御衣濯の池 左前方凡三十米崖下湖底、古刀出土の地 正面前方五十米湖底内数本出土 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

安徳天皇西市御陵墓参考地(王居止御陵)」の前、

豊田湖に向かって石碑が2基建てられています。

 

 

向かって左の碑には

「御衣濯の池 左前方凡三十米崖下湖底」と記されています。

 

「御衣濯の池」とは、当地に運ばれてきた安徳天皇の

遺体が身につけていた衣類を洗った池だそうです。

 

 

向かって右の碑には

「古刀出土の地 正面前方五十米湖底内数本出土」と

記されていますが、

最後の「土」の文字は、土に隠れて読めませんでした。

 

壇之浦の戦いでは、安徳天皇と共に三種の神器の1つである

天叢雲剣(草薙剣)が関門海峡に沈みました。

発見された古刀がその剣だったという考えもあったようですが、

それならば、源義経が、

天叢雲剣を発見できなかったことを隠蔽するために

当地に安徳天皇の遺体を埋葬したという伝説とは矛盾しますね。

 

碑は地元出身の齊藤善次氏が建てたものです。

 

場所はこちらです。