宗教?(笑) その5 | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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に引き続き、

 

少し。

 

 

 

禅のお勉強を進めたいのですが、

 

 

脱線してしまいました(笑)。

 

脱線ついでに、

 

 

こちらも読み進めています(笑)。

 

 

 

青年 では、お聞かせください。

いったいアドラーの哲学は、宗教となにが違うのです?

哲人 宗教と哲学の違い。大切なテーマです。

ここは思いきって、

「神」の存在を除外して考える

と議論がわかりやすくなります。

青年 ほう。⋯⋯どういうことです?

哲人 宗教も哲学も、そして科学も、出発点は同じです。

わたしたちはどこからきたのか。

わたしたちはどこにいるのか。

そしてわたしたちはどう生きればいいのか。

これらの問いから出発したものが、

宗教であり、哲学であり、科学です

古代ギリシアにおいては哲学と科学の区分はなく、

科学(science)の語源であるラテン語の「scientia」は、

単に「知識」といら意味でしかありません。

青年 まあ、当時の科学なんてそんなものでしょう。

でも問題は、哲学と宗教です。

いったい、哲学と宗教はなにが違うのです?

哲人 その前に、両者の共通点

を明らかにしておいたほうがいいでしょう。

客観的な事実認定にとどまる科学と違って、

哲学や宗教では、

人間にとっての「真」「善」「美」まで取り扱う。

ここは非常に大きなポイントです。

青年 わかります。

人間の「心」にまで踏み込んでいくのが哲学であり、宗教である、と。

それで両者の相違点、境界線はどこにあるのです?

やはり「神がいるのか、いないのか」という、その一点ですか?

哲人 いえ。最大の相違点は「物語」の有無でしょう。

宗教は物語によって世界を説明する。

言うなれば神は、世界を説明する大きな物語の主人公です。

それに対して哲学は、物語を退ける。

主人公のいない、抽象の概念によって世界を説明しようとする。

青年 ⋯⋯哲学は物語を退ける?

哲人 あるいは、こんなふうに考えてください。

真理の探究のため、

われわれは暗闇に伸びる長い竿の上を歩いている。

常識を疑い、自問と自答をくり返し、

どこまで続くかわからない竿の上を、ひたすら歩いている。

するとときおり、暗闇の中から内なる声が聞こえてくる。

「これ以上先に進んでもなにもない。ここが真理だ」と。

青年 ほう。

哲人 そしてある人は、内なる声に従って歩むことをやめてしまう。

竿から飛び降りてしまう。

そこに真理があるのか?

わたしにはわかりません。

あるのかもしれないし、ないのかもしれない。

ただ、歩みを止めて竿の途中で飛び降りることを、

わたしは「宗教」と呼びます

哲学とは、永遠に歩き続けることなのです

そこに神がいるかどうかは、関係ありません。

青年 では、永遠に歩き続ける哲学に、答えはないのですか?

 

哲人 哲学(philosophy)の語源であるギリシア語の「philosophia」は、

「知を愛する」という意味を持ちます。

つまり哲学とは「愛知学」であり、

哲学者とは「愛知者」なのです。

逆に言うと、すべての知を知り尽くし、

完全なる「知者」になってしまったら、

その人はもはや愛知者(哲学者)ではありません。

近代哲学の巨人カントは、

「われわれは哲学を学ぶことはできない。

哲学することを学べるだけである」

と語っています。

青年 哲学すること?

哲人 ええ。

哲学は学問というより、生きる「態度」なのです。

おそらく宗教は、神の名の下に「すべて」を語るでしょう。

全知全能の神と、その神から話された教えを語るでしょう。

これは哲学と、本質的に相容れない考え方です。

 そして、もしも「自分はすべてを知っている」と称する者、

知ることや考えることの歩みを止めてしまった者がいるとしたら、

その人は神の実在や不在、また信仰の有無にかかわらず、

「宗教」に足を踏み入れている。

わたしはそう考えます。

青年 つまり、先生はまだ答えを「知らない」のですね?

哲人 知りません。

われわれは、その対象について「知っている」と思った瞬間、

それ以上を求めようとしなくなります。

わたしはいつまでも

自分を考え、他者を考え、世界を考え続けます。

ゆえにわたしは永遠に「知らない」のです。

青年 へっへっへ。その答えもまた哲学的ですね。

哲人 ソクラテスは、

知者を名乗る人々(ソフィスト)との対話を通じて、

ひとつの結論に達しました。

わたし(ソクラテス)は

「自分の知識が完全でないこと」

を知っている。

自分が無知であることを知っている。

しかし、彼らソフィスト、つまり知者を自称する者たちは

「すべて」をわかったつもりになっており、

自らの無知についてなにも知らない。

この一点、すなわち

「自らの無知」を知っている、という一点において、

わたしは彼らよりも知者である

⋯⋯有名な、「無知の知」という言葉です。

青年 じゃあ、答えを知りもしない、無知なるあなたが、

いったいわたしになにを授けるというのです!?

哲人 授けることはしません。共に考え、共に歩きましょう。

青年 ほう、竿の先まで?

飛び降りることをせずに?

哲人 ええ。

どこまでも問い続け、歩き続けるのです。

 

 

 

生きる態度……。

 

なんかカッコいいですね(笑)。

 

 

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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