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「WHIRLWIND!BRAVES」試合結果

■「WHIRLWIND!BRAVES」

11月4日(土)東京都板橋区・高島平区民館ホール(18時試合開始)
観衆176名

 

▼メインイベント 「15YEARS AFTER REUNION」シングルマッチ60分1本勝負

○超人勇者Gヴァリオン(6分9秒 リングアウト勝ち)宇和野貴史●

※再試合

○超人勇者Gヴァリオン(15分29秒 銀光の魂)宇和野貴史●

▼セミファイナル タッグマッチ30分1本勝負

YUJI KITO&○HIRO KONDO(16分27秒 腕サソリ式エビ固め)コスモ☆ソルジャー&エル・ブレイブ●

▼第3試合 6人タッグマッチ30分1本勝負

○新井健一郎&翔太&矢野啓太(17分57秒 横入り式エビ固め)松田慶三&梅沢菊次郎&佐藤泰●

▼第2試合 タッグマッチ30分1本勝負

○高井憲吾&小仲=ペールワン(10分43秒 ホフラリアット→片エビ固め)豊田博&豊浦雄基●

▼第1試合 シングルマッチ15分1本勝負

○EXヴァリオン(9分20秒 EXヴァリオスプラッシュ→片エビ固め)霧島隼斗●

 

ご来場誠にありがとうございました!

自分と宇和野の心の小宇宙(コスモ)②

前回の続きです。
 
違和感を感じたままメシを食べに行くと、やっぱり皆様子がおかしい。何か静かで神妙と言いますか。
 
そこで言われたのは
 
「長州力さんが新団体を旗揚げする事になり、谷津さん、高智さん、宇和野さんが入団する」
 
というモノでした。
 
ビックリすると同時に、楽しかった道場での青春時代が終わる感じがして物凄く悲しかったです。
 
その後の2002年10月の道場マッチで宇和野さんと最後のシングルマッチを行い(上の画像です)、その時に
 
「お互い道は違っても、いつかまたリングで会おう」
 
と話しました。
 
翌11月の道場マッチに高智さん、宇和野さんが来場してWJに入団した事を報告。
 
先々月の2017年9月に一緒に練習するまで、直接会ったのはこの時が最後でした。
 
それからはテレビで彼の試合を見ていたのですが、自分が思っていた事は当時宇和野さんの試合を観ていた方々と同じだと思います。
 
「つまらなそうに試合をしてるな」
 
と思っていました。
 
たまに電話で話はしていたのですが、やがて彼が引退を決めた時も、自分も精神的に落ちていた時期だったので、会う事はなく電話で会話をしただけでした。
 
それからはほとんど連絡を取らず、今年の春ぐらいからまた電話で話をするようになりました。
 
その中で、彼がプロレスに対して完全燃焼できていない事はアリアリとわかりました。
 
でも、復帰をする意志が全く無い事も伝わってきました。
 
前回の谷津さんもそうなんですが、自分は燃え尽きていて復帰の意志がない人を無理矢理リングに上げる気は毛頭ありません。
 
谷津さんも宇和野さんも、話をしている内に試合をする気持ちが高まっているのを感じた上で改めて正式にオファーを出しました。
 
今回の宇和野さんは、谷津さんがBRAVESに上がったのもキッカケになり、最終的には彼の方から
 
「一発だけ復帰して試合をしたい」
 
と言ってくれました。
 
15年越しの約束の試合です。
 
たくさんの人には届かないかもしれないけど、自分にとってはプロレスラーとしての集大成であり、運命の試合です。
 
インディーズの選手は自分からは言わない人が多いのですが、自分はインディーズのカテゴリーしか経験していないし、身体も技術もまだまだ一流ではありません。大した大舞台も経験もしてません。自覚しています。
 
それでも、尊敬できる師匠、先輩方から教わったプロ意識を持って、やる事はやってきているつもりです。
 
ナメられないモノは持っているつもりだし、自分なりのやり方でプロレスを観た事がない方々に、プロレスの凄さや楽しさを伝えられている自信はあります。
 
彼はブレイクできなかったとはいえ、自分が見たことがない景色、大会場での試合、メジャーと呼ばれるカテゴリーの選手との対戦を経験しています。
 
この差は大きいです。羨ましいし悔しい。
 
メジャーとインディーの差がないなんて、ただの言い訳です。
 
選手の意識、身体作り、身体能力、お客様との距離・・・色々差や違いはあります。
 
それでも自分は、自分なりのインディーズの意地をぶつけたいと思います。
 
差や違いがあるのを認めた上でブチかましてやりたいです。
 
ベストを尽くした上で、彼を叩き潰したいと思います。
 
彼も今回の復帰にあたり、IWAジャパンの浅野社長、谷津さん、引退時のプロダクションの師匠の方に挨拶を済ませました。
 
まだまだお世話になった方はたくさんいて御挨拶できていない方もおり、申し訳ないですが、彼は彼で相当な覚悟や勇気を持って前に進んだと思います。
 
コスチュームや入場テーマ曲も初心に返って、昔の物にしてくるようです。
 
自分は今回の試合
 
「15年越しの約束果たせて良い試合ができて良かったねえ」
 
で終わらすつもりは更々ありません。
 
叩き潰して、プロレスに未練がないよう今回で成仏させてやりたいと思っています。
 
最高の試合をしますので、11月4日(土)はBRAVES高島平大会に是非ご来場下さい。

自分と宇和野の心の小宇宙(コスモ)①


11月4日の試合では、宇和野さんと試合をします。

自分にとっては同期であり、戦友であり友人でもあります。

今回は自分と宇和野さんの話です。

長文乱文熱苦しい話になりますが、ご了承下さいm(__)m。

・・・

自分が宇和野さんの事を知ったのは1998年の年末、練習生としてSPWF道場に入った頃でした。

一緒に道場に住んでいて、自分達のコーチでもあったマグニチュード岸和田さん(当時は別のマスクマンをされていました)、高智政光さんから

「IWAに宇和野っていう良い新人がいて今度デビューする」

と聞かされた時でした。

その後、雑誌で彼のデビュー戦の写真を見て

「あ~、スキンヘッドでガタイが良くて怖そうだ」

という印象を持ちました。

それから8ヶ月後ぐらいの1999年8月に自分はデビュー、彼と初めて会ったのは2000年6月、自分が初めてIWAジャパンさんに出場した時でした。

初対面の印象は

「うわっ、大人しい人だ」

自分も宇和野さんも、所属団体に同期がおらず、年齢が同じ、お互い大人しい(と思う)事もあり、すぐに意気投合しました。

IWAさんの巡業にはSPWFから高智さん、自分、クマ(猪熊)が参加していて、宇和野さんは自分達と一緒に行動してメシを食べたりしていました。

この当たりはトップの谷津さん(当時は大嫌いだったけど、昔から人当たりは良いし、若手に威張り散らす事はありませんでした)、先輩の高智さんから来る、SPWFの雰囲気の良い社風が彼に会ったんだと思います。

ちなみにSPWFの社風の最たるモノは

「業界の噂話や悪口をほとんど言わない」

事です。

本音を言うと、業界の小さな話題にみんな興味がなかっただけだと思いますが(笑)。

みんなであまりプロレスの映像を見た記憶がない。

オリエンタルプロレス、新格闘プロレス、PWCの映像は見てた気がする。

話を戻します。

自分達と行動していて宇和野さんの話を聞いていると、道場を持たないIWAさんでの練習環境に悩んでいるようでした。

彼は元々、大人しい性格が試合に出てしまっていて、当時試合ではことさらハートの弱さを露呈していました。

コンディション不足から来る自信の無さが試合に出ていました。

その話を高智さんから谷津さんにすると

「だったら道場に住めゃいいじゃないか」

という感じで、彼はIWAさんの所属ながらSPWF道場に入寮しました。

大きなフロアにざっくりと仕切りがある道場で彼は自分と同じ部屋に。

向かいにはこちらもIWAさんの練習生で入寮してきた岸勝也君(初代EXヴァリオン)。

宇和野さんとの同部屋生活は最初は楽しかったのですが、大人しいけど喋り好きな彼は・・・喋る喋る!

途中で寝たフリをしてフェードアウトする岸君。

けど、そんなこんなで練習や試合の話、それぞれの団体での悩み、恋愛の話など、当時の歳相応の青春時代を過ごしました。

同世代が多く、理不尽な上下関係がないSPWF道場での彼は楽しそうで(ちゃんこはあまりうまくなかったけど)、コンディションも上がり試合も良くなっていました。

IWAさんの北海道巡業、寿都町でやった自分と宇和野さんのシングルマッチを見ていたタイガー・ジェット・シンに

「グッドマッチ!」

と言われたのは嬉しかったです。

その後、IWAさんのビッグマッチ、代々木大会で彼はタッグ王者に。

次の後楽園大会ではNOAHさんの杉浦選手と2度目のシングルマッチを行いました。

自分はその日、北海道での試合からそのまま後楽園ホールへ入り試合、その後朝イチで再び北海道へ戻る・・・というスケジュールでした。

宿は浅草に取ってもらっていました。

「早くホテル帰って寝たい」

と思っていたら

道場に帰るハズの高智さん、宇和野さん、クマに

「メシを食べに行こう」

と言われました。

「ん?いつもこのタイミングならそんな事言わないのに」

と、違和感を感じたのでした。

次回へ続きます。