『印度学仏教学研究』46-1)
『韓国仏教史』(訳、金英泰著、禅文化研究所)


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やけくそ気味の「通勤瞑想」

仕事と雑事でGWが吹っ飛びそうな今日このごろ、心はざわつくばかりです。

苦しまぎれに「通勤瞑想」を思いついたのですが、
こんなのはありなのでしょうか。


以前、一度、スマナサーラ長老の講演会で
瞑想の超基礎をやってみたことがあります。
たとえば歩行瞑想であれば、
長老いわく「実況中継」、地橋秀雄氏いわく「ラベリング」で、
足の動きを意識しながら「右」「左」「曲がった」「止まった」
などの言葉を、ひたすら頭に浮かべ続けると。


そういう客観的な言葉を頭に敷き詰めることで、
頭のガラクタ=邪念が、追い出されるというのです。
ほうっておくと、
「昨日の上司の言葉、あれはほんとにムカついた」とか
「今日なに食べようかな」など頭にガラクタが浮かんでは消え
するので、それを追い出すわけですね。


禅の瞑想の「何も考えない」(なんですよね?知らないけど)
とは、対極的といえば対極的です。


春秋社から瞑想本を出している地橋秀雄氏のHP
http://www.satisati.jp/index.htm
   歩行瞑想の実践法
   
http://www.satisati.jp/2-2page.htm


日本テーラワーダ仏教協会の
ヴィパッサナー瞑想のページ
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html



本来は、スローモーションで、静かなところでやるべき歩行瞑想ですが、
時間がないからヤケクソだ、通勤中に普通に歩きながらやってしまえ、
ということで、最近やってみています。右、左、右、左、とね。


こんな邪道な方法でも、それなりの収穫はありました。
それは、
自分の頭に浮かぶことは、心底ろくでもないことばかり
と実感したことです。


仕事に向かう途中って、今日の段取りを考えたり、
何かヒントが浮かんだりしてると、自分で思っていたんですね。
でも、そんなの1秒ぐらいしか浮かんでいなくて、
右・左・右・左で塗りつぶしても、なんら支障はなかったのです。


右・左のあいまに浮かぶ想念といえば
「間に合わないという何か嫌な感じ」とか、「メンチカツの映像」とか、
ほんとうにガラクタばかりで我ながらびっくりしました。
そういう想念が浮かんだら、
「焦り」とか「嫉妬」とか「メンチ」とか実況中継をしまして、
これはなかなか気持ちのよいものです。

肩こりも和らいできたようです、というのは気のせいか?


インスタントな「通勤瞑想」では、たぶん効果薄ですが、
ガラクタのまま歩くよりは良いような気がしています。



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勝新ぐらい濃い人が500人(秘蔵「五百羅漢」展)


増上寺にある「五百羅漢図」全100幅が、
初めて一挙公開されるということで、話題になっています。
震災で延期されていたのが、今日、4月29日から始まりました。

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http://500rakan.exhn.jp/


法然上人八百年御忌奉賛 特別展
「五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」


会期 平成23年(2011)4月29日(金・祝)~ 7月3日(日)
会場 東京都江戸東京博物館 1階展示室 
東京都墨田区横網1-4-1


出品作品:(すべて狩野一信)
「五百羅漢図」全100幅(増上寺蔵)
「釈迦普賢文殊四天王十大弟子図」、
「十六羅漢図」(成田山新勝寺蔵)
「五百羅漢図」彩色下絵50幅のうちの10幅(東京国立博物館蔵) ほか

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洋画の影響も見られる幕末の絵師・マニアしか知らない狩野一信の作
ということで、美術史的にはたいへん価値があるそうです。


羅漢とは、サンスクリット語のअर्हत्アルハット=阿羅漢のことです。

修行者が到達した最高の位で、煩悩を焼き尽くしたはずなのですが、
狩野一信の絵は、ひたすらに濃い。眉も剛毛である。
勝新太郎あるいは日系ブラジル人のような肉食系の羅漢さんたちが、
地獄に堕ちた民をレーザー光線で救おうとしていたり、
脳天からピューッと水を出して神通力を見せていたり、
顔の皮をベリッと剥いで中に不動明王がいたり、
これでもかこれでもかと活劇を見せる500人なのです。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
なぜか動物の耳の穴をほじる羅漢さん



1993年の『芸術新潮』で「悪趣味のパワー」という特集があって、
日光東照宮とか目黒雅叙園とかヴェルサイユ宮殿を取り上げていた記憶が
ありますが、あの仲間に入る隙間恐怖のような濃さと執念を感じます。


釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~
顔が濃い!


なぜ500人かというと、
お釈迦さま入滅後、王舎城(ラージャグリハ)郊外に500人の比丘が集まって、
はじめて結集(仏典編纂会議)が開かれたという伝承にもとづいています。

美術史的に価値ある「五百羅漢図」は、仏教的にはどうなのでしょうか?
というか、仏画ではないんでしょうね。


仏画って、きっちりと図像的なお約束があって、
「狩野派あたりからそれを踏み外していて全然教養がない」と
仏教美術の某先生が言ってましたが、その末裔の狩野一信さんですからね。


何はともあれ、100幅も並ぶと圧倒されるのは間違いないでしょう。
「時間があれば行く」ぐらいの気持ちですが、
とりあえず5月7日のテレビ「美の巨人たち」は見よう・・・。



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