先週と今週の「名探偵コナン」は関門海峡が舞台でしたね。
(あのトリックは絶対ムリだと思うのですが……。)
さて、前回の続きです。
※前回の記事は↓こちら。
下関には、神功皇后ゆかりの地名が数多く残されています。
最後に、それらをご紹介して終わりにします。
忌宮神社の飛地境内である満珠・干珠には、
皇后が龍神から「潮干珠」(しおひるたま)と
「潮満珠」(しおみつるたま)を借り受け、
新羅の大軍が攻めてきた時に、それを用いて撃退。
その後、三韓征伐から凱旋した皇后が、
龍神に返すために珠を海に沈めたところ、
これらの島が浮かび上がったという伝説があります。
満珠・干珠
長府を流れる「壇具川」の名は、
皇后が壇を築いて三韓征伐を祈願し、
その道具を流したことに由来すると言われています。
壇具川手づくり郷土賞受賞の記念碑
源平合戦で有名な「壇之浦」の地名も、
皇后が祭壇を築いたことに由来すると言われています。
「壇の浦古戦場址」の碑
JRの駅名としても有名な「幡生」(はたぶ)は、
皇后が熊襲征伐の旗上げをした場所で、
多くの軍船の旗が並んでいた様子からが、
旗が生え揃ったように見えたため
その名が付いたと言われています。
その近くにある「武久」の地名は、
皇后が戦勝を祈願するための海水を汲んだ場所で、
「武運長久」が略されたものと言われています。
本州最西端の「吉母」(よしも)の地名は、
皇后が三韓征伐から帰国した際、当地で応神天皇を出産。
その時、海藻を集めた寝所を設けたことから「寄せ藻」となり、
それが今の「吉母」につながっていったと言われています。
「本州最西端の地」の碑と
神功皇后が帰国した時に上陸したと言われる畳石
日本海に浮かぶ「蓋井島」(ふたおいじま)の名は、
神功皇后が三韓征伐の際、
島の二つの井戸に蓋をしたことに由来します。
そして、「安岡」の地名も、
皇后が武内宿禰と軍議を行った後に休憩したことから
「やすらが丘」と呼ばれ、
それが転化して「安岡」になったと言われています。
「史蹟 憩ヶ丘」の碑
※掲載写真については↓こちらもご参照ください。








