ことば | Saishoku==彩色==

Saishoku==彩色==

今を見つめたい 今日この頃

人が話している姿をじーっとみることが多くなり
物を読む時も内容よりも、トーンが気になったり
人の「印象」が以前よりも強く刻まれたり

内容とか、筋が通っているとか、分かりやすいとか、
そいういうことより気になることが自分にはあって
それをじーっと見ているんだと最近気づいた

その人は何をいおうとしているのかは、
発言内容だけではなく、態度や誰かの発言に対して
リアクションした時に一番あらわれ、
重要なシグナルは必ずしも記録には残されない、
もっと空気に近いところにある

「言語のマチエールが奪われている」

ビジネスの場面では特に顕著なのかもしれないし、
マチエールで表すことや、それを読み取るような余裕がないのも
また事実である

「平面的、即物的、金属的な言葉の氾濫」

勉強をしていて仕事場に戻って強く感じたこと。
言葉は平坦で、その意味についてあまり考える間もなく、次に進んでいく。
それは言葉というよりも記号として用いられている

「解決したら何か付加価値がつくこと」

そういう問いを見つけることが大切、といわれて、
自分は解決できそうもない問題を考えることに関心があるのだと気づく

人間がずーっと考えてきても答えが出ない問題で、
少なくとも私なんかには絶対わからない問題
そいういう問題は考えることに意味があって、
解決しようとすることにはそんなに重要ではない

「手触り。言葉では説明できない手触りとしかいいようがないもの」

マークロスコの絵について高村薫さんがしているコメント
まさに、手触り。それを表現しようとする人に魅かれる
それは言葉では説明できないし、説明できるたぐいのものではなく、
各人の五感と身体で感じるもの

マチエールのある言葉
身体性や五感で感じる何か

気になるものはそれなのかもしれない