Saishoku==彩色== -2ページ目

Saishoku==彩色==

ことばをさがして

仕事を離れた2年半
洋服を買う必要がない生活
おしゃれなママが多くなったけど
いろいろ検討してそれは放棄
汚れても怒らず、手間もかからず
すぐに出かけられる、ことを優先

仕事に戻る時に、さて何を着るかと考える
原点に戻って光野桃さんの本を読みかえす

おしゃれの幸福論



本からの引用
「本当に女の人に合った生き方があるとすれば、
それは一見中途半端に、きまぐれで手を出してきたことが
いつしかつながりあい、それが今の自分を作っている
・・・・そんな生き方」

途中まで私のことかと思い(笑)
いつしかつながりあう、そんな未来があったらいいな、と
希望を持った

ふと思った
「ジャケットを着ない、自分の好きな服を着られる仕事をしたい」

今の仕事はたまにジャケットがいる
1着しかないので、それを着ていて、
買い足そうと思ったけど買えなかった

限られた予算で、どうしても手が出なかった

そんな自分の感情
大事にしてもいいのかも、と思う今日この頃
難しいんですけどね

宮沢りえさん
歳が近いこともあるが
なんだかとっても、たおやかな雰囲気のある女性になったなぁと
以前は特に関心はなかったのだけど

舞台「Miwa」で美輪明宏さんを演じると聞いた時、
舞台女優さんになったんだ、と知り
急な代役を見事にこなされたと聞き
がぜん、舞台を見に行きたくなった
「Miwa」なんとしても行っておくんだった

野田秀樹さんとの対談を見たり
テレビで自分の話をされているのを見ても
選ぶことばが普通でいいな、と思ったり

割と個性的な服を着てたりするんだけど
本当にお似合いで
素敵だなぁと

40歳の誕生日の日
「40歳」で検索したらこんなサイトをみつけた
40歳は惑う
糸井重里さんのサイト
いやいや、まさに惑っております
この中に宮沢りえさんと糸井さんの対談があり、
糸井さんのコメントに共感

40歳の方におすすめのサイトです
同じ歳の人に関心がでてきた
作家の平野啓一郎さん

大好きだったモデルの春香さんが伴侶に選んだ人で
現代美術を透明感のある文章で語り
瀬戸内寂聴さんと美輪さんが取り合ったと・・
本で読んで 興味が増す
テレビで野口健さんと死について語っているのを見て
やっと本を手に取った

芥川賞『日蝕』は正直よくわからず・・・
『ドーン』『決壊』など、テーマによって文体も変える
こだわりに驚く

が、一番ひっかかったのはこちらの本

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)




個人というものがあるのではなく、
場や人に対する時々の自分が統合されて自分を形成している
分人という考え方に共感

仕事を辞めて海外赴任に同行
帰国後、妻と母という分人だけになった時
きつかった

振り返れば
学生時代も社会人の時も、バイトや習い事という
大学と会社とは別の場、人を必ず持ち、
バランスをとっていた

人一倍、いろんな分人を必要とする人間なのだ

仕事がすごく好きなわけでも、できるわけでもないけど
社会との接点としての場として
自分に必要な場なのだと思っていた

が、仕事をしている時の自分が割と好きなことに
気が付いた
何をしている時の自分が好きなのか
振り返るきっかけになった

平野さんはすごく思考が深く、
人の話をじっと聞くことのできる人なんだと感じた
知識と思考に裏打ちされた一言の重みを持ちつつも
人として重い存在では決してなく、
ファシリテーター的な場もうまくこなす

興味深い方だ

六本木の21_21 DESING SIGHTでやっている
クリストとジャンヌ=クロド展

まだ見ていないのですが、
先日、クリストのレクチャーに出席しました
絶対行きたい!!と予約開始時間丁度に予約を入れて、
無事席を確保

ミッドタウンで開催されたのですが、
大きな会場はぎっしり満席で、立ち見まで出ていました
やっぱり話を聞いてみたい人だよなぁ、と実感
そして、若い人が大半だったのことが
なんだか嬉しかったです

ランドスケープアートを手掛けている方で、
ご夫婦で活動されていたけれども、昨年奥様がなくなりました
日経新聞の訃報欄で見つけた時には、なんともいえないこころもちで、
きっと世界中で同じ気持ちを共有している人が
たくさんいるんだろうな、と。

レクチャーの中で印象に残ったのは、
「隠して建物の人格を強調した」という言葉でした。
パリのポンヌフや、ドイツのライヒスタークを梱包したクリスト。
これは建物だけではなく、人間もいえるような気がして、
レクチャーの日から頭に残ってはなれません。
ディテールを隠して表出される人格
そこに人格が残りえるのか、ということかもしれませんが

手掛けるものの規模が大きいため、
1つのプロジェクトは完成するまでの過程も含めて
われわれに“JOY”を与え
完成した暁には、これまでのどんなものからも得られなかった
“BEAUTY”をみせてくれる

「なぜこんなに困難なことをやるのか」という質問に、
こたえは、当然ひとつ、とばかりに
「JOY AND BEAUTY」と答えていた
クリストさんの強い意志と、決意が伝わってくる
勇気をもらえたレクチャーでした。


ボルゲーゼ美術館展を見に上野に行ったのですが、
今、国立西洋美術館は常設展が無料でみられるようです

そして、シャイム・スーチンの「狂女」が出ています

$Saishoku  ==彩色==

ボルゲーゼの帰り、入館ギリギリの16:30に前を通りかかって、
無料だと書いてあったので、ふらっと入っての出会いだったので感激でした。
常設は、クールベ、印象派、藤田やら良い絵がたくさん出ているので
とっても幸せな気分でゆっくりみられます。
すいていると思いますし。

ボルゲーゼもよかったです。
カラヴァッジョを見に行ったのですが、ギルダンダイオの「レダ」と「ルクレツィア」
が一番よかったかな。
絵から女性的な温かいピンクがかったオレンジの空気が漂ってくるようでした。



茅ヶ崎市美術館に行ってきました。
田中みぎわさんの作品を観るのとアーティストトークを聞きに。
小さな美術館ですが、ちょうど良い大きさで、立派な松の庭がある
素敵なところでした。

田中みぎわさんの作品に出合ったのは昨年
水墨画なんだけど、空気、水、光がまるで目の前にあるように描いていて、
作品の前で足が止まりました

石垣や熊本に住んで、日常となった自然を描きたかったとのこと。
「私にとって美しいとは、懐かしいという意味です」という言葉が印象的でした。
自然を感じる自然や感性がどこまでも繊細であると同時に、
自然に深い尊敬をいただいていることが伝わってきました

本当に素敵な美術館と作品です。
少し遠いですが、おすすめです。

No Man's Land

フランス大使館の建て替えにあたり
古い建物をアーティストと一般に開放しています

日本とフランスのアーティストが
壁や廊下には絵で、部屋はインスタレーションで埋め尽くす

濃密な人の気配が残る、大使館という特別な建物が
遊園地のようになっていました

金曜と土曜は22時まであいていて、今月いっぱいです
ライトアップされた雰囲気だけでも見る価値あり

ただ、作品は、いわゆる現代の作品なので
好みがわかれるところではあると思いますが。
私は、好きでしたが



東京都現代美術館でやっている
ラグジュアリー:ファッションの欲望

昨年いったのですが
着ることについての変化を上手に見せる展示となっていました

権力、地位、立場を誇示するために装っていた時代
飾り立てることから、服としての機能、心地よさが優先されるようになり、
大衆化されてくる

豊かになると、モードの最たるものとなり、時代を先取り、
今を表す代名詞となる
「モードに固有の時間感覚を「いま」を際立たせる現在優先主義」
だと見抜いていたのはゲオルク・ジンメル(ドイツ人思想家)

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)/鷲田 清一

¥630
Amazon.co.jp

モードを追うようになると、モードとは違う時間軸をもつ
「今までにはない服」を提唱する人がでてくる
その代表がコムデギャルソン

美術館の説明より引用
「今までにない服」の制作に挑戦する作り手。そのような服に出会い、
作り手が込めた情熱を受け止めようと努力する着用者。両者の間に生まれる
〈着る〉ことをめぐる濃密な体験もまた、精神的なラグジュアリーであるといえるでしょう。

まさに、そうだと。
妹島さんが空間デザインをしたコムデギャルソンの展示空間は
とっても心地よく、身につけられる展示物、的な独自の雰囲気がよかった

そしてメゾン・マルタン・マルジェラのひとつだけの服
レコードを切って重ねた服
靴ひもの服
陶器をつなぎ合わせた服
ボタンでできた服
美術作品と洋服のはざまのとても微妙なバランスの上に成り立っていた
いや、その独創性たるや、圧巻


現代女性の着るということ、についての文章の中で、
ダントツの冴えをみせるのは斎藤薫さんだろう。
着ること、とそこにまつわる女性の心の動き、感情の機微を上手に、
そして鋭くあばいていく。

されど“服”で人生は変わる/齋藤 薫

¥1,575
Amazon.co.jp


人生を、生きていく気分を上向かせるために不可欠な道具として自分のための服
自分を演出し、伝えるための社会的な服
母、妻といった役割をわきまえた服

ラグジュアリーの意味も時代とともに変化し、
金銭的な豪華さよりも、内面的な洗練が尊重されるようになったのが
今の時代の空気ではないだろうか。

モードを追うこともしかり
独自の道を追うこともしかり
選択肢が多い今、それしかなかったのではなく、
それを選んだ理由が、見えてしまうのではないだろうか

人が話している姿をじーっとみることが多くなり
物を読む時も内容よりも、トーンが気になったり
人の「印象」が以前よりも強く刻まれたり

内容とか、筋が通っているとか、分かりやすいとか、
そいういうことより気になることが自分にはあって
それをじーっと見ているんだと最近気づいた

その人は何をいおうとしているのかは、
発言内容だけではなく、態度や誰かの発言に対して
リアクションした時に一番あらわれ、
重要なシグナルは必ずしも記録には残されない、
もっと空気に近いところにある

「言語のマチエールが奪われている」

ビジネスの場面では特に顕著なのかもしれないし、
マチエールで表すことや、それを読み取るような余裕がないのも
また事実である

「平面的、即物的、金属的な言葉の氾濫」

勉強をしていて仕事場に戻って強く感じたこと。
言葉は平坦で、その意味についてあまり考える間もなく、次に進んでいく。
それは言葉というよりも記号として用いられている

「解決したら何か付加価値がつくこと」

そういう問いを見つけることが大切、といわれて、
自分は解決できそうもない問題を考えることに関心があるのだと気づく

人間がずーっと考えてきても答えが出ない問題で、
少なくとも私なんかには絶対わからない問題
そいういう問題は考えることに意味があって、
解決しようとすることにはそんなに重要ではない

「手触り。言葉では説明できない手触りとしかいいようがないもの」

マークロスコの絵について高村薫さんがしているコメント
まさに、手触り。それを表現しようとする人に魅かれる
それは言葉では説明できないし、説明できるたぐいのものではなく、
各人の五感と身体で感じるもの

マチエールのある言葉
身体性や五感で感じる何か

気になるものはそれなのかもしれない

知人のフラメンコの舞台を見に行った
フラメンコを見たのは、実は2回目
初回はマドリッドだったにもかかわらず、
34時間のフライトで到着した初日の夜に行ったため、
爆睡してしまった記憶しかほとんど残っていない・・・
若さって、いろんな意味で恐ろしい。。

フラメンコ教室の生徒の方の舞台だったが、
素人目にもレベルが高く、どっぷり鑑賞させていただいた

フラメンコは「踏む」舞踊なんだというのが強い印象
足をふみならし、手や腕を使って表現をする

音楽の効果もあると思うが、底流に悲哀があるように感じた
バレエや歌舞伎とはちょっとちがう
そして「踏む」ことで、苦難に耐え、打ち勝ち、
それを乗り越えて人生を楽しもうとする強くて美しい女性像が
立ち現れる
「踏む」=立ち向かう、乗り越える強さ

バレエは、垂直に飛ぶことで神に近づこうとした
ゴシック様式の教会が天に近づこうとしたように
(と、授業で聞いたような気がする)

対照的に日本の舞踊、日本舞踊や能はすり足が特徴的であり、
暗黒舞踊は踏みしめることで大地、下へ向かう
同じ踏む、でも日本の暗黒舞踊は農作業の動作からの身体に近い
(と、授業で聞いたような気がする)

フラメンコは「立ち向かい、乗り越えようとする凛々しい女性」
を表現できる舞踊である、ところに感動した
だから、きっとフラメンコは若い人よりも年を重ね、
身体にも年齢が刻まれた女性が、深い情感をこめて踊るのが似合うのではないだろうか

全身全霊でフラメンコと取り組んでいる友人が
この先、どんな踊りを表現してくれるのか

今後がさらに楽しみになりました
 (Y.Tさん、プレッシャーかけたかしら?(笑))