ひとつ上の次元が縦横高さに時間と仮定したとき、縦横高さのこの次元に、どのように実体化するのか。

永らく華国よりの木火土金水の五行思想や、メソポタミアあたりからの地水火風の四大元素という“見方”が支配的であった。
しかし、これは実のところ、より次元を落とした、つまり縦横の次元解釈だということである。

時間まで入れたそのままを、われわれの“脳”では把握できない。意識はできても、アタマには変換できない。なぜなら、次元が違うから。
であるから、“実体化する”ところに限って、こちらの次元から見上げるとするならば、その“入口”などのあたりかという意味で、どうも次の四つであるらしい。
「水」「光」「固定」「展開」
んん?
水は、水である。これは、物質の根本のひとつらしいので。
光は、他の要素をすべて含んでいるらしい。熱も要素変換の過程のようだし、一般に闇といわれるところも、含んでいるらしい。
固定とは、ある状態に固定する。弱まれば、流動というようなこと。
展開は、難解なんだが、時間のエネルギーがどう実体化するかのところ。上の次元で大きなエネルギー(大きなというのは、この次元的な捉え方でしかないらしいが)が、大きいからといってドカーンと実体化するとは、限らない。いわば、分散的に実体化するならば、いわば小出し小出しである。はたまた、一点で凄い深さで実体化することもある。そうした、展開のあり様のようである。

たとえば、311のとき。まず、本質は水のエネルギーの実体化だという。光のエネルギーは、小さかった。固定については、流動だった。そして、展開については“通常”だという。
つまり、水のエネルギーが大きく流動的に実体化するために、光のあらわれの一つである地面が水に関係するところでそれに、“小さく”関係し、時間エネルギーとしてはいわば“中くらい”に実体化したといえるのだろう。
我々からみると、ものすごいアレが、それくらいのものらしいのだ。
もし、光のエネルギーまで大きかったら、あり得ない事態であったろう。

現在……という言い方そのものが、正にこの次元的なので、齟齬をきたす可能性大なのだが、一応メモると……日本における実体化と世界各所における実体化は、少しく異なっているようだ。
日本だけでいうと、直近では、水が(我々的には)中くらい、光がかなり強くて、展開はやや深めという。問題は、固定についてで、これが本質だという。“バラバラの方向”という言葉が、ちらついた。ただ、(311ですら大祭ではないというのだから、何をかいわんやではあるが)大きな祭ではないという。しかし、展開が深めということは、ピンポイントで箇所箇所が甚大ということになる。
また、光のなかには火、たとえば火山も、含まれるわけだ。

さらに、もっと大祭に近い、さきほどの直近よりは後になるなるであろう実体化は、水も光もかなり大きく、展開は短い三連という感じではいってくる。さらに、固定についてはよくわからないのだが、より固定と“消滅”が同時多発的というような感じ。正直、消滅はよくわからない。相手はエネルギーなので、消滅とは何か。保存の法則もへったくれもないのか。わからない。
が、展開のいわば三連ちゃんというのは困った感じだ。しかも、水も光も大きめなのだ。

もう一つ。実は上記は、四つの側面を記したのだが、もう一つあるらしい。が、それはさらに、上の次元との関係性らしくて、もはや表現のしようもないところである。

本メモは、入ってきたと同時にメモってるだけで、正確には捉えきれていないのは勿論、自分なりの“解釈”も全くしていないものである。