細くて長い私の水泳人生(その3) | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

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陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

 

MIYUKIです。

細くて長い私の水泳人生(細くて長い私の水泳人生 (その1) その2)を書いておきながら、一番重要な準指導員の資格試験がどうであったかという結末が、今日まで置き去りにされてしまいました。

 

 

さてさて、「場違い」という自分の立場を、今さら振り返る余裕などというものは既に失せて、問題の100mのメドレーをどう乗り切るか、その事だけが頭に渦巻いていました。

 

教育委員会の人が言っていたアドバイスを頭の中でリフレイン。

 

「勢い」

 

それしかありません!

 

他の人たちの見事な泳ぎを感心している余裕もなく、私はゴーグルを眼のふちに食い込むのではないかという位に、きつくしめました。

 

そうです、飛び込みの角度が悪いとゴーグルが外れてしまうのです・・

 

外れたままで泳ぐなどというみっともない事は絶対に避けたい、その一心でゴーグルのゴムを目いっぱいひっぱり、目が異常に吊り上がる位に。(その顔を想像するのはよしましょう・・)

 

 

私に残された最後のチャンスは、この「勢い」しかないのです。

 

メドレーの順番は、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールとなります。

 

問題は飛び込みと、最初に泳ぐバタフライ。

 

バタフライと言えるかどうか分からないような自己流のバタフライは、25m泳ぐのがやっと、下手をするとその前で撃沈・・・そんな状態ですから、とにかく少しでも遠くに飛び込んで、バタフライを泳ぐ距離を短くしたい、しかしそんな下心で飛び込むと、飛び込んだ時点で失敗してしまう可能性が大・・その何とも言えぬ微妙な、実に繊細で絶妙なバランスを、水中眼鏡をきつく縛りすぎて、脳に酸素がいかない状態で考え続けました・・

 

 

いよいよ私の番がやってきました。

 

 

最後の最期までその絶妙なバランスとやらを、頭に描きつつスタート台へ・・・

 

その後の出来事は、実はうっすらぼんやりとしか覚えておりません。

 

人間、自分に不都合な事は記憶の外に静かーに追いやるものです。

 

ただ、他の人には無かった飛び込んだ時の、バシャーンという音と跳ね上がる水しぶき、そ中をもがき苦しむように25mのバタフライを終えた事はしっかりと覚えています。

 

全ての体力をこの飛び込みとバタフライにつぎ込みました。

 

精魂使い果たしたその後の泳ぎは、まるでスローモーション・・・

 

最後の、私としては一番まともだと思えたクロールの時は、右や左のレーンには既に誰もいず、私一人で泳いでいました。

 

見ていた周りの人たちが、何故かやけに応援するかのような声を上げているではないですか・・・

 

そうなんです、タイム、タイムリミットが迫っていたのです。

 

あの時の事を思い出すすと、今でもあの疲労感がよみがえってきます。

 

泳ぎ方がどうであれ、なんとかかんとかタイム内に泳ぎ切る事が出来ました。

 

その後の潜水、横泳ぎを無事にこなし、いよいよ合格者発表。

 

 

な、な、なんと!私よりはるかに上手に泳いでいた数名が落ちてしまいました。

 

 

教育委員会の人が言っていたことは本当でした。

 

他の泳ぎは完璧でしたが、潜水で確かに体が浮いてしまったのです。

 

辛うじてようやく合格した私は、本当に、心から申し訳ない気持ちで一杯でした。

 

 

 

準指導員の資格試験を受けた人たちは、合格した事で一つの大きな目的を達成したのでしょうが、私はここが水泳人生のターニングポイントとなり、準指導員の名に恥じない泳ぎを、真剣に練習するスタート地点となったのです。

 

その後の私は、試験を目指しているが如く、集中的に各種目を練習しました。

 

ある程度自分でも納得できるような泳ぎになって、今現在息長く、研究しつつ楽しみながらの水泳を続けています。

 

岩見沢に越してきてからは、万泳会にも参加し、気が付けば、30万メートル達成の記念メダルと賞状まで頂きました。

 

現在は50万メートルを目指している最中です。

 

 

 

長い水泳人生がどんなものであるか、また機会を見て書いてみたいと思います。

 

細くて長い私の水泳人生 その1

 

細くて長い私の水泳人生 その2