自分と宇和野の心の小宇宙(コスモ)① | ドリームシフト

自分と宇和野の心の小宇宙(コスモ)①


11月4日の試合では、宇和野さんと試合をします。

自分にとっては同期であり、戦友であり友人でもあります。

今回は自分と宇和野さんの話です。

長文乱文熱苦しい話になりますが、ご了承下さいm(__)m。

・・・

自分が宇和野さんの事を知ったのは1998年の年末、練習生としてSPWF道場に入った頃でした。

一緒に道場に住んでいて、自分達のコーチでもあったマグニチュード岸和田さん(当時は別のマスクマンをされていました)、高智政光さんから

「IWAに宇和野っていう良い新人がいて今度デビューする」

と聞かされた時でした。

その後、雑誌で彼のデビュー戦の写真を見て

「あ~、スキンヘッドでガタイが良くて怖そうだ」

という印象を持ちました。

それから8ヶ月後ぐらいの1999年8月に自分はデビュー、彼と初めて会ったのは2000年6月、自分が初めてIWAジャパンさんに出場した時でした。

初対面の印象は

「うわっ、大人しい人だ」

自分も宇和野さんも、所属団体に同期がおらず、年齢が同じ、お互い大人しい(と思う)事もあり、すぐに意気投合しました。

IWAさんの巡業にはSPWFから高智さん、自分、クマ(猪熊)が参加していて、宇和野さんは自分達と一緒に行動してメシを食べたりしていました。

この当たりはトップの谷津さん(当時は大嫌いだったけど、昔から人当たりは良いし、若手に威張り散らす事はありませんでした)、先輩の高智さんから来る、SPWFの雰囲気の良い社風が彼に会ったんだと思います。

ちなみにSPWFの社風の最たるモノは

「業界の噂話や悪口をほとんど言わない」

事です。

本音を言うと、業界の小さな話題にみんな興味がなかっただけだと思いますが(笑)。

みんなであまりプロレスの映像を見た記憶がない。

オリエンタルプロレス、新格闘プロレス、PWCの映像は見てた気がする。

話を戻します。

自分達と行動していて宇和野さんの話を聞いていると、道場を持たないIWAさんでの練習環境に悩んでいるようでした。

彼は元々、大人しい性格が試合に出てしまっていて、当時試合ではことさらハートの弱さを露呈していました。

コンディション不足から来る自信の無さが試合に出ていました。

その話を高智さんから谷津さんにすると

「だったら道場に住めゃいいじゃないか」

という感じで、彼はIWAさんの所属ながらSPWF道場に入寮しました。

大きなフロアにざっくりと仕切りがある道場で彼は自分と同じ部屋に。

向かいにはこちらもIWAさんの練習生で入寮してきた岸勝也君(初代EXヴァリオン)。

宇和野さんとの同部屋生活は最初は楽しかったのですが、大人しいけど喋り好きな彼は・・・喋る喋る!

途中で寝たフリをしてフェードアウトする岸君。

けど、そんなこんなで練習や試合の話、それぞれの団体での悩み、恋愛の話など、当時の歳相応の青春時代を過ごしました。

同世代が多く、理不尽な上下関係がないSPWF道場での彼は楽しそうで(ちゃんこはあまりうまくなかったけど)、コンディションも上がり試合も良くなっていました。

IWAさんの北海道巡業、寿都町でやった自分と宇和野さんのシングルマッチを見ていたタイガー・ジェット・シンに

「グッドマッチ!」

と言われたのは嬉しかったです。

その後、IWAさんのビッグマッチ、代々木大会で彼はタッグ王者に。

次の後楽園大会ではNOAHさんの杉浦選手と2度目のシングルマッチを行いました。

自分はその日、北海道での試合からそのまま後楽園ホールへ入り試合、その後朝イチで再び北海道へ戻る・・・というスケジュールでした。

宿は浅草に取ってもらっていました。

「早くホテル帰って寝たい」

と思っていたら

道場に帰るハズの高智さん、宇和野さん、クマに

「メシを食べに行こう」

と言われました。

「ん?いつもこのタイミングならそんな事言わないのに」

と、違和感を感じたのでした。

次回へ続きます。