上褄山、下褄山 東前方の山 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

豊田湖北側に架かる地吉橋の近くに建てられている碑です。

向かって右の碑には「上褄山」と記されています。

 

左の碑には「下褄山 東前方の山」と記されているようです。

「東前方の」の下の文字が枯れ葉に埋もれてはっきりしませんが、

「山」と書かれていると思います。

 

いずれも、地元出身の齊藤善次氏が建てたものです。

 

上褄山、下褄山ともに

安徳天皇西市御陵墓参考地(王居止御陵)」と

関係があるようですが、詳細は確認できておりません。

 

碑の場所はこちらです。

 

さて、碑によれば、碑が麓に建てられている山が上褄山で、

豊田湖を挟んだ東側に下褄山があることになります。

ところが……。

 

 

以前ご紹介した陵墓の案内図なのですが、

この案内図にも上褄山、下褄山の名前が記載されています。

 

 

この図では、上褄山と下褄山が逆です。

※この地図は、南が上になっています。

 

どうやらこれが正しくて、石碑が逆みたいです。

 

なお、陵墓の案内図を掲載した時にご紹介した、

「安徳天皇西市御陵墓参考地(王居止御陵)」である丸尾山に

卑弥呼が埋葬されているという説によると、

下褄山には、卑弥呼の冬の居城があったそうです。

 

 

前々回掲載した写真です。

正面が下褄山のようです。

上褄山の写真は撮っておりませんでした。