「おばあちゃん、

自分て何で自らを分けると書くの?

何を分けてるの?」

 

 

 

 

「それはね、自分の内側と外側を
分けているんだよ」

 

 

「内側と外側ってどうゆうこと?」

 

 

「体の内側と外側ということだよ」

 

 

「内側は分かるけど、外側って

どうゆうこと?」

 

 

「自分の内側にあるものしか
外側に見えないということだよ。

キー坊はブタを見たらどう思うかい?」

 

 

 

「ちょっとブーブー言って怖いかな?」

 

 

「そうだね、でもかわいいという人も
いるし、あんなに丸々と太って嫌だわ
という人もいるんだよ」

 

 

「へ~、そうなんだ」

 

 

「キー坊の中にこうゆうものは怖い

と思っている。それがブタを見た時に

思い出したんだよ」

 

「かわいいという人はかわいいと思える
モノをブタに見たんだよ。丸まったシッポ
かもしれないね」

 

「自分の体型を気にしている人は
丸々と太ったのは嫌だと思っていて、

ブタを見た時に思い出したんだね」

 

「外側の世界は、自分自身をどう感じて
いるかを映し出してもいるんだよ。」

 

 

 

「じゃ、友達の中で好きな子と
嫌いな子がいるのは、好きな自分と
嫌いな自分がいるということ?」

 

 

「そうだよ、よくわかったね」

 

 

「でも、嫌いな子はボクとは全然違うよ」

 

 

「どう違うのかな?」

 

 

「ボクは女の子とうまく話せないけど
ヒロ君は気楽に話してるんだよ」

 

 

「キー坊も女の子と気楽に話せたら

良いなと思ってるけど、自分には
そうできなくて、うらやましいんじゃ
ないかい?」

 

 

「そうかもしれないな、でも、
ウソつきで約束を守らない
嫌いな子もいるよ」

 

 

「じゃ、キー坊は自分にウソを
ついたり、自分で決めたことを
守らなかったりしたことは
なかったかい?」

 

 

「ある、ある」

 

 

「自分の内側を鏡のように
移しているんだよ。

自分の色メガネで見るという

言い方もするね」

 

 

「内側を変えたら、外側も変わるの?」

 

 

「変わる場合もあるし、変わらなくても
変わって見えるんだよ。

赤色のメガネをかければ、赤く見えるし

黄色のメガネをかければ、黄色く見える」

 

 

「でも、どうやって変えるの?」

 

 

「キー坊はお父さんやお母さんが
どんなだったらいいかな?」

 

 

「優しくて、ニコニコしてたらいいな」

 

 

「じゃー、まずキー坊自身が

やさしくて、ニコニコしてごらん」

 

 

「わかった、今日からニコニコして
人に優しくするね」

 

 

「キー坊はいい子だね、
人に優しくするのは良いことだけど
順序があるんだよ、まずは自分に

優しくしようね、自分に優しくできたら
自然と人にも優しくできるからね」

 

 

「えっ、そんなこと聞いたことないな
人に親切にとか、人にやさしくとか
言われるけど自分にそうするの?」


「そうだよ、結婚式に出た時に
グラスを積み上げたタワーに

ワインを注いだのを覚えているかい」

 

 

「一番上がいっぱいになって

あふれて周りのグラスに

たまっていったあれのこと?」

「そうだよ、一番上のグラスが
自分なんだ、自分がいっぱいになって
あふれ出たものが周りに注がれるんだよ

だからまずは自分を満たすことが
先何だよ、自分を満たさないと
人に満たしてもらおうとしてし

まうんだよ、しかも無意識にね」

 

 

「ふ~ん、そうなんだ」

 

 

「だから、キー坊は自分に優しくして
その優しさで自分をいっぱい満たす

んだよ。
いっぱいになったら人にも注がれて

いくからね」

 

 

「自分に優しくすればいいとわかったけど

どうやって自分に優しくすればいいの?」

 

 

「キー坊はどんな言葉をかけられたら

うれしいかな?」

 

 

「そうだな、ほめられたらうれしい」

 

 

「じゃ、自分をほめてごらん」

 

 

「え!そんなこと、したことないよ
どうやるの?」

 

 

「キー坊が言われたい言葉を
キー坊に言えばいいんだよ

どんな時になんて言われたいの」

 

 

「お手伝いしてうまくできた時

すごいね、うまくできたね、

えらいね、かっこいいよかな」

 

 

「その言葉を自分で自分に
言ってあげるんだよ。」

 

 

「なんか、てれくさいな」

 

 

「そうだね、自分で自分をほめる
事はしてこなかったからね
最初はてれくさいかもしれないが
なれたら、気持ちよくなるよ」

 

 

「わかった、やってみるよ」

 

 

「自分で自分にやさしくしてない

から、人にそれを求めてしまうんだよ

そして、自分にやさしくしたら、ふしぎと

人が自分にやさしくなるんだよ」

 

 

「へ~そうなんだ、ふしぎだね」

 

 

「キー坊はもっと自分を表現して

いいんだよ、食べたいものがあったら

これが食べたい、飲みたいものがあったら

これが飲みたい、行きたいところが

あったらあそこに行きたいとね。

それから気持ちもだよ、こうされると

さびしいとか、悲しいとか、うれしいを

表現していいんだよ」

 

 

「そういえば、あまり言ってないな
うれしいときくらいはあるかも」

 

 

「そうだね、特にイヤな気持ちは、
あまり感じたくないから、
感じないようにしているんだね」

 

 

「頭にきた、ボクは怒ってるんだ

っていっていいの?」

 

 

「頭にきたときを思い出してごらん

頭にくる前に何か感じなかったかい?

ほんとはこうしてほしかった。

こう言って欲しかった。
とかなかったかな?」

 

 

「あ、そういえばあった

話を聞いて欲しかった

ほめてほしかった

分かってほしかった」

 

 

「そう思って、どんな気持ちになった?」

 

 

「さびしかった」

 

 

「さびしさを感じたくないから
怒りでごまかそうとしたんだね」

 

 

「へ~、そうなんだ」

 

 

「何か言われて、さびしさを感じたら

そんなこと言われるとさびしいと

伝えればいいんだよ。

素直に表現し、自分でも気づいて
感じてあげるんだよ。

あ~今さびしいと思ってるんだね
といってさびしい気持ちを感じて

分かってあげたらいい」

 

 

「わかった、
これからはすなおに言うね」

 

 

「そうだね、これでわかったかな?

このことが本当にわかってくると

争いはなくなるんだよ。

だって、相手を傷つけることは、
自分を傷つけることになるからね」

 

 

「わかったよ、おばあちゃん

これからは自分にやさしくするし

自分の気持ちも言うし、

自分で気持ちを分かってあげる

からね」

 

 

「キー坊はスナオでいい子だね
おばあちゃんはうれしいよ」

 

 

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同じことを学んでも全く逆の結果が出る
ことがあります。

私は学べば学ぶ程辛くなる時期が
ありました。

それは、今まで意識してなかったこと
を意識しだしたからです。

たとえば、あるセミナーを受けて
「悩みや問題は自らが作り出している」
ということを学んだら、
やっぱり自分が悪いんだと思い、
自分はダメだと思い
ダメな自分をより強く感じるように
なりました。

「因果の法則」を学んだあとに、
ひどい目にあったら、きっと自分が
どこかで、いつか同じようなことを
したに違いないと思い、やっぱり
自分はダメだと思う。

セルフイメージなんて言葉を知らず、
あまり自分を意識してなかったのに
意識しだし、自分はセルフイメージが

低かったと自分をジャッジして、
自分はダメだと思う。

 

こんな感じで、学べば学ぶ程
ダメな自分を強化してました。

自分を成長させたいと思って
学んだのに、自己卑下、自己否定
が強くなる一方でした。

なぜこうなったのか、知識の使い方
を知らなかったからです。

包丁は料理を作るのに使えば、
料理を食べた人を感動させたり
幸福感を与えたり、喜びを与える
ことができますが、使い方を間違
えると、自分を傷つけ、人を傷つけ
最悪、殺人凶器にすらなります。

言葉も同じです。

その言葉をどのように解釈し、
どの様に使うかで自分を成長させたり、
心を傷付けたり、
人の心も傷つけることになります。

自殺に追いやることすらあります。

 

学びを自己成長のために使えば
良かったのに、自分をジャッジし、
責めることに使ってしまい、
ダメな自分を意識しだして、
ダメな自分を強化してました。

学びの使い方の間違いに気づき
自問自答して振り返りました。

学ぶ目的は何なのか?
自分を成長させるためでした。

ならば、自分を責めることは
成長には繋がらない。

成長したいと思ったから、
成長するために問題を作り出す
こともあるでしょう。

 

学んだ結果、自己否定が強くなった
今まで問題としてなかったのが
問題として浮き上がってきた。
 

そもそもこの自己否定は
学んだから出てきたのか?
 

自分で見ないようにしていただけ

 

悩みや問題を作り出した自分を
理解し、成長へとつなげていく

逆に問題を持つことで、
現状にとどまることができる
メリットもある。

どちらが自分にとって受け入れ
やすいかだと思い、成長するために
問題を作ったと思いました。

これを解決したらどんな成長した
自分がいるのか想像しました。

問題を解決して、自信と誇りを
持った自分がいました。



こんな自分になりたくて、
この問題を作り上げたんだ

こう思えると、もう問題では
なくなりました。

成長するためのプロセスです。

では、どの様に解決してゆくか
を考えられるようになりました。

 

学んだことを、自分が成長するために
使い、実行してみて、体験して知恵に

変えていけばいいと思いました。

 

何か少しでもお役に立てたら嬉しいです。

 

 

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食べ物に対して神経質になるくらい
気を使っても病気になる一方で
ヘビースモーカーでも何の病気に
ならないのはなぜ?




病気になって食べ物に気を使う人
は多いですが、食べ物に神経質な
くらい気を使っているのに病気に
なる人も多いです。

 



健康的な食生活をしている方でも
恐怖心からしていると、ガンや
思わぬ病気になったりもします。

私の経験からいえることは
動機と同じ感情を体験する
ようです。

動機やそのものに対する認識
よって変わるということです。


恐怖心から始めたら恐怖心を
強化する結果になることが
多いです。


ヘビースモーカーでもガンにも
ならず、元気な人もいます。

その人にとっては、タバコが
精神安定剤的な役割を果たして
いるのかも知れません。

心地よく、気分転換させてくれる
ものと思えば、プラシーボ効果で
心地よくなるでしょう。

「愛と怖れ」という本があるくらい
ですが、動機が愛からなのか、
怖れからなのかをはっきりさせれば
結果を想像することができます。

私の場合、心配や不安が動機に
なることが多かったです。

なので、更に心配や不安を
強化する結果が多かったです。

今、していることの動機は何か?

何かを始めるときには、
これを始める動機は何か
確認した方が良さそうですね。

最後まで読んで下さり
ありがとうございます。

あなたとあなたの周りが
お幸せでありますように!

 

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「おばあさん

この子が肩にのせてるのは何?」

 

 

 

「これはね

天秤棒というんだよ」

 

「前と後ろを同じ重さにすると

バランスが取れて歩きやすいんだよ」

 

「へ~そうなんだ!」

「重さが違うとどうなるの」

 

「前が重いと前に傾き

後ろが重いと後ろに傾いて

とても歩きにくくなるんだよ」

 

「これはね、モノだけでなくて

考え方にも当てはまるんだよ」

 

 

「考え方にもあてはまるの?」

 

「そうだよ、例えばね

キー坊が何かのテストで
95点取ったらどう思うかな」

 

「そりゃー、うれしいよ」

 

「どうしてうれしいのかな?」

 

「だって、95点もとれたんだよ」

 

「でもね、悔しがったり、

残念がる子もいるんだよ」

 

「え~、そうなんだ」

 

「あと5点で満点だったのに!悔しい」

「何であと5点何とれなかったんだろう?」

と思う親や子がいるんだよ」

 

「へ~、そんな人もいるんだ」

 

「ここで、問題なのは、100点が良くて
0点はダメという考え方なんだよ」

 

「でも、みんなそう思うでしょ」

 

「良いか悪いか、正しいか正しくないか
これが天秤になるんだよ、この考え方

で苦しむんだよ」

 

「じゃ、どうすればいいの?」

 

「ふたつに分けないひとつになれる
考え方をするんだよ。例えば、
私の考え方が絶対正しいと思うと、
違う考え方の人を、あの人は間違って
いると思ってしまう。
でも、根底にはどちらも同じ幸せを
求めての考え方だったりするんだよ」

「なんか、むずかしいな」

 

「例えば、二人の人がいて二人とも
リンゴが食べたいけどリンゴが1つしかない
その時、キー坊ならどうするかな?」

 

「僕はいいからと言ってあげるかな?」

 

「キー坊も食べたかったんだよ」

 

「ぼくがガマンして他の人がよろこべば
それで僕もうれしい」

 

「やさしい子だね!

キー坊の食べたい気はどうなるの?

どこへいったの?」

 

「よろこんでくれたから、
うれしいに変わったのかな?」

 

「食べたい気持ちはなくなったの?」

「なくなってないかも知れないな」

「じゃ、リンゴを受け取った人が
ふたりで半分ずつ食べようよと

言ったらどうする?」

 

「よろこんで一緒に食べるよ」

「自分も相手も、みんながよろこぶ
考え方がひとつになる考え方なんだよ」

 

「わかった、みんながよろこぶことを

考えればいいんだね」

 

 

「そうだよ」

 

「ありがとう、おばあちゃん」

 

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おばあちゃん

 

けさ、お父さんがテレビのニュースを見て

自業自得だ、言い訳ばかりして男らしくない

と言ってから僕に言ったんだよ。

 

「キー坊は悪いことをしたと思ったら

あれこれ言い訳せずちゃんと謝れよ」

 

「うん、わかった」と言ったけど

自業自得ってどうゆうことなの

 

仏教ではね

 

「自業」とは「自分の行い」

 

「自得」とは「自分が結果、運命を得る」

 

「つまり、自分の行いが自分の運命を

生み出すということだよ」

 

「でも、普通は、悪い結果が来た時だけに
使っているね」

 

「頑張って勉強して大学に合格した時に

「自業自得だ」とは言わないね」

 

「今までひどいことをしてきた人が
ひどい目にあったときに言う言葉だね」

 

「今朝、お父さんは言い訳をするなと

言ってたけどね、

会社で部長に頭ごなしに怒られたみたいよ

事情を聴いてもらえなかったと言ってたね」

 

「これは自業自得なの?」

 

「そうかもしれないね」

 

「怒ったら怒られるの?」

 

「そうゆう場合もあるね」

 

「同じことが返ってくるの」

 

「同じ事というより同じエネルギーと

言った方がいいかな」

 

「原因結果の法則」とか
「与えるものが受け取るもの」とか

「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」

などとも言うね」

 

「よくわからないな」

 

「例えば、

お花見に行ってゴミを木の下に捨てて
帰った場合どんなことになると思うかな」

 

 

 

 

「自分の家の前にゴミを捨てられる?」

 

「そうゆうこともあるかも知れないね

他にはどんなことが起こるかな」

 

「わからない」

 

「ゴミが捨てられた現場を見た人は

どんな気持ちになるかな?」

 

「汚い、いやな気持ちになるかな」

 

「嫌な気持ちということは居心地が

悪いということだね」

 

「うん、そうだね」

 

「行く先々で居心地が悪い環境に出会う

事になるんだね」

 

「例えば、人の不満をやたらと聞かされる

かも知れない」

 

「なぜか、嫌な思いをさせられる態度を

取られる人に巡り合う」

 

「ワー、色々なことが起こるんだね」

 

「そうなんだよ、時間をおいて起こったりする

ので関連がわかりづらいね」

 

「だから気をつけなきゃいけないんだよ」

 

「何か不快なことがあったら、

自分が誰かに何か不快な思いをさせる

事がなかったか振り返る必要も出てくるね」

 

「わかったよ」

 

「悪いことだけでなくて良いことも受け取るから

良いことをするとよい結果を受け取ることになるよ」

 

「例えば、人に親切にしたら、
誰かに親切にされるとかね」
 

「わかったよ、

気分が良くなることをすればいいんだね」

 

「そうだよ、自分も相手も気分が良くなる

のが一番いいんだよ」

 

「よくわかった。おばあちゃんありがとう」

 

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