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Saishoku==彩色==

ことばをさがして


今日の富士山はきれいでしたね
朝、白くそびえる富士山がきれいにみえると、
それだけでなんともいえない感動に包まれるのは、
日本人だからなのか。

日本人としての文化的?すりこみなのか、
人間としての純粋な感動なのか
そんな区別は、もはやつかないのだけど、
なんとなく、朝ちらっと考えました

7月からはじめた仕事は、人事評価という全く未経験の仕事です
先日、やはり同じ会社の中だけどまったく違う仕事に移った
という知人と話して一致したのは、
「きびしいよね・・」 ということでした

知らないのだから、分からないのは仕方ないとして、
1つ1つの作業が点にしかならないのです。
線としてつながっていっていかないかんじ。
これがこうだったら、あれは当然こうなるでしょ、
みたいな、あたりまえのなんでもないことに気づけない感じ
なんとも、歯がゆく情けないのですが、いかんともしがたく

自分だけだろうなぁ、と思っていたので、
知人と共感できて、ホッとしたのですが

歳をとって新しいことにチャレンジする人はすごい、
とはよく聞く言葉だけど、本当にすごい、と思いました。
経験の上に載せていってレバレッジしていくのは
チャレンジとはいえ、やっぱりラクなはず
それを違う土俵で戦おう、っていうのは気力、体力を要します

ただ、歳をとったおかげというか、
そのうちなんとかなるだろう、と思えるのも経験からくるものなのか。
まわりにはご迷惑だろうけど、のんびりやらせてもらってます。


アイ・ウェイウェイ展@森美術館
よかったです
綺麗!素敵!というタイプのものではないので、
好みが分かれるところだとは思いますが

アヴァンギャルドチャイナという中国の現代美術の展示に行った時にも
感じたのですが、
中国って、やっぱり何かが違う。とてつもない底力を感じる
浅田次郎の『蒼穹の昴』を読んだ直後だったこともあるかもしれないけど

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)/浅田 次郎

¥620
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アイさん(呼び方がよくわからない)は、
コンセプチュアルアートやミニマムアートといった
西洋の美術史の文脈で生まれたものを、
中国の分野にグイッと引き寄せた

そのグイっが半端ではない感じがする。
引き寄せて、自国の自分の文化、文脈として一段高めている

なんだか、『覇』という感じが思う浮かぶ。
治めるとか、政治とかいうより『覇権』という感じ

広大な国土で、多様な民族を束ねる、束ねようとする、
結束して進歩しようとする
時間はかかるだろうるだろうけど、その規模や深さたるや、
アメリカや日本の比ではないんだろうな、と。



最後まで読みました。『太陽を曳く馬』

太陽を曳く馬〈上〉/高村 薫

¥1,890
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大好きな作家である高村薫さんと、マーク・ロスコの表紙
至福の組み合わせ

しかし、なんとも難解です。
高村さんの本はほとんど読んでますが、確か『新リア王』は
途中で挫折した記憶が・・・

上巻の画家の心理描写は、圧巻
下巻の宗教(オウムも)の問答は、雰囲気しか理解してませんが、
なんだかすごかった

まったく理解できない犯罪が多い世の中で、
なんだかわからない、と人が言い捨ててしまうことに真正面から
向き合った作品だとはいえると思う

向き合って、言葉をつくして、語ること
結論を出すよりも重要なこと

手紙のやり取りの中で、あえて旧かなづかいにしてある部分があるのだが、
確かに、旧かなで伝わる何かはあるように思った。
現代かなづかいでは伝わらない何か。
漢字はそれ自体が表現手段であり、言葉ではなくニュアンスをもつものなんだと。

偶然というか、時を同じくして映画の『禅』を見た。
なんでCG使っちゃったんだろう・・・という感じ。
まるで、そこにそれがいるかのように演技できるのが役者で、
それができそうな役者さんが出ているのに、GCで「見せちゃった」
見せちゃったことで、損なわれたものは大きいような。
宗教を扱った映画で、CGはないだろう。。趣も、味わいもなかった。

すべて「見せない」で、「伝える」こと
すべて見せないがゆえに、伝わること

伝えたいものを伝える時に、あえて抽象的な、ニュアンスのある、
雰囲気のみを手段とした方が、本当のことが伝わることがある。

それは、すごく感じます。



すっかり御無沙汰をいたしました。
ブログ、このままやめようかと思いましたが、
なんだか言葉があふれてきたので、やっぱり続けることにします。

7月から社会人に復帰し、普通に働いています。
初夏と思っていたら、あっという間に秋。
すでに年末が見えているような今日この頃。

2年間慣れ親しんだ概念、観念、抽象の世界から
明快、正確、理路整然としろ、といわれる世界へ
帰ってきたというよりは、また会っちゃった感じ

なんといってもボキャブラリーが違います。
あたりまえなんだけど、やっぱり大事なことだと。
今、自分がどんな言葉を使っているのか、を自覚すること。
理路整然とした言葉は便利だけど、何も語れないことがあり、
抽象的なことばは何も伝えられないことがある

使い分ける、ということではなくて、
自覚する、ということ。

学生をして得られたものは、「基盤」だったように思う
立たされている場所、立ちたい場所、立つべき場所、
が少し見えたような。





ガマをいけました
Saishoku  ==彩色==-ggg

ガマの葉はこんなかんじで、長いので
重みで垂れ下がります。

ガマをもって葉をどうやって垂らそうか考えていた時に、
先をちょっと切ったら、重みが無くなって、
茎に沿った直線がでました


Saishoku  ==彩色==-eee

これは、家でいけなおしたので、教室でいけたものとは違うけど、
葉の表情で、ガマの印象が全然変わるのが面白いな、と。

葉を切ったことで、ガマの良いところがなくなったと、
先生には怒られました。

でも、私は、葉を切った、コンパクトなガマが好きで、
結構気に入っています。


川村記念美術館@佐倉
ずっと行きたかった美術館にやっと行けました。
佐倉の駅からバスで30分
たんぼが広がるのどかな風景に包まれます

見に行ったのはマーク・ロスコ
2時間はたっぷり過ごせました
なぜか、音楽を描こうとしたのだと 感じました

美術館の周りの散策路は、濃い緑で山奥にきたようでした

Saishoku  ==彩色==-lll
そういう時期のようで小説ばっかり読んでいます。

昔読んだはずの『ダンス・ダンス・ダンス』村上春樹。
内容を忘れていたというのもあるけど、全然ちがう印象。
主人公が34歳 : 同じ歳
社会と調和できない : 今の私と同じ
高度資本主義社会に批判的 : 同感

当たり前のことなのですが、
自分の状況とか経験によって読み出せることって全く違う。
こんなことが書いてあった本なんだと、発見した気分。
昔は羊男を自分の中で図像化しようとして、うまくできなかった記憶しかない。

吉本ばななもしっくりくる時期のようです。
空気感とか、雰囲気とか、手触り感とか、人から受ける印象とか、
感覚としてはあるけど、言葉にはできないから人とは共有できないものを
文章にするのが天才的にうまい。
そんなことは周知の事実なんだろうけど、
初めて実感。

だから、自分が良いと思った本を人に紹介したり、共有したりするのって
難しいなぁ、と思う。
人によって読み出すことが違うから。
きっと、ビジネス書もおなじ。
自分と違うステージ(経験値)にいる人の本から読み出せるのは、
自分の経験の範囲のみ。

でも、だからこそ読む意味があるのかもしれないし。
その違いが多様で多い本が、良い本だということにもなるんだろうし。

読み返したい、と思う本に人生でどれぐらい出会えるんだろう。
久しぶりにバレエにいきました。
ザハーロワのすべて@東京文化会館
スヴェトラーナ・ザハーロワというロシアのトップバレリーナの公演なのですが、
なぜかeplusで値を下げており、それなら、と。

私が見たかったのは、「Revelation」という演目。
以前、平山素子さんが踊るのを見て、すごくよかったから。
でも、ザハーロワさんが踊るってあまりイメージができず、どんなものかと。

バレエに詳しいわけじゃありませんが、
ザハーロワさんの踊りは本当に正統派というイメージ。
最後のドン・キホーテは、完成度高すぎ、完璧っという感じ。
1つ1つの動きがぴしっときまって、見せ場できっちり停止する。
美しく魅せる、ことを知り尽くしている感じ。

平山素子さんは、コンテンポラリーダンサー
「Revelation」は平山さんが振付もした作品だし、比較するのはどうかと思うけど、
やっぱり平山さんの舞台のほうがよかった。

何が違うのかを考えた時、思いついたのは
歌舞伎と現代劇
歌舞伎も型があって、見せ場がある。
ツウはそこで「 ・・・・屋」と声をかけるあの間合い。
そんな型と間合いがしみついてしまっているのがザハーロワさん。
どの演目でも、完璧な形を見せてくれる。
でも、それがしっくりこないものもある。

現代劇でセリフや空間や空気感で何かを伝えようとしている時、
型はちょっとじゃまになる
そんな感じ。

クラッシクもコンテンポラリーも違和感なく表現する、
シルヴィー・ギエムってやっぱりすごいんだなぁ、と思った。



人間にはたいしたことはできないのだ、
とは昔から言われていることだと思うけど
不思議な実感をもってそう思う。

高層マンションとか
脳の解明とか
数字のシュミレーションとか

「ねじ伏せる」ことに慣れているのかもしれない

技術を駆使して高い建物を作って、
人間の体を解明して
未来を予測する

宗教を持ち出さなくても、
何かを、自然を、時の流れを
ねじ伏せようとしているのは人間だ

出来ると思ったらやってみたい、作ってみたいのは
抑えがたい好奇心だし、
出来ることならやってもらいたいのも人間の素直な欲望

その折り合いをつけるのは
何百年も前から難しいのだといわれ続けている

ねじ伏せない、
ってどうしたらできるのだろう


Saishoku  ==彩色==-lll
Saishoku  ==彩色==-kss

よく咲いているバラと
今年買ったやまあじさいです。小さいけど花がつきました