今回は大胆な仮説を展開します。
日本に仏教が伝来したのは西暦538年と言われています。
つまりこの物語の時代より80年ほど先の話となります。
しかし、百済にはすでに仏教は伝わっており、
その百済から倭国に来た帰化人たちも当然、
その教えを知っていた筈なのではないかと考えました。
という前提で今回の物語は進みます。
尚、今回から前回の最後の部分をグレーの文字で示すことにします。
6-2
飯豊もいつしか紛れもない女性としての本能に目覚めつつあったのだ。
しかしながら、身分の違いはどうすることも出来なかったし、
ましてやそのようなことを真玖根に打ち明けることなど出来よう筈もなかった。
ただ、このような淡い恋心は、飯豊の生涯にあって、
唯一ともいうべきものであったのかも知れない。
その一方で、飯豊は百済の巫女、亜麻那味を母のように慕うようになっていた。
脇田の工房に行けば時折、彼女に会うことが出来た。
そしてある日、亜麻那味は初めて飯豊を自らの館に招いたのであった。
「ひめみこにお見せしたいものがございます」
飯豊が彼女の館に入ると、見たこともないような祭壇があるのが目に入った。
そして、その中央には小さな人型の木像が屹立している。
「あの像は誰?」
「シャーキヤムニ(釈迦牟尼)という尊いお方です」
「何をされた人?」
「我々に救いの道を諭して下さった方です」
「救いの道?」
「人は罪深いもの。我が祖国では今も尚、戦が絶えることはありません。
皆がシャーキヤムニの教えを信じれば、この世から戦はなくなるのです。
ひめみこには追々お教えして参りましょう」
「館に漂うこのいい香りは何?」
「香といいます。百済の貴族たちは皆、この香りを楽しむのです」
「本当になんとよい香りでしょう」
「ひめみこにも差し上げましょう。
一人寝のさびしい夜などに枕元で焚くと、とてもよく眠れるのです」
「これからは時々、ここに泊ってもいい?」
仏教の伝来ルート 日本へは百済から伝わったとされています。
さて、間もなく飯豊の身に痛ましい事件が起きることになりますが、
彼女はそれを逞しく乗り越えていきます。
そのくだりまであと2回!