過去を振り返って 退院 | HIV陽性を宣告されて。

HIV陽性を宣告されて。

2009年に初夏、B型肝炎で入院しました。
退院直前に医師に告げられたのは、HIV陽性で有ること。

その時の心境や、これから先どうして行こうか。
そんなことをつらつら書いていこうかなと思います。

次の日の目覚めは、相当悪かった。
睡眠剤が効いていたから、途中で目覚めることはなかったけど、
起きてから体温を測るも面倒で、
出された朝食には手をつけずに、配膳台に戻した。


少し寝て、午前中に退院の準備を始めた。
隣のベットのおじさんと、少し話したことがある。
前の仕事と同じような職種だったので、話が盛り上がったのだけど、
その人は肺がんを宣告されて、定期的な入院をしなければならないらしい。
自分も、不治のウイルスに感染しちゃった、なんていうこともできず、
何も告げずに退院してしまった。


10日間の入院だった。


入院も自分で、退院も自分ですべてこなした。
電話もしたのに、父親は見舞いに来ることはなかった。
母親と兄弟が一度見舞いに来たけど、
こちらから電話して、必要なものをもってきてもらう
という口実があったから、だった。
問題なくこなしたのだから、別にいいけど。


帰り道、梅雨に入りかけの東京で、蒸し暑くて仕方なかった。
やっと開放されたのだからと、病食でない食事を摂ろうと思ったのだけど、
思うように食欲が湧かなかった。
こどものころから言われてたけど、食べないと良くならないと
自分に言い聞かせて、定食屋でご飯を食べた。


電車の待ち時間、毎度のことながら遅延していて、
蒸し暑いホームでうなだれていた。
こんなときにも、俺を苛立たせるんだな。
こんなとき?それは俺自身の問題で、他の人には関係なかった。


家に帰ってくると、電気式の芳香剤の匂いがすごく鼻について、
窓を全開放するとともに、電源を落とした。
着替えてベッドの上に乗ると、やっと落ち着いた。
こんな狭い部屋でも、なんだかんだで我が家なんだなぁって。
待つ人がいるわけでもないけど、自分だけの空間だ。
テレビも、金を払うことなく見放題だ。
独特の匂いのしていた病院には、二度と戻りたくない。