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HIV陽性を宣告されて。

2009年に初夏、B型肝炎で入院しました。
退院直前に医師に告げられたのは、HIV陽性で有ること。

その時の心境や、これから先どうして行こうか。
そんなことをつらつら書いていこうかなと思います。

退院してからも、肝炎の状態から、まだ安静にしている必要があった。
家に居ても、横になってテレビを見ているか、ネットをしているくらいしか
できなかった。入院よりはましだけど・・・


インターネットって、使い方がいろいろあると思うんだけど
誰かとどこかに出かけたり、何か食べに行く時とかに、調べ物をするのに便利。
けど、動けない今、そういう使い方は一切できないから、
掲示板見たり、SNSで日記見たりくらいしかできなかった。


肝炎っていう病気、HIV感染の事実が後ろめたいことから、
SNSにすら、コメントを残したり、人の日記を見るのも辛くなった。
積極的に誰かとコミュニケーションとるのが億劫になって、
どんどん意欲がしぼんでいった。



まだ大事な人に、あのことを伝えていない。
調べてもらわなくちゃ。


考えて 考えて 考えて


その人と自分の関係が白紙、もしくは傷がつくものになっても仕方ない。
そういう状況に、自分から飛び込んだんだ。
けど、相手の健康を初めとしたいろんなものを奪う可能性を、
知ってて伝えずに、あとで知って悲しむ方が辛い。



週末、電話をかけた。
電話で、こんなにドキドキするのはいつぶりだろう。




 実は、退院直前に医師に告げられたんだけど、HIV陽性反応がでた。
 感染の事実が覆ることはなく、確実に感染している。
 
 
 あなたとは性交渉があったから、検査に行って。
 週末に、そちらの家の近くで、無料で検査できる施設があるから。
 
 
 こんなことになったから、これから先、関係を切られても仕方ないし、
 あなたの望むようにするから。


電話口で話している途中に、涙が出てきた。
相手は、意外と落ち着いていた。
慰めるような言葉に、さらに泣けてきた。


自分が感染を告げられたときには、動揺はしたけど泣かなかった。
自分が、全部悪いんだもの。
けど、相手に移しているかもしれないという罪悪感と心配から、
泣かずにいられなかった。


今に至るまで、最初で最後の涙だ。いまのところ。


その人が落ち着いてる理由は2つあった。
身近に、すでに感染者が複数人いること、
その一人が、俺と知り合う前に付き合っていた相方がそうであったこと。


もちろん、その人は陰性であったらしい。
ウィンドウピリオドの時期を考えるとちょっと微妙だけど、
検査に行って欲しいと伝えた。


こんな時だけど、自分がいま一番信頼する相手があなただということ、
付き合いたいとか言わないけど、ずっと離れたくないって、
初詣でも祈ったことを伝えた。


「まぁ俺もそんな感じだから」と言ってくれた。


検査に行ってもらう約束をして、電話を切った。

ほんと、俺ってずるい。
結局、自分が楽になりたかっただけなのかもしれない。
実際、胸のつかえや重みが、ほとんど無くなっていた。







新宿の病院に向かった。
梅雨に入る前だったけど、雨が降っては止むような天気で、
入院後の衰弱したからだに、堪える蒸し暑さだった。


受付から案内されたのは、感染症外来だった。
担当医はまずは外来専門で、しばらくしてから
専門の担当医に引き継がれるらしい。


初診の質問で、普通聞かれないと思うような質問をされた。
同性間での性交渉があるのか、性交渉は不特定多数だったのか、
それはどんな場所(環境)だったのかなどを質問された。


同性間、不特定多数の環境であったことを告げると、
「それは、いわゆる"ハッテン場"ですか?」と聞かれた。
そうですと答えたけど、ちょっとドキッとした。
同性間の感染率が高いこともあって、患者が多いんだろうと納得した。


初診のため、いろいろな検査をしなければならなかった。
身長、体重、聴力、視力などの健康診断での項目はもちろん、
心電図や胸部レントゲンなどの検査も行った。


なにより嫌なのは、採血だ。
自分は、採血がすごくすごく嫌いなのだ。
血液に関わる話もダメで、自分の血が注射針を伝って
どんどん溜まっていく光景など、視界に入れることができない。


初回ということもあって、血液を多めに採らなければならなかった。
採血担当の看護師が、技術慣れしていなかったのか、
何度針を差してもうまく採血できなくて、
針を取り終わることには、腕が痛くて曲げたくなかった。
(こうして書いているだけでもゾクゾクします。。。)


HIV感染も心配だけど、肝炎の症状が良くならない限り、
職場復帰や横になる生活から抜け出せないため、
早く良くなるようにと祈っていた。


血液検査の結果、肝臓の値は依然、余談を許さないという。
HIVに関する検査結果は、後日の通院時にということになった。


担当医と別に、事務的なことを担当する人を案内された。
その人と話をし、その日は病院をあとにした。







自宅療養が始まった。
早く回復して、仕事に復帰しなくちゃ・・・。


退院時に、退院療養計画書というものが発行された。

(退院後の治療計画)
 専門医療機関での治療が望ましいと思われます。

(退院後の療養上の注意事項)

  • 血液、分泌物が付着したものは、石鹸を用いて流水でよく洗い流す。洗浄が十分にできない物は焼却処分することが望ましく、ゴミ集積場所に出す場合には、ビニール袋などでしっかり包む。

  • 傷や月経時の出血は、なるべく自分で処理する。周囲を汚染した場合は次亜塩素酸ナトリウム(ハイターなど)を希釈したもので汚染部位を拭く。

  • かみそり、歯ブラシ、タオル等の血液の付きやすい日用品は他の人と共有しない。髭剃りは電動のものを使い、専用のものとすることが望ましい。

  • 食器は専用とする必要がない。

  • 性生活では、相手への感染防止のために体液は直接触れないように注意すること。コンドームの使用は感染の予防に有効である。


(抜粋)


こんな注意事項の一つでも、非感染者との線引きをされているんだ、って
意識されられる。


PCを久しぶりに立ち上げた。
入院中、携帯電話で調べ物をしてたけど、
やはりちゃんと調べ物をするのであれば、
PCでないと駄目だ。


まずは、肝炎のことについて調べてみた。
肝炎のウィルスは、HIVに比べて感染力が強く、
HIVは空気中では感染力が弱くなるが、肝炎のウィルスは
例えば、血液が物に付着したとして、それが完全に乾燥しても
ウィルスはまだ生き残っているという。


上に書いた注意事項も、肝炎ウィルスの感染力を懸念してのことだろう。


次に、HIVのことについて調べた。
いままで、気になってはいたものの、HIVの情報について書かれた記事や情報には目を伏せてきた。
感染恐怖があって、それをまじまじ見ると、ますます不安になるからだ。
とかく、この病気に関しては不安を煽る情報が多い。


HIVマップ」を見つけた。
飲み屋でよく見かける冊子で見たことがあった。
ちゃんと読むのは初めてだった。


「HIV/エイズガイド」というコンテンツを読んだ。
たまに読む雑誌で見たことのある漫画の作者の絵。
ここでは、ウィルスについて、感染したらどうなるのか、
感染してどのように医療を受けるのか、社会制度などについて
まとめられていた。


読み終えて、圧迫されていた胸が少し楽になった気がした。
どうなるんだろう、と思っていた金銭的な問題は、
いざとなったら障害者手帳や医療費助成で援助されることがわかり、
これから待ち受けることについてもまとめられていた。


食えなくなることはない。
あとは。。。


まだ、大事な人に告げられそうになかった。
告げたら失う、と思うことが辛かった。


もっと大事なこと、
その人の健康について、深く考える余裕はなかった。


次の日、紹介状を持って、新宿の病院に向かった。







次の日の目覚めは、相当悪かった。
睡眠剤が効いていたから、途中で目覚めることはなかったけど、
起きてから体温を測るも面倒で、
出された朝食には手をつけずに、配膳台に戻した。


少し寝て、午前中に退院の準備を始めた。
隣のベットのおじさんと、少し話したことがある。
前の仕事と同じような職種だったので、話が盛り上がったのだけど、
その人は肺がんを宣告されて、定期的な入院をしなければならないらしい。
自分も、不治のウイルスに感染しちゃった、なんていうこともできず、
何も告げずに退院してしまった。


10日間の入院だった。


入院も自分で、退院も自分ですべてこなした。
電話もしたのに、父親は見舞いに来ることはなかった。
母親と兄弟が一度見舞いに来たけど、
こちらから電話して、必要なものをもってきてもらう
という口実があったから、だった。
問題なくこなしたのだから、別にいいけど。


帰り道、梅雨に入りかけの東京で、蒸し暑くて仕方なかった。
やっと開放されたのだからと、病食でない食事を摂ろうと思ったのだけど、
思うように食欲が湧かなかった。
こどものころから言われてたけど、食べないと良くならないと
自分に言い聞かせて、定食屋でご飯を食べた。


電車の待ち時間、毎度のことながら遅延していて、
蒸し暑いホームでうなだれていた。
こんなときにも、俺を苛立たせるんだな。
こんなとき?それは俺自身の問題で、他の人には関係なかった。


家に帰ってくると、電気式の芳香剤の匂いがすごく鼻について、
窓を全開放するとともに、電源を落とした。
着替えてベッドの上に乗ると、やっと落ち着いた。
こんな狭い部屋でも、なんだかんだで我が家なんだなぁって。
待つ人がいるわけでもないけど、自分だけの空間だ。
テレビも、金を払うことなく見放題だ。
独特の匂いのしていた病院には、二度と戻りたくない。







肝炎は、肝臓自体に痛みを感じるわけではないので、
入院生活は苦しくなかった。
唯一言うならば、病食が美味しくなくて、
コンビニで買ってきたふりかけとか調味料でごまかそうとしたけど、
退院直前は出された食事を半分以上残す始末。
これにも自分は金出さないといけないんだよな。。。


経済的な不安があることは、入院時から担当医に伝えていて、
出れるようであれば早く退院したいと思っていたので、
その旨を相談。「それでは、早く退院できるようにしましょう。」
と言われ、やっと家に帰れると喜んだ矢先。


「入院時に行った検査の結果がやっと出たので、こちらでお話しましょう」と、
別室に案内された。看護師さんも入ってこないように言われて、
自分と担当医の二人きりの部屋になった。


  あ、そういうことなんだ


瞬間気づいたけど、はっきり言われないとわからない。
考えが頭を渦巻く前に、担当医は続けた。


「この前の検査の結果ですが、残念ですが、HIVが陽性という結果が出ました。」


聞いた瞬間、気分が悪くなって、頭を机につけた。
脈が早くなって、急に汗が吹き出して、息が早くなった。


担当医が一瞬慌てて、ベッドに戻るか聞かれたけど、
戻ってもあとで詳しく聞かなければいけない状況は変わらないと思って、
居眠りをする学生のような体勢になりながらも、続けてもらった。


言われたのは、擬陽性の疑いもあったので、しっかりとした検査をしたが
やはり陽性だったこと、決まりですでに保健所に届けていること、
今の病院では専門的な治療はできないから、専門外来にかかることを勧める旨。


病院はどこがいいですか、と聞かれ、職場が新宿を経由するから
新宿の病院がいいと言ったら、そこ向けに紹介状を書きますと言われた。
明日の午前中に、退院できるように事務に伝えておきますと言われ、
話は終わった。


ベットに戻り、天井を見上げた。
頭は真っ白だった。言葉は出てこなくて、しばらくぼうっとしていた。


時間がしばらく経つと、これからどうなるんだろうと思った。
ちゃんと調べたことはないけど、薬だけで月数十万かかると聞いたことがある。
そんなの払ってたら、生活できねぇ。
借金まみれになって、破産しなくちゃいけなくなって、
破産したら借金できなくなるから、薬も買えなくなって、、、


そうしたらどうしよう。死ぬのを待つか、自分で断つかだ。


今付き合いかけているような兄貴にも、感染の事実を伝えなくちゃ。
これで、もう会えなくなるんだ。


それ以上は考えたくなくて、急に眠くなって。。。


起きたのは消灯前。
このまま、また朝まで寝る自信が、寝付く自信がなかったので、
看護師さんに頼んで、睡眠剤を処方してもらった。
薬をのむと、強い酒を飲んだみたく眠くなって、
その眠気に全身を任せた。