N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

猪名川町・三田・川西・宝塚・西宮のゴルフレッスン

 

 

に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

前回の第7章では、結果(スコア)への執着を手放し、

プロセス(所作)の純粋さこそを

自己評価の基準とする「求道者の美学」

についてお話ししました。

 

では、純粋な所作を尽くしてボールを放った「直後」、

私たちゴルファーはどうあるべきでしょうか。 

 

今回は、日本の武道を貫く最も美しく、

最も重要な精神である「残心(ざんしん)」から、

ゴルフにおけるフィニッシュの真の意味を解き明かします。

 

■ 矢を放った後も、射は終わっていない

弓道の公式ルールブック『弓道教本』

が定める基本動作「射法八節」。 

 

その第7節で矢を放ち(離れ)、これで終わりかと思いきや、

最後に第8節として

「残心(ざんしん)」という動作が置かれています。

 

残心とは、

矢が的へ向かって飛んでいく間、

そして的に当たった後も、

弓を構えた姿勢を崩さず、

静かに的を見据え続ける「余韻の姿勢」です。 

 

弓道において、矢が手から離れた瞬間に「終わった!」と

気を抜いて姿勢を崩すことは、

最も見苦しい行為とされます。

 

それは単なるポーズではありません。

「自らが尽くした純粋なプロセス(射)を、

最後まで見届けるという誠意」であり、

「放たれた矢と自分自身が、

まだ見えない糸で繋がっている

(一つである)という証明」なのです。

 

■ すべての武道に共通する「油断なき精神」

実はこの「残心」の精神は、

弓道だけでなく、

剣道、柔道、合気道など、

日本のあらゆる武道に共通する

極めて重要な教えです。

 

剣道では、

見事な打突を決めた後も

「勝った」と気を抜くことは許されず、

相手の反撃に備えて油断なく構えを保ちます。

 

柔道においても、

相手を投げ飛ばした瞬間に意識を切ることはなく、

次の動きに対応できる緊張感を残します。

 

合気道では、

技を掛け終えた後も

氣(エネルギー)の圧力を波のように持続させ、

相手への敬意と共に静かな余韻を保ちます。

 

これらすべての武道に共通しているのは、

「技が終わった後も、

自らの心と姿勢を律し続ける」という

美学です。

 

かつて【第5部:世阿弥編】で学んだように、

所作の美しさはそのまま内面の純粋さの現れです。 

 

一打を放ったその瞬間に気を緩め、姿勢を崩すことは、

己が積み上げてきた「道」に対する

敬意を欠くことであり、

東洋の「恥の文化」において

何よりも恥ずべきこととされました。

 

■ ゴルフにおける「感情の保留」としての残心

これをゴルフのフィニッシュに置き換えてみてください。 

多くのアマチュアゴルファーのフィニッシュには、

この「残心」が決定的に欠けています。

 

ボールがクラブから離れた直後。 

まだボールが空を飛んでいる最中だというのに、

結果を早く知りたくて首をねじ曲げ、

良い球が出ればすぐにクラブを下ろして

「よっしゃ!」とガッツポーズ。

 

悪い球が出れば、バランスを崩してよろけ、

「あーっ!」と叫びながらクラブを地面に叩きつける。

 

この「ショット直後の感情と姿勢の乱れ」は、

ゴルフという道に対する敬意を欠き、

結果(スコア)の奴隷になっていることの

完全な証明です。

 

真のゴルファーのフィニッシュとは、

ボールが止まるまで微動だにせず、

美しい姿勢を保ち続けることです。 

 

一切の感情を挟まず、

結果を「観の目(客観)」で見届ける。

 

この数秒間の静寂こそが、

ゴルフにおける「残心」であり、

あなたの「品格」を決定づける瞬間なのです。

 

■ 残心は「次のショットの始まり」

どんなに良いショットも、

どんなに悔しいミスショットも、

残心を保つことで「過去」へと綺麗に収まります。 

 

2秒間じっと残心を保つことができれば、

怒りや歓喜といった

乱れた感情(不純な種子)は鎮まり、

次のショットに向けた

冷静な思考へとスムーズに移行できます。

 

「前のショットの完璧な終わりは、

次のショットの完璧な始まりである」

 

ボールが転がり止まるまでの数秒間、

あなたのフィニッシュは

美しく静止しているでしょうか。 

 

その「残心」の美しさにこそ、

ゴルファーとしての本当の品格が宿ります。

 

次回、第9章では、

この「美しい終わり(残心)」から少し時間を巻き戻し、

ボールを放つ前に描くべき

「矢筋(やすじ)」という概念

について探求してまいります。

 

放たれたボールは、

どのような空間(フェアウェイ)を通って的へと向かうのか。 

目に見えない「精神の通り道」の描き方に迫ります。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと44日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと44日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

良かったら「いいね」、「フォロー」

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

猪名川町・三田・川西・宝塚・伊丹のゴルフレッスン

 

    は、

 

「誰もが気軽にゴルフを楽しめるように」


真心を込めて、サポートさせていただきます。

 
 

 

 

に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

前回の第6章では、

コースで湧き上がるエゴを客観視し、

足の裏の感触や呼吸といった

「五感」に帰還することで、

打算(エゴ)を手放すという実践的なルーティンをお伝えしました。

 

今回は、そのようにして放たれたボールの「結果」と、

私たちはどう向き合うべきかというお話です。 

 

弓道の教えを借りて、ゴルファーの究極の美学である

「的中よりも純粋さ」に迫ります。

 

■ 余滴で触れた「恥の文化」と、まぐれ当たり

以前お届けした特別編(余滴)において、

東洋に根付く「恥の文化」や、

結果ではなく己の誠意を問う美意識について触れました。

 

弓道という武道は、

まさにこの「恥の文化」の究極の体現です。

 

弓道において、矢が的に当たることを

「的中(てきちゅう)」と言います。 

 

しかし、弓道家たちは単に当たるだけの

「的中」を良しとしません。

 

彼らが真に目指すのは、

正しい心と美しい所作(射法八節)を全うした

結果として的を射抜く

貫中(かんちゅう)」です。

 

心が乱れ、力み、型が崩れて放たれた矢が、

風や偶然の助けによって的に当たることはよくあります。 

 

しかし、真の弓道家はそれを喜びません。

むしろ、余滴でお話ししたように

「自らの心が不純であったのに当たってしまった」ことを

恥じ、深く猛省します。

 

結果(的中)よりも、自分がいかに射たかという

プロセスの純粋さを圧倒的に重んじるのです。

 

■ 余談:ダンマパダにおける「的」と「矢」

少し雑談になりますが、「的中」や「矢」と聞いて、

以前の連載【第3部:ダンマパダ編】を思い出された

熱心な読者の方もいらっしゃるかもしれません。 

 

ブッダの教えを集めたダンマパダ(法句経)第33の詩には、

こう記されています。

 

『弓矢を作る職人が、矢を真っ直ぐに矯(た)めるように、

智者は自らの揺れ動く心を真っ直ぐにする』

 

ダンマパダにおいて、矢を真っ直ぐにするとは

「自らの心を調伏すること」そのものでした。

 

弓道における「的」も同じです。

的は「外にある打ち倒すべき敵」ではなく、

単なる「自分の心の純粋さを映し出す鏡」にすぎません。 

 

古代インドの仏教から日本の弓道に至るまで、

東洋の求道者たちが狙い続けてきた本当の的は、

常に「自分自身の心」だったのです。

 

■ ゴルファーを狂わせる「結果オーライ」の罠

この弓道の厳格な美学を、

ゴルフに当てはめてみましょう。 

コースに出ると、

私たちは以下のような2つの対極的な状況に直面します。

 

①【不純な的中】 

エゴが暴走して力み、明らかなミスショットになったが、

たまたま土手に当たって跳ね返り、

ピンそば30センチに寄った。(結果:大成功)

②【純粋なミス】 

点前(ルーティン)を完璧にこなし、

五感に帰還して無心で振り抜いた最高のショットだったが、

空中の突風に流されて無情にも池に落ちた。(結果:大失敗)

 

多くのゴルファーは、

①の「不純な的中(結果オーライ)」を手放しで喜び、

②の「純粋なミス」に天を仰いで絶望します。

 

そして、「なぜ池に入ったんだ」と、

スイングの形をいじり始めてしまうのです。

 

しかし、結果に一喜一憂している時、

私たちの深層心理(阿頼耶識)には

どんな種子が植え付けられているでしょうか。

 

①で喜ぶことは「プロセスが適当でも結果さえ良ければいい」という

『不純な種子』を刻み込む行為です。

これを繰り返している限り、スイングは決して成熟しません。

 

■ 松山英樹プロという至高の求道者

現代の日本ゴルフ界において、

この「プロセスの純粋さ」を

誰よりも厳格に追求している求道者がいます。

松山英樹プロです。

 

テレビ中継で、

彼のこんなシーンを見たことがないでしょうか。 

 

アイアンで放たれたボールがピンに向かって一直線に飛び、

ベタピンに寄ってギャラリーが大歓声を上げている。

 

それなのに、打った松山プロ本人はクラブから片手を離し、

心底不満そうな表情で下を向いている姿です。

 

アマチュアからすれば

「あんなに素晴らしい結果なのに、なぜ?」と

不思議に思うかもしれません。 

 

しかし、彼にとっての「的」は結果ではありません。

彼が怒っているのは、

自分の中のわずかな力みや、思い描いた所作からのズレ——

すなわち「己の不純さ」に対してなのです。

 

結果が100点であろうと、

プロセスが不純であれば自分を許さない。

 

彼はまさに弓道家が

「まぐれ当たりを恥じる」のと同じ次元で、

ゴルフという道と向き合っています。

 

■ スコアカードには「純粋さ」は記録されない

ゴルフのスコアカードは冷酷です。

①の不純な結果オーライも、

②の完璧な所作による不運な池ポチャも、

ただの「数字」としてしか記録されません。

 

しかし、大いなるゴルフの道を歩む者は、

この「数字」に自分の評価を委ねてはいけません。

 

以前の【唯識編】の余滴でもご紹介した

「ゴルフノート」の役割が、まさにここにあります。

 

私たちは、「良い結果(スコア)」と「良いショット(純粋さ)」を、

明確に切り離さなければなりません。

 

スコアカードには数字を書き込みますが、

「自分がどれほど純粋な所作を尽くせたか」という評価は、

すべてゴルフノートへと刻み込むのです。

 

私たちの自己評価の基準は、

ボールがどこへ飛んだかという結果ではなく、

「打つまでの所作にどれだけ純粋になれたか」

というプロセスそのものです。 

 

結界を張り、執事に気づき、

五感に帰還して無心で遂行できたのなら、

たとえ池に入ろうがノートに「〇(マル)」をつけ、

「今の自分は最高のショットを放った」と胸を張ってください。

 

「的中(スコア)」よりも「純粋さ(プロセス)」を愛する。 

 

この矜持(プライド)をゴルフノートという記録に残し続けることで、

あなたの阿頼耶識には、数字を超えた

「求道者の種子」が確実に蓄積されていきます。

 

その時、ゴルフは単なる数字を競うゲームから、

己を磨き上げる崇高な「道」へと変わるのです。

 

次回、第8章では、

弓道における最終段階であり、

ゴルフのフィニッシュにも通じる

「残心(ざんしん)」について探求してまいります。 

 

ボールが飛び立った後、

私たちはどう「在る」べきか。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと45日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと45日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

良かったら「いいね」、「フォロー」

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

猪名川町・三田・川西・宝塚・伊丹のゴルフレッスン

 

    は、

 

「誰もが気軽にゴルフを楽しめるように」


真心を込めて、サポートさせていただきます。

 
 

 

 

に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

前回の第5章では、

東洋思想の集大成として

「的と自分が一つになる(無心)」という境地

についてお話ししました。

 

ターゲットを「狙う(分離)」のではなく、

結界の中でただ正しく「在る」こと。

 

理論としては、これで完璧です。 

 

しかし、いざ実際のコース(現場)に出ると、

私たちは思い知らされます。

 

この「打算(エゴ)を手放す」という作業が、

口で言うほど簡単ではないという残酷な現実に。

 

■ 「手放そう」という新たなエゴの誕生

前章で紹介した『弓と禅』の中で、

弓聖・阿波研造は、

的に当てようと苦悩する

ヘリゲルに対してこう指摘しました。

 

「それはあなたの“考える心”が邪魔をしているからだ。

考えるのをやめなさい」

 

これを聞いたゴルファーは、

ティーイングエリアでこう念じます。 

「よし、結果への執着を手放すぞ。

スコアのことは考えない。

考えるのをやめて、無心になるんだ!」

 

しかし、結論から言います。

このように念じている時、

あなたは決して無心にはなれません。 

 

なぜなら、「打算を手放そう(考えないようにしよう)」と

強く意識すること自体が、

第六識(意識)をフル稼働させ、

「上手く打ちたい」という

第七識(末那識=エゴ)を刺激する、

新たな打算に他ならないからです。

 

「欲を捨てたい」という強い欲。

 心(意識)を使って心(無意識)をコントロールしようとする

この矛盾した戦いは、泥沼を生み出します。

 

戦えば戦うほど、

エゴは「私を無視するな!」とばかりに、

身体に強い力みとして表れてしまうのです。

 

■ 打算と戦わない——「観(かん)の目」を持つ

では、コース上で顔を出した打算や恐怖に、

どう対処すればよいのでしょうか。 

 

答えは、「戦わずに、ただ見つめる(客観視する)」ことです。

 

池越えのショートホール。

結界の中(プレーボックス)に入ったのに、

「池に入れたくない」という

エゴが湧き上がってしまったとします。

 

ここで「いかん、池のことは考えるな!」と

自分を強く抑え込もうとしてはいけません。

 

そうではなく、以前の連載【世阿弥編】で学んだ

「離見の見

(りけんのけん=自分を天井から見下ろす客観的な目)」

を使います。

 

「あ、今自分は池を怖がっているな」 

「バーディーが欲しくて、少し手に力が入っているな」

 

以前の【唯識編】でお話しした比喩を使うなら、

「あ、私を守ろうとして、

第七識(末那識=過保護な執事)がまた大騒ぎしているな」と、

少し微笑ましく見守るような感覚です。

 

湧き上がってきた打算を否定せず、

ただ「あそこにあるな」と観察するのです。

 

不思議なもので、人間のエゴ(執事)というものは、

「お前の存在に気づいているよ」

「心配してくれてありがとう」と

客観的に認められた瞬間に、

安心してその暴走をスッと止める性質を持っています。

 

■ 「在る」ということの具体的な身体感覚

エゴの存在を客観視し、その勢いを鎮めたら、

次に行うべきアクションがあります。 

 

それは、暴走しがちな「考える心(第六識)」から、

「身体の感覚(五識)」へフォーカスを移すことです。

 

前章の最後で、ゴルフは「当てる」のではなく

ただ「在る」ための修行だ、

とお伝えしました。

 

この「在る」という境地は、

決してフワフワとした抽象的なものではありません。

 

極めて微細で具体的な「身体感覚」として現れます。

 

頭の中で打算が渦巻いた時は、

以下のことに意識を向けてみてください。

  • 足の裏が、地球(芝生)をどっしりと踏みしめる感触

  • グリップのレザーが、手のひらに隙間なく密着する感覚

  • クラブヘッドの鉄の重みと、頬を撫でる風の温度

  • そして何より、お腹の底(丹田)から深くゆっくりと繰り返される「自然な呼吸」

これら「今、ここ」にある

物理的な感覚(五識)にピントが合ったとき、

あなたの身体の感覚は周囲の空間へと静かに拡がり、

自分とコースの境界線が溶けていきます。

 

最新の脳科学や認知心理学でも、

人間の脳が同時に処理できる情報量(ワーキングメモリ)には

限界があることが分かっています。

 

足の裏の感触や深い呼吸といった五感に意識を100%向けている時、

脳は「未来のスコア」や「過去の失敗」を巡らせる

無意識の思考回路(デフォルトモードネットワーク)を

強制的にシャットダウンさせざるを得ないのです。

 

つまり、身体(五識)をフル稼働させた時、

未来への打算(第六識・末那識)は

自然とフェードアウトし、

ただ大自然の中に「在る」状態が完成します。

 

■ 手放すとは「帰る場所」を持っていること

打算を手放す練習とは、

「心を空っぽにする魔法」

を身につけることではありません。

 

コースという大自然の中で、

自分がエゴにまみれた弱い人間であることを素直に認め、

そのエゴに気づくこと。

 

そして、気づくたびに「微細な身体の感覚」と

「いつもの点前(ルーティン)」という安全な場所へ、

何度でも静かに帰還することです。

 

どんなにプレッシャーがかかっても、

帰るべき「身体の感覚」と

「正しい所作(基本)」を知っているゴルファーは、

何度でも無心の境地へと戻ることができます。

 

次回、第7章では、

弓道編の核心的なテーマである

「的中よりも純粋さ」について探求してまいります。 

 

スコア(結果)よりも先に、

「自分がいかに打ったか(プロセスの純粋さ)」を問うという、

ゴルファーの究極の美学に迫ります。

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと46日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと46日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

良かったら「いいね」、「フォロー」

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

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    は、

 

「誰もが気軽にゴルフを楽しめるように」


真心を込めて、サポートさせていただきます。

 
 

 

 

に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

前回の第4章では、弓道における

「正射必中(正しく射れば、必ず中る)」

という哲学をご紹介しました。 

 

結果への執着を手放し、自らにコントロールできる

「正しい所作(プロセス)」だけに全存在を注ぐ。

 

しかし、ここで多くのゴルファーが、

一つの根源的なジレンマ(矛盾)にぶつかります。

 

「結果を手放せと言うけれど、

ターゲット(的)を狙わなければ、

ボールはそこに飛ばないのではないか?」

 

今回は、名著『弓と禅』の最深部へと足を踏み入れ、

「狙う」という意識がなぜ的を外すのか、

そして「無心」とは一体何なのかを解き明かしていきます。

 

■ 「狙う」ことが生み出す致命的な分離

ゴルフにおいて、ピンを「狙う」とき、

私たちの心の中では何が起きているのでしょうか。 

 

ターゲットをじっと見つめ、

「あそこへ落とそう」と強く念じる。

 

一見すると、これは

正しい「集中」のように思えます。

 

しかし、東洋の視点から見ると、

これは集中ではなく「分離」です。

 

仏教の根本思想には、この世のすべては

相互に関係し合って存在しているという

「縁起(えんぎ)」の教えがあります。

 

本来、自分と大自然(コース)は

繋がっている一つのものです。 

 

ところが、「あそこへ落としたい」と強く狙うとき、

そこには「ボールを打とうとする自分(主)」と、

「遠くにあるターゲット(客)」という、

明確な境界線(分離)が引かれてしまいます。

 

自分と的が分離した瞬間、

その隙間に必ず入り込んでくるもの。 

それが、エゴの執着です。

 

「当てたい」「外したくない」という

自我が身体に「力み」を生ませ、

自然なスイングの記憶を破壊してしまうのです。

 

■ 『大いなるゴルフの道』全軌跡が共鳴する「無心」

『弓と禅』の著者ヘリゲルも、

このジレンマに苦しみました。

 

「的を狙わずに、どうやって当てるのですか?」

と問う彼に、

弓聖・阿波研造はこう答えます。

 

「それはあなたの“考える心”が邪魔をしているからだ。

考えるのをやめなさい。

的と自分を分けて考えるから、

中らないのです。

的と弓と自分が

『一つ』にならなければならない」

 

弓道が目指す「無心」とは、

頭を真っ白にして意識を喪失することではありません。 

 

唯識でいう「第六識(考える心)」の働きを止め、

第七識(末那識)による「自分と的の分離」をなくし、

的を自分を取り巻く空間の一部として

完全に調和させることです。

 

実はこの境地こそが、本連載『大いなるゴルフの道』で

これまで紡いできた、すべての東洋思想の到達点なのです。

 

【第1部:老子編】で学んだ
『道徳経』の「無為自然(むいしぜん)」。 

人間の浅知恵(第六識・エゴ)で

的をコントロールしようとする作為を手放し、

大いなる自然の理に身を委ねる真理。

 

【第2部:道元編】で学んだ
『正法眼蔵 現成公案』の教え。 

自己を前に押し出して
万物を捉えようとする迷いを捨て、
プロセス(修行)と結果(悟り)を分けない
修証一等(しゅしょういっとう)」の境地。

さらには、【第3部:ダンマパダ編】で説かれた
自らの心を調伏する教えや、


【第4部:唯識編】で解き明かした
エゴの暴走メカニズム、


そして【第5部:世阿弥編】で学んだ、

打算から離れて自らを客観視する

離見の見(りけんのけん)」まで。

 

これらすべての哲学が、弓道における

的と自分が一つになる(無心)

という一点において、見事に共鳴し、

一つに繋がっているのです。

 

■ ゴルフにおける「狙う」と「無心」の使い分け

では、私たちゴルファーは、

コースでどう的と向き合えばよいのでしょうか。 

ここで、第2章の「空間の分割(結界)」

が完璧な効力を発揮します。

 

① シンクボックス(結界の外)では、徹底的に「狙う」 

ボールの後方に立っている時は、意識の場所です。

風を読み、距離を測り、

ターゲットを徹底的に分析して

「狙い」を定めます。

ここでは的と自分が分離していて構いません。

② プレーボックス(結界の中)では、「無心」になる 

しかし、ディシジョン・ライン(躙り口)を越えて

ボールの前に立った瞬間、

的は「狙う対象」から

「ただそこにある風景(空間の一部)」へと変わります。 

もはやピンを「あそこへ入れよう」と

欲求で見つめてはいけません。

アドレスに入ったら、的はただの背景です。 

自分、クラブ、ボール、そして遠くのピンが、

ひとつの空間の中で

「すでに繋がっている(縁起)」という前提に立ちます。 

あとは、老子の「無為自然」のごとくエゴを捨て、

道元禅師の「修証一等」のごとく、

ただ目の前の射法八節(正しい所作)を尽くすことだけが

目的となります。

 

■ 「当てる」ゴルフから「在る」ゴルフへ

的に当てよう(作為)とすればするほど、

的は自分から切り離され、遠ざかります。 

 

しかし、結果を追うエゴを手放し、

ただ「今ここ」の正しい所作に無心で没入したとき。

 

ボールは驚くほど自然に、

まるで最初からそこへ行く運命だったかのように

ターゲットへと吸い込まれていきます。

 

ゴルフは、遠くの的を「狙い撃つ」ゲームではありません。 

 

大自然という空間の中で、

自分とターゲットの境界線を溶かし、

ただ正しく「在る」ための修行なのです。

 

「在る」とは、

決して抽象的な精神論ではありません。

 

足の裏が大地を捉え、呼吸が自然に深くなり、

自らの身体の感覚が

周囲の空間へと静かに拡がっていく——

そんな極めて微細で豊かな身体感覚を伴うものです。

 

次回、第6章では、

この「結果への執着(打算)」を、

実際のラウンド中にどうやって手放していくのか。 

 

「打算を手放す練習」と題して、

無心に至るためのさらに

具体的な心の技法(テクニック)に迫っていきます。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと47日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと47日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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真心を込めて、サポートさせていただきます。

 
 

 

に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

前章まで全3回にわたってお届けした

【茶道編】では、

「一期一会」の誠意を尽くし、

ボールの前に結界を張ってエゴを置き、

ただ「基本という善」を積むこと

の重要性をお話ししました。 

 

ゴルフにおける『静かなる精神性』の土台が、

そこで完成しました。

 

そして本日より、いよいよ連載の中盤戦である

【弓道編】へと舞台を移します。 

 

「静」の茶道で整えた心を、

いかにして激しい身体運動である

「動」のゴルフスイングへと繋いでいくのか。 

 

その鍵となるのが、

弓道における究極の哲学

「正射必中(せいしゃひっちゅう)」です。

 

■ 的に当てようとするから、的を外す

弓道は、ただ矢を的に当てるだけのスポーツではありません。 

 

もし「当てること」だけが目的ならば、

ライフルのように照準器を付けたり、

姿勢を自己流にアレンジしてもよいはずです。

 

しかし、弓道ではそうした行為を良しとしません。

弓道が最も忌み嫌うのは、

「的に当てようとする心(結果への執着)」です。

 

「どうしても当てたい」

「立派に射抜いて見せたい」。 

 

そんなエゴ(打算)が芽生えた瞬間、

射手は的に心を奪われます。

 

すると、身体にわずかな力みが生まれ、

呼吸が乱れ、美しく整えられていた

基本の型が崩れてしまうのです。

 

■ 公式ルール『弓道教本』が定める「射法八節」

では、弓道において「当てること」の代わりに

最も重要視されるものは何でしょうか。 

 

それは、全日本弓道連盟が定めた公式ルールブックであり、

すべての弓道家が一生をかけて学ぶ

『弓道教本(第1巻)』に記されています。

 

そこに明記されているのが、

「射法八節(しゃほうはっせつ)」と呼ばれる

8つの厳格な基本動作です。

  1. 足踏み(あしぶみ)

  2. 胴造り(どうづくり)

  3. 弓構え(ゆがまえ)

  4. 打起し(うちおこし)

  5. 引分け(ひきわけ)

  6. 会(かい)

  7. 離れ(はなれ)

  8. 残心(ざんしん)

弓道教本は、

「的にどう当てるか」ではなく、

この「8つのプロセスをいかに正しく、

淀みなく遂行するか」という

所作の連続のみを説いています。 

 

射手にコントロールできるのは、

「今、ここ」にある自分の身体と心だけ。

 

結果を忘れて、ただひたすらに

「正しい所作(プロセス)を尽くすこと」だけに

全存在を注ぐのです。

 

■ 名著『弓と禅』が伝えた「正射必中」の真理

このプロセス至上主義の究極の形が、

「正射必中(正しく射れば、必ず中る)」という哲学です。

 

この東洋の神秘的な哲学を世界に知らしめた、

一冊の歴史的文献があります。

 

ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルが著した

世界的名著『弓と禅』

(スティーブ・ジョブズが愛読したことでも有名です)です。

 

合理主義者のヘリゲルは、

「的に当てるための技術」を学ぼうと

日本の「弓聖」と呼ばれた

阿波研造(あわけんぞう)に弟子入りしますが、

師匠からはこう叱責され続けます。

 

「的に当てようと思うな。

正しく射れば『それ』が射る(当たる)」

 

結果(的に当たるかどうか)は、

矢が手から離れた瞬間に自分のコントロールを離れます。

風が吹いて外れるかもしれません。

コントロールできない未来の結果を思い煩うのは、

無意味なことです。 

 

自我(エゴ)を捨て、

射法八節という「正しき所作」に純粋になったとき、

矢は狙って当てるのではなく、

「自ずと的へ導かれる」ように射抜く。

 

これが『弓と禅』に記された正射必中の真意です。

 

■ ゴルフにおける「当てに行く」という悲劇

これを私たちのゴルフに置き換えてみてください。 

恐ろしいほどに、

弓道の教えと一致していることに気づくはずです。

 

「あそこまで飛ばしたい」 

「ピンのそばにピッタリ寄せたい」 

「このパットを絶対に入れたい」

 

こうした「結果への欲求」が心を支配した瞬間、

私たちはどうなるでしょうか。 

 

ボールの前に張ったはずの結界(茶室)は破られ、

エゴが暴走し始めます。

 

飛ばそうとして切り返しで力み、

結果を早く見たくてヘッドアップ(ルックアップ)し、

当てに行こうとして手先でクラブを操作してしまう。

 

ゴルフにおいてもまた、

「当てに行こうとする(結果を追う)からこそ、

スイングのプロセスが崩れてミスショットになる」という

悲劇が、毎日コースの至る所で繰り返されているのです。

 

■ 結果を手放し、所作に純粋になる

弓道には「射法八節」という絶対的な型がありますが、

ゴルフには数え切れないほどのスイング理論が存在します。 

 

では、ゴルファーにとっての

「正射(正しいプロセス)」とは何でしょうか。

 

最新の複雑な理論をなぞることではありません。

 

それは、第2章でお話しした

「点前としてのアドレス(ルーティン)」を寸分違わず遂行し、

第3章で学んだ「基本(グリップ・姿勢)という善の徹底」に

心を砕くこと。

 

それこそが、私たちの射法八節です。

 

「ナイスショットになるかどうか」は、

クラブがボールに当たった瞬間に結果が決まります。

 

最後は風や傾斜など、

大自然の領域です。

 

だからこそ、ゴルファーは

結果を手放さなければなりません。

 

的に当てようとする自我を捨て、

「ただ正しいプロセス(所作)に純粋になること」。 

 

その澄み切った心から振り抜かれたクラブは、

当てに行かなくても、

自ずとボールを正しい方向へと導いてくれるのです。

 

次回、第5章では、

この「結果を手放す」ためのさらなる深淵、

名著『弓と禅』でも最大のテーマとなった

「無心で矢を放つ」ということについて探求してまいります。 

 

「狙う」という意識がなぜ的を外すのか、

その心のメカニズムを解き明かします。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと48日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと48日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

良かったら「いいね」、「フォロー」

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

猪名川町・三田・川西・宝塚・伊丹のゴルフレッスン

 

    は、

 

「誰もが気軽にゴルフを楽しめるように」


真心を込めて、サポートさせていただきます。

 
 

 

 

に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

第2章では、

アドレスを茶道の「点前」として捉え直し、

ボールの前に結界を張るという

空間のルーティンについてお話ししました。 

 

しかし、この崇高な「点前」を知ったとしても、

多くのゴルファーが直面する大きな壁があります。

 

それが、「練習場(マットの上)では上手く打てるのに、

コース(本番)に出るとボロボロになってしまう」という

現実です。

 

なぜ、コースに出た途端に

スイングが崩れてしまうのでしょうか。 

 

それは、メンタルの弱さだけが原因ではありません。

そもそも「練習場での自分」と

「コースでの本当の自分」が乖離しているからです。

 

■ 初心者の課題——「冷暖自知(れいだんじち)」

禅の言葉であり、茶道でも重んじられる教えに

「冷暖自知」という言葉があります。 

 

「水が冷たいか温かいかは、

他人の話を聞いたり知識で学ぶだけでは分からない。

 

実際に自分で飲んでみて、初めてその温度を知ることができる

という意味です。

 

平らな人工芝の上で、教えられた通りに振る。

それは単なる「知識」に過ぎません。 

 

実際にコースという大自然(茶室)に出向き、

傾斜に足をとられ、風に吹かれ、

プレッシャーで手が震える経験をして初めて、

初心者は

「コースにおける本当の自分(冷暖)」を知ることができます。 

 

練習場での空想のゴルフを捨て、

現場で何もできない自分を知る。

 

そこから、本当の意味での「稽古」がスタートするのです。

 

■ 中上級者の課題——利休の教えと「直す」の罠

では、現場で自分を知った中上級者は、

どう練習すべきでしょうか。 

千利休は、茶道の教訓歌『利休百首』の中で

こう残しています。

「点前(てまえ)には 弱る所を 

かねがねに 

よくよく直す 事ぞ

専ら(もっぱら)」 

(自分の苦手な所、弱点となる所を、

普段の稽古において

地道に『直す』ことこそが

最も重要である)

コースで浮き彫りになった

自分の課題から目を逸らさず、

地道に向き合いなさいという教えです。 

 

しかし、ここで絶対に陥ってはいけない「罠」があります。 

 

現代のゴルファーは、この「直す」という言葉を、

「スイングの悪い部分(エラー)を、

意識的にいじり回して修理すること」だと

勘違いしてしまうのです。

 

「アウトサイドイン軌道が悪いから、

インから下ろすように直そう」 

「手首の角度が悪いから、こう直そう」

 

悪い部分にフォーカスし、

頭(第六識)で不具合を修理しようとしている限り、

コースに出た瞬間にその「頭で作ったスイング」は

プレッシャーによって一瞬で吹き飛びます。

 

■ 足し算をやめ、基本という「善」に帰る

真のティーチングにおいて、

「直す」とは修理することではありません。 

 

「悪いものを直すのではなく、

とにかく良い(善い)こと、

正しいことを徹底的に行う」ことです。

 

以前の連載【唯識編】でお話しした、

心の深層にある

「阿頼耶識(あらやしき)」を思い出してください。

 

阿頼耶識は、

あなたのすべての経験を「種子」として

蓄える貯蔵庫です。

 

悪い箇所を直そうとそこにばかり意識を向けると、

かえって「悪い動きを意識する種子」が

深く植え付けられてしまいます。

 

本当の稽古とは、

あれもこれもと修正ポイントを追加していく

「足し算」ではありません。 

 

グリップの握り、ポスチャー(姿勢)、ボールの位置。

そうした「圧倒的な基本(正しいこと)」だけに帰る

「引き算の稽古」なのです。

 

ただひたすらに正しい基本を徹底し、

阿頼耶識に「善い種子」だけをどんどん上書きしていく。

 

すると、阿頼耶識が善い種子で満たされたとき、

かつて「弱る所」と呼ばれていた

悪い動きは、排除しようと戦わずとも、

自然と居場所を失って消え去っていくのです。

 

■ 稽古と本番が一体となる時

コース(本番)に出て「冷暖自知」で自分の現在地を知り、

練習場(稽古)に持ち帰って

「正しい基本」だけを

徹底的に阿頼耶識に刻み込む。

 

この絶え間ない循環を繰り返したゴルファーにとって、

もはや「練習場は作業の場」

「コースは結果を出す特別な本番」という境界線は存在しません。 

 

ただ、練習場でもコースでも、

いつもの「点前」の通りに基本を尽くすだけになります。

 

茶道において

「稽古は本番のように、本番は稽古のように」と言われる

究極の境地。 

 

「稽古と本番の一体化」とは、

特別なメンタルテクニックではなく、

自分の現実から逃げず、

ただひたすらに「基本という善」を積み重ねた者にだけ訪れる、

静かで揺るぎない世界なのです。

 

次回、第4章からは、

いよいよ中盤戦【弓道編】へと舞台を移します。 

 

静の茶道から、動の弓道へ。 

テーマは「正射必中(せいしゃひっちゅう)——

正しき所作の先にあるもの」。

 

「的に当てようとする(結果を追う)から的を外す」という、

弓道の奥深い逆説の哲学から、

私たちのスイングの真髄に迫ってまいります。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと49日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと49日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

良かったら「いいね」、「フォロー」

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

猪名川町・三田・川西・宝塚・伊丹のゴルフレッスン

 

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真心を込めて、サポートさせていただきます。

 
 

 

 

に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

第1章、そして特別編(余滴)と、

「一回きりの現実を受容すること」

「執着を手放すこと」という、

一期一会の「誠意」についてお伝えしてきました。

 

しかし、激しい身体運動を伴うゴルフにおいて、

いざボールを目の前にしたとき、

心の中で「誠意を持とう」「執着を捨てよう」

と念じるだけでは、緊張や恐怖を打ち消すことはできません。

 

目に見えない「心(誠意)」は、

目に見える「身体の動き(型)」へと変換される必要があります。

 

■ 点前(てまえ)——無駄を削ぎ落とした誠意の表現

茶道には、「点前(てまえ)」という確固たる型が存在します。 

熟練した茶人の点前には、一切の無駄がありません。

 

「美味しく思われたい」「立派に見せたい」といった

自我(打算)が削ぎ落とされ、

ただ目の前の一服のお茶をたてること

『だけ』に全存在が注がれています。 

 

その淀みない一つひとつの所作そのものが、

一期一会に対する「誠意」の物理的な表現なのです。

 

これをゴルフに置き換えたとき、

私たちの「点前」とは何でしょうか。 

 

それこそが、

ボールの後方からターゲットを見定め、

歩み寄り、構えを完了するまでの一連の動作——

すなわち「プレショット・ルーティン(アドレスへの入り方)」です。

 

■ ビジョン54×唯識×茶道による「3つの空間分割」

以前の【唯識編】の余滴にて、

私は世界的名コーチが提唱した

「ビジョン54(シンクボックスとプレーボックス)」という

物理的なルーティンと、東洋の「唯識」を掛け合わせた

考え方をご紹介しました。

 

実はこの「空間を区切って意識を切り替える」

というアプローチは、

茶道における「茶室(結界)」の概念と完全に一致し、

最高のアドレス(点前)を生み出します。

 

アドレスを美しい「点前」へと昇華させるための、

3つのステップ(空間)を見ていきましょう。

1. シンクボックス(結界の外)=「五識・第六識」のフル稼働 

ボールの数歩後ろに立ち、コース全体を見渡す場所です。 

ここはまだ茶室の外。大いに「思考」を使って良い領域です。

 

風の強さやライの状況などをありのままに収集する「五識(五感)」と、

そのデータをもとに「どのクラブで、どこに落とすか」を

論理的に計算する「第六識(意識)」をフル稼働させます。 

 

「右は池だから、左を狙おう」。

ここでは思い切り計算して、迷って、答えを出してOKです。

 

純粋な情報処理を行うコンピューターになりきりましょう。

2. ディシジョン・ライン(躙り口)=「末那識(エゴ)」を置いていく儀式 

ルートが決まり、ボールへ向かって歩き出す「一歩目」。

ここが結界(境界線)です。

 

茶室には「躙り口(にじりぐち)」という、

頭を下げなければ入れない小さな入り口があります。

 

武士であっても刀を外し、

自らの身分やプライド(自我)をすべて外に置いて、

ただの「人」として入室するための結界です。 

 

ティーイングエリアにおいて、

私たちが躙り口に置いていくべき「刀」とは、

以下の3つです。

 

① 目標スコアへの執着(池に入れたくない、パーが欲しい)

 ② 過去の失敗の記憶(さっきもここでミスをした)

 ③ 技術的な反芻(テークバックはここへ上げて、右脇を締めて…)

これらはすべて、唯識でいう第七識(末那識=エゴの執着)です。 

 

心の中で「スコアも、恐怖も、スイングの注意点も、

すべてここに置いていく」と明確に宣言し、

ラインの手前にそっと置きましょう。

 

結界を越えたら、もう「計算」も「恐れ」も持ち込み禁止です。

3. プレーボックス(茶室での点前)=「阿頼耶識」に委ねる 

ボールの前に立ち、結界の中(茶室)に入ったら、

もう一切の思考(六識)の電源を落とします。

 

右手でフェースを合わせ、

左手のグリップを決め、

スタンスを広げる。

その決まった手順(点前)を、

寸分違わず厳格に遂行することだけに集中します。

 

ここで多くの方が陥る罠が、

「頭を空っぽにしよう」と努力してしまうことです。

しかし、「無心になろう」と考えること自体が、

すでに新たな思考です。 

 

思考を無理に消そうとするのではなく、

「思考はすべて結界の外に預けてきた」という前提に立つのです。

 

構えが完了したら、自分でクラブを操作しようとするのではなく、

これまで皆さんが一生懸命練習して培ってきた

「阿頼耶識(過去の良質な種子・身体の記憶)」にすべてを委ねます。 

 

ひと呼吸の静寂をつくり、

阿頼耶識からスイングが「自動的に発生する」のを待つ。

 

これが、究極の「今、ここ」にいる状態であり、

打算の削ぎ落とされた最高のアドレス(点前)の完成です。

■ 空間を区切れば、心は整う

多くのアマチュアゴルファーのアドレスが

モジモジと定まらないのは、

結界の中(ボールの前)にまで、

刀(エゴや技術的思考)を持ち込んでしまっているからです。

 

「無心で打て」と自分に言い聞かせる

禅問答のような苦しみから抜け出してください。 

 

「どこに立っているかで、使っていい意識が違う」。

こうして物理的な空間でルール化するだけで、

ゴルフは驚くほどシンプルでクリアになります。 

 

アドレスとは、単なる

「球を打つための準備姿勢」ではありません。

一期一会を体現し、自らの心を打算から守るための、

崇高な「点前」なのです。

 

次回、第3章では、前半の【茶道編】の締めくくりとして、

「稽古と本番の一体化」について深掘りしてまいります。 

 

茶道において「稽古」と「本番」に区別がないように、

練習場(マットの上)とコースの垣根をなくすための

意識改革とは何か。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと50日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと50日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

 

さて、前回の第1章で、ゴルフには

「1球」「連続」「ホールアウト」「あるがまま」という、

逃げ場のない4大原則があるとお話ししました。

 

この冷酷なまでの原則に従えば、

私たちはどんな状況であっても、

あるがままのボールを打ち続けなければなりません。 

 

しかし、現実はどうでしょうか。 

ボールが池の底に沈んでしまったり、

OBの杭を越えて深い森に消えてしまったりした時。

 

私たちは物理的に

「あるがまま」にプレーを続けることが

不可能になります。

 

原則に従えば、

その時点で「ゲームオーバー」。

 

そこであなたのゴルフは終わりとなるはずです。

 

■ 罰は「制裁」ではなく「赦し」である 

しかし、ゴルフというゲームは、

ここで終わることを良しとしません。 

 

そこで用意されているのが

「罰(ペナルティ)」というシステムです。

 

多くのゴルファーは、

罰打を「ミスに対する制裁」や

「スコアを崩す忌まわしいもの」として

ネガティブに捉えがちです。

 

しかし、本質は全く逆なのです。

ゴルフにおける罰とは、

「赦(ゆる)し」です。

 

「あるがまま」という

絶対原則を守れなくなった時。

 

そのままでは終わってしまう

あなたのプレーに対して、

「1打の罰を払うなら、原則を免除し、

安全な場所からもう一度プレーを続けることを赦そう」という、

ルールからの温かい救済措置なのです。

 

罰とは、あなたを苦しめるものではありません。 

途切れてしまいそうになった「一期一会の18ホール」を

最後まで全うするため、

ゴルフの神様に自ら差し出す

『捧げ物(祈りの対価)』、

簡単に言うと「お賽銭」なのです。

 

賽銭箱にチャリンと硬貨を入れるとき、

私たちは「どうか平穏でありますように」

と祈ります。

 

それと同じで、

1打のペナルティを捧げるとき、

私たちは「どうかもう一度、前へ進ませてください。

この先のホールが穏やかでありますように」と願うのです。

 

――たとえ、その祈りが届かず、

次の瞬間にまたボールが池に消えたとしても。

 

それでも私たちは、

自らの淀みを1ペナルティで清め、

次のティーイングエリアで再び祈り、

また歩き出します。 

 

何度絶望しても、そのたびに自らを清め、

再び胸を張って歩き出し続けるための

『禊(みそぎ)』。

 

それが、ゴルフのペナルティの本当の姿なのです。

 

■ 安易な「ゲーム感覚」への警鐘 

しかし、ここで一つ、強く警鐘を鳴らしておかねばなりません。 

 

「罰=赦し」だからといって、

それを決して現代の「ゲーム感覚」で

軽く扱ってはならないということです。

 

テレビゲームのように、

「あ、池に入っちゃった。

じゃあ1ペナ払ってリセットしまーす(笑)」と、

コンティニューのコイン感覚で軽く考えてしまうのであれば、

それは大きな間違いです。

 

そのような態度は、

第1章でお話しした

「一回性の重み」を根底から破壊します。 

 

ペナルティという名のお賽銭(赦し)を受け取るには、

自らの未熟さを直視し、

その結果を引き受けるという

「痛み」が伴わなければならないのです。

 

■ 糾弾とリセットが交錯する現代社会 

ひるがえって、私たちの生きる現代社会はどうでしょうか。

誰かが一度でもルールを破れば、

匿名の人々が寄ってたかって石を投げ、

社会から抹殺しようとする

「不寛容な糾弾カルチャー」。

 

一方で、過程はどうであれ

結果(スコア)さえ良ければいいという

薄っぺらい「点数主義・リセット主義」。 

 

極端な糾弾か、極端な軽薄か。

どちらも、ゴルフが本来持っている

「自らの痛みと共に赦しを受け入れる」という

重厚な精神とは対極にあります。

 

■ 「神の罰」から「東洋の恥」へ 

もともと西洋で生まれたゴルフの根底には

「神と罰」の文化があります。

 

しかし、東洋に生きる私たちには、

古来よりもう一つの美しい精神的支柱がありました。

それが「恥の文化」です。

 

東洋の「恥」とは、

他人から糾弾される恐れでも、

ゲームのペナルティでもありません。

 

誰も見ていなくても、

「ここでズルをするのは、人間として恥ずかしいことだ」と

自らを律する己の美意識であり、内なる尊厳です。

 

■ 最後に——良寛さんのような「童心」で 

と、ここまで少し眉間にシワを寄せて、

難しいお話をしてしまいましたね(笑)。 

 

最後は少し、肩の力を抜きましょう。

禅の心を体現し、子どもたちと無心に

手鞠をついて遊んだ良寛和尚。

 

もし良寛さんが、

ミスをしてペナルティを払うゴルファーを見たら、

ニコニコと笑ってこう言うかもしれません。

 

「あちゃー、池に入っちゃったね。

でも大丈夫。1ペナルティという

『絆創膏(ばんそうこう)』を貼って、

また一緒に原っぱで遊ぼうじゃないか」

 

そう、結局のところ、

究極の「恥」や「誠意」とは、

小難しい顔をして自らを罰することではないのです。 

 

誰も見ていない深い森の中でボールが動いた時。

「あ、動いちゃった。お天道様、見てたね」と、

ただ正直に言う。 

それだけのこと。

 

転んだら素直に「転んじゃった」と言って

絆創膏を貼り、またニコニコと走り出す。

 

そんな子どもが原っぱ(フィールド)で遊ぶときのような、

無邪気で純粋な「童心」に還ること。

 

自分を偽らない純粋な心で

ルール(赦し)を受け入れた時、

ゴルファーは本当の意味で、

大自然というフィールドと調和できるのです。

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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に引き続き、少し(笑)。

 

 

 

 

いつもN field golfをご愛読いただき、

誠にありがとうございます。

 

本日より、いよいよ

第6部「茶道・弓道 ——『一期一会と正射必中編』」

が開幕いたします。 

 

これまでの連載を通じて探求してきた身体観や哲学を、

極限まで削ぎ落とした

「静かなる精神性」へと昇華させていく

全17章の旅となります。

 

その入り口となる本日は、

茶道の核心思想である

「一期一会」

から、私たちのゴルフを

見つめ直してみたいと思います。

 

■ 「一期一会」の真意と歴史

「一期一会」。 一生に一度きりの出会いであり、

互いに誠意を尽くしなさいという教えですが、

実は千利休が直接この四字熟語を

書物に残したわけではありません。

 

まずは利休の高弟であった

山上宗二(やまのうえそうじ)が、

その著書『山上宗二記』の中で

「一期に一度の会のやうに」と、

利休の教えの原点を記録しました。 

 

そして後年、幕末の大老であり大茶人でもあった

井伊直弼(いいなおすけ)が、自身の著書

『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』

の中で、この思想を見事な言葉で完成させています。

「茶の湯の交会(こうかい)は、

一期一会といひて、

たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、

今日の会にふたたびかへらざる事を思へば、

実に我一世一度の会なり」

(現代語訳:茶の湯の集まりは

『一期一会』と言って、

たとえ何度同じ亭主と客で茶会を開いたとしても、

今日のこの茶会は二度と巡ってこないのだ

ということを思えば、

まさに一生に一度の出会いなのである)

何度同じメンバーで集まっても、

「今日この瞬間の会」は二度と戻ってこない。 

言葉としてはどこか綺麗な精神論のように

聞こえるかもしれませんが、

これをゴルフというスポーツの

「原則」に置き換えたとき、

その言葉は冷酷なまでのリアリティを帯びてきます。

 

■ 一期一会と、ゴルフの4大原則

ゴルフには、根底に流れる

ゴルフ規則の4つの大原則があります。 

 

「1球の原則」

「連続の原則」

「ホールアウトの原則」

そして「あるがままの原則」です。

 

ティーイングエリアからカップインまで、

たった1つのボールを(1球)、

途中でやり直すことなく連続して打ち続け(連続)、

最後まで沈めきらなければならない(ホールアウト)。

 

そしてその間、ボールがどんな過酷な状況にあろうとも、

決して触れることなくそのまま打たなければならない(あるがまま)。

 

これはまさに、ゴルフというゲームが私たちに強いる

「一回性」と「積み重ね」の絶対ルールです。

 

「今のナシで」というリセットも、

都合の悪い過程を飛ばすことも許されません。

 

風の向き、傾斜、芝の長さ、

そしてその瞬間の自分自身の心身の状態。 

 

これらが完全に一致する状況は、

あなたのゴルフ人生において二度と巡ってきません。

 

目の前にあるそのボールとライは、

文字通り「一生に一度の出会い」であり、

そこから放たれる一打は、

永遠にスコアカードに刻まれる

「一回きりの事実」なのです。

 

■ 広がりゆく「誠意」の対象

やり直しがきかない「連続とホールアウト」の積み重ね。

逃げ隠れできない「あるがまま」の現実。

そして、たった一つのボールと向き合い続ける「1球」の厳しさ。 

 

この4つの原則が織りなすルールの連続の中で、

私たちが一期一会に対して

「誠意を尽くす」とは、

具体的にどういうことなのでしょうか。

 

それは決して、

ボールに向かってただ念じることではありません。 

 

茶道において、亭主の誠意が

「お茶」「客」「茶室」「道具」のすべてに向けられるように、

ゴルフにおける誠意もまた、四つの方向へと広がっていきます。

 

1. 目の前の「現実」への誠意 

ディボット跡に沈んだボールや、突風。

それらを「不運」と嘆くのではなく、

「今日、出会うべくして出会った唯一の状況」として

完全に受容し、最善の解決策を探ること。

2. 「自分自身」への誠意 

「もっと上手く打てるはずだ」という

過去の栄光や過度な期待で自分を責めるのではなく、

今日の、今の自分の実力をありのままに受け入れ、

その上で一打に全力を注ぐこと。

自分への言い訳(タラレバ)を捨てることです。

3. 「同伴競技者」への誠意 

同じ組で回るメンバーもまた、

二度と繰り返されることのない

この18ホールを共有する運命共同体です。

他者のプレイに静かな敬意を払い、

互いの時間を尊重し合うこと。

4. 「機会を与えてくれたすべて」への誠意 

貴重なコース体験を提供してくださるゴルフ場のすべての方々、

今日という日をゴルフに費やすことを許してくれた家族、

そして、心技体、道具、移動手段などすべてのご縁への感謝。

この一打は、無数の人々の支えの上に成り立っている

という事実を知ることです。

■ 打算が消える瞬間

目の前のボールへの不満、自分への怒り、他者への無関心。 

これらはすべて、「スコア」や「見栄」といった

自己中心的な執着から生まれます。

しかし、自分がいかに多くのものに支えられ、

奇跡的な確率でこの「一回きりの一打」を与えられているか

に気づいたとき、私たちの中から執着は溶け去ります。 

残るのは、「ただ、今できる最高の準備をして、

この一打を全うしよう」という純粋な誠意だけです。

これが、ゴルファーがコース上で持つべき

「静かなる精神性」の土台となります。

■ 誠意を「型」にする

とはいえ、心の中で「誠意を持とう」と念じるだけでは、

激しいスポーツであるゴルフのスイングを変えることはできません。

精神論は、具体的な「身体の動き(型)」として

表現される必要があります。

 

茶道では、その誠意を表現するための具体的な型として

「点前(てまえ)」が存在します。 

 

では、ゴルフにおいて、

その誠意を表現する最初の型とは何でしょうか?

 

次回、第2章では、

この広大な誠意を、たった一人の

具体的な身体の動きへと収束させていきます。 

 

アドレスを単なる構えではなく、

「点前としてのルーティン」として捉え直す思考

について深掘りしてまいります。

 

どうぞお楽しみに。

 

 

 

さて、この連載もひと区切りの【9月30日】まで、

今日で「あと51日」となりました。

 

「時間は有限である」ということを私自身も忘れないために、

そして少しの緊張感と笑いを交えながら完走するために、

勝手にカウントダウンして行きます(笑)。 

 

自分の心に嘘をつかず、今日できることを淡々と。

 

【9月30日まで……あと51日!】

 

 

 

 

 

 

指先から掌(たなごころ)へ、 

 

そして心へ伝わるまで、 

 

その先を信じて、 

 

稽古したいと思います。

 

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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猪名川町・三田・川西・宝塚・伊丹のゴルフレッスン

 

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に引き続き、少し(笑)。
 
こちらは、短いお付き合いとなりましたが(笑)、
 
 
 
PINGのパターフィッティングで言われた
 

意外と開閉が少ないみたい(笑)

(引っ掛けると思っていたPINGのカテゴリーがストレートの

フェイスバランスなども良いみたい(笑))。

 

テンポが遅いので、昔から無理と思っていた

 

重めのヘッドの方がおすすめとも(笑)。

 

入れたいスライスラインが

 

中々ラインに乗らないので、

 

おすすめを試してみることにしました(笑)。

 

 

 

ZXハイブリッド(初代) 4H 5H

 

を 5,000円 + 5,100円 で買い取って頂けたので、

 

格安の 11,000円 に 5%OFF クーポンも使え

 

 10,450円 で、更に、念のため

 

現金で買うという保険を掛けて(笑)、

 

人生初マレット?を入手させて頂きました。

 

 

 

 

 

私には、ロフト3度は、

 

やはり右に滑るので、

 

自分のイメージでは

 

超ハンドレイトで構えてみることにします。

 

 
 

(こうやって見ると、肩のラインには、そうハンドレイトでもない(笑))

 

 

 

 

明日のテスト次第では、

 

こちらも短い付き合いになるかも?

 

知れません(笑)。

 
 
 
 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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