雨の下関です。
例年であれば、今日は先帝祭の日なのですが、
新型コロナウイルスの影響で、
中止が決まっておりました(神事は非公開で開催)。
「関の先帝 小倉の祇園 雨が降らねば 金が降る」
昔から、下関の先帝祭と、対岸・北九州の小倉祇園太鼓は
雨に見舞われることが多いと言われていますが、
晴れているのに開催されないよりは、
雨で良かったなあと今年に限っては感じますね。
さて、先帝祭の「先帝」とは、
壇之浦の戦いで命を落とした安徳天皇のことです。
前回も掲載した
「安徳天皇西市御陵墓参考地(王居止御陵)」のそばに並ぶ
石碑の写真です。
向かって左奥に建てられている、木戸孝允の詩碑です。
「渓流捲巨石 山岳横半空 寿永陵辺路 断腸守宇声」
「寿永陵」というのがここの陵墓のことですが、
「寿永」とは、安徳天皇在位中の
1182年から使われていた元号です。
1184年、源氏が擁した後鳥羽天皇の下、
元号は「元暦」に改められましたが、
安徳天皇擁する平家は、滅亡まで「寿永」を使い続けました。
この詩は、明治8年(1875年)に孝允が
現在の豊田湖の場所にあった光雲寺に宿泊した際に
残したものと言われています。
しかし、孝允が明治8年に光雲寺に宿泊することは
難しかったのではないかという意見もあります。
「明治8年5月2日に光雲寺に宿泊した」という
郷土資料もあるようですが、
孝允の日記によると、当日は東京や横浜にいたようです。
また、明治4年(1871年)4月28日の彼の日記には
以下の漢詩が記されています。
「溪流巻巨石 山岳半空横 四月陵辺路 唯聞杜宇声」
ですから、石碑の漢詩は、少なくとも明治8年に陵墓を訪れて
初めて作ったものではないようです。
碑は昭和30年(1955年)、その前年に
木屋川ダムが完成したことを記念して建てられました。
陵墓が面する豊田湖は、木屋川ダムのダム湖です。
碑の場所はこちらです。