(4)試練と詩
そして私自身はそれを契機に次の段階へ進んだ形になりました。
今までと何かが変わっていったという実感がありました。表出される詩も微妙に変わっていきました。
いろいろと新たな出会いがあったり、物事が予想以上に思うように進んでいったりもしました。
ある本の中で、号泣するような時は、そのことがその後の人生を左右する大きな出来事となるような時に、その記憶を強烈に残すために脳が働いてそう(号泣や強烈に感動)させるといったようなことが書いてあった記憶があるのですが、
まさに、2007年秋にそんな号泣する出来事に遭遇し、私自身も、これまで以上に大きな変化がこれから起こっていくことになるかもしれない、と思いながら時を過ごしていったのでした。
そして、何となくそのことは本当に当たっていると思えたりしました。
しかしながら、ある時期とても順調に進みつつも、次第に次なる試練がやってくる感覚を覚えたのでした。
2008年の6月頃までが次の試練の一つの山でした。
そして、なぜか3回の似たような試練がやってくるのでした。それは心の葛藤を伴う、心の苦しみを伴う試練でした。
1回目も2回目も、寝込みたくなるほどの境地を味わされ、どうしてこんなことになるのかもわからないぐらいでした。
その3回の試練は、それぞれ別々な相手とシチュエーションではあったのですが、
何かこちらがその対応、反応が、それまでから一転して急にすごく素っ気ない、あるいは急に態度が冷たくなるような感覚を私自身が感じざるを得ないような状況が巧妙にも演出されてしまっていて、
そのことでとてつもなく心が苦悩、葛藤させられたのでした。
そして3回目に最も苦しみ、何もかも忘れて寝込みたくなるような状況でいた時に、なぜか丁度あるメールが携帯に入り、その中にまさにヒントがあって、その状況を越えることができたのでした。
そして、その3回の試練の意味合いもすべて解けて、それをもって、『何もかも忘れてしまいたい時』
という詩も生まれたのでした。
ついでに言うと、その詩をブログ上に掲載すると、なぜだかとてもいい反応がいくつもあって、
"ほんと勇気もらえます!ありがとうございます"
とか
"世の中の悩んでいる人すべての人に読んで頂きたい日記ですね。"とか
"『だからしんどいのね!』って納得しました…ありがとうございます"
といった感想をいただいたりしたのでした。
(一部抜粋)
でも、それだけ、次を越えるための大きな試練が用意されて、それを越えさせられて、その結果として、そういった言葉が与えられたという感じだったのでした。
その時も、自分の心の根底に、嫉妬してしまうような思いがまだまだ存在していたことを痛感させられ、それも認めざるを得ませんでした。
そういうように、普通ではそんなことまでは考えたりしないものなのかもしれないのでしょうが、
私の場合はなぜか、そういう心の奥底の所まで踏み込んで何かある境地に達するまでの試練が与えられていくという流れがどんどん生じていくのでした。
~続く ~
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