なごやんのBCL史(番外㊵)オープンリールテープの時代 | (新)なごやん

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名古屋からJリーグ アルビレックス新潟に熱い思いを送ります。旺盛な好奇心そのままに、アルビネタに留まらず、鉄道、芸術、SWL(短波・海外放送受信)、昆虫、等々、思いつくまま書いていきます。
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 テレワークは不便な面も多いのですが、往復約2時間の通勤時間がカットできるのは少ない利点のひとつです。朝の1時間はなんとなくチンタラ過ごし、あまり役に立ちませんが、夕方帰宅時間にあたる1時間はそれなりに「ひと仕事」できます。

 通勤時間だけでなく、外出後の手洗いや着替えの時間もカットですから。

 

 先日は、断捨離も兼ねて古いオープンリールテープを整理しました。

 その中には海外からのラジオ放送にまつわるものもあります。

 

【「ソニー坊やの歌」の裏面】

 1960年代のことです。

 ソニーテープレコーダーを買うと"おまけ(見本)"として付いてきた直径約72mmのソニテープ(ソニーテープではありません)には当時のソニーのテーマミュージック「ソニー坊やの歌(♪ ソニー ソニー ソニー S・O・N・Y ソニ~)」が録音されていました。ダークダックスが歌っています。

 テープのケースはそのまま郵便パックとして使える、チョットおしゃれなものです。

 「声の便り」ですね。今なら孫と祖父母のリアルタイムネット送受信といったものでしょう。

 

 カセットテープもそうですが、このオープンリールテープも両面、というより正しくは往復使えますので、私は表(Side 1)はそのままにし、裏面(Side 2)にモスクワ放送の一部を録音していました。

 

 モスクワ放送、1964年1月1日第1回目の放送を一部録音したもので、内容は当時のニキータ・フルシチョフソ連邦首相・第一書記の日本国民に向けた新年のあいさつ(日本語訳)です。

 

 フルシチョフ首相はスターリン主義を厳しく批判した人で、西側世界でも比較的好意的に受け入れられていました。しかし、1962年、キューバに設置したミサイル基地を巡って米国と激しく対立し、米国のJ.F.ケネディ大統領とは一触即発、あわや核戦争かという危機を招きました。

 結果はフルシチョフ首相がモスクワ放送を通じて米国民に直接呼びかけ、ソ連邦が折れる形で収束しました。世界中が緊張に包まれたできごとでした*

*世界史上キューバ危機と呼ばれています。

 

 その後、ソ連邦内の権力抗争から、フルシチョフ首相は1964年10月、首相の座をアレクセイ・コスィギンに、第一書記(書記長)をレオニード・ブレジネフに引き継ぎました。

 ですから、1964年は日本国民に向けた最後の年頭メッセージを発した年となりました。

 フルシチョフ首相の日本国民への最後の呼びかけというところでしょう。

 

 反スターリンのフルシチョフ氏が今のロシアのプーチン大統領の強権ぶりを見たらどう思うでしょう。

 

【新年初の日本語放送】

 私の「資料室」(という名の物置部屋)を物色中に見つけたのが 8mm 映画に使うフィルムのケースに入っていたオープンリールテープです。上のソニテープと同じ大きさです。

 このテープに録音されていたのは1967年1月1日、日本語による1回目の放送のインターバルシグナルから放送冒頭の数分間の内容です。

 

 翌年、1968年1月1日はもう少し大型のテープに録音していました。

 

 当時、大韓民国のKBS国際放送では日本向け日本語放送のインターバルシグナルに「故郷の春(고향 」を使っていました。

 また、北京放送(現、中国国際放送)のインターバルシグナルは1967年時点では東方紅の出だしの2小節(♪东方红,太阳升)でしたが、1968年には4小節(♪东方红,太阳升,中国出了个毛泽东)になっていました。文化大革命の嵐が吹きすさぶ時代、敢えて毛泽东(毛沢東)の部分を加えたのでしょう。

 インターバルシグナル後の開始音楽は1964年の東京オリンピックの頃は国歌の「義勇軍行進曲」でしたが、いつから変わったのか、1967年には「東方紅」の全曲になっていました。

 ちなみに、このテープには1968年1月1日5時前からのNHK新潟第一放送のインターバルシグナル、放送開始アナウンスメント、時報、(当時はまだ国歌に制定されていなかった)"君が代"、ニュース、番組の一部も録音されていました。

 

 そして、これらのテープを聴くとともに、デジタル化してパソコンに保存することにしました。カセットテープの録音/再生機はまだしも、このテープレコーダー(SONY Tapecorder 262,1963年製造)はいつどうなるかわかりませんから。

 

 スカイセンサー(ソニー~私の現使用機)やクーガ(ナショナル)といった、いわゆるBCL用の高性能ラジオが発売される前の時代、真空管 5本を使った不安定な家庭用ラジオ(いわゆる5球スーパーラジオ)から採録したものです。

 アンテナ、アースの工夫に加えて根気が必要でした。

 ライン接続ができるラジオではなかったので、スピーカーの前にマイクを置いて、周囲で音をたてないようにして注意深く録音しました。

 受信するだけでも難しいこの時代、よくぞこれだけ録音できたと、正直、改めて感心感心(←自分をほめてどうする !?)です。

 

 とりわけ、英国BBCの日本向け日本語放送のオープニングに使われた「海の歌(Sea Songs)」を聴くと当時が懐かしく、そう、涙が出るくらい懐かしく思い出されます。

 

 まさに、「古き良き時代のSWL(BCL)」というところでした。

 

これまでのBCL史はこちらをご覧ください。

 

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