こいつは、昨日、実家で貰ったゴーフルなんだが。
おふくろ曰く、「忘れてたら、8月3日に賞味期限来てる。捨てよう」ってのを、大丈夫だからと貰ってきたわけだ。
まぁ約1ヶ月過ぎてるが、開封してないんだし。

賞味期限と消費期限とか、食品に関してよく言われるし、はたまた恋愛やジンセーの賞味期限なども話題に出るよね。
なんかさー、この感覚ってニホンジンならではって感じるんだけど、どうなん? 海外でも、ジンセーの賞味期限って感覚あんのかな。

こないだBSでアメリカの都市を縦断訪問する番組やってて、チラリとみたんだが、やっぱアメリカってすげー自由だな。テレビとかって、一面しか出さないし、考えられないほどヒドイ側面だらけの国だってことはアタマではよくわかってるけど、それにしても自由さには“撃たれる”よ。
たとえば、タイプライター…昔なからのアレ。カタカタいうやつ…抱えて、即興の“詩”をつくる“仕事”をしてる若者。タイプライター抱えた吟遊詩人だよね。都市から都市を、それで渡ってるわけだ。これ、ほぼ日本じゃ成立しないよね。それほどビンぼーっぽくないんだよ。日本だと、労働者しか仕事ないよね。

これって、多くの外国人が日本に来られると変わるってな政策その他では、変わらないことだと思うな。オリンピックやってもおんなじじゃないの?
家でもこれまで、ホームステイ受受け入れ何人かしたけど、ボクの意識は少しも変わらなかったからね。

まぁ、同じように面積は広い中国やロシアが自由かっていったら、全然違うしね。
アタマで考えた理念やらから生まれたアメリカだけなのかもしれんね。あんなバカで楽しそうな感じというのは。
どこの街だったか、公園があって、背広スーツ着て傘さして指を上に向けている男の銅像が飾ってあるんだよね。これはアイロニーでさ、称賛してるんじゃないの。むしろバカにしていて、スーツ着てカチカチなことやってバカじゃないのって意味なんだと。ここら辺じゃみんなこういう服装よって、女性が指差す人々はみなカジュアルで、仕事着もそうだってわけだよね。

ボクなんかも、ふつーのサラリーマンだから、“ちゃんとした”服装で仕事に行くという常識の被害者を20数年やってる。
要は、こういうことが何故続くかなんだよ。これはね、社会的に力がある人に対して、“失礼があってはならない”的なとこから来てるんだ。この感覚を歴代受け継いでしまっているからだよ。
これ、リーマン社会のハナシだけでないからね。和菓子や茶道やなんかでも、全く同じ構造になってるんだから。

自由になりたい。
この思いは、しかしアメリカ人にとっても別次元で今もあるんだろうけどね。
日本は、初歩の初歩のところで、いい加減自由になりたいよねー。