今日も花曇り -6ページ目

今日も花曇り

読んだ本や考えたこと、仕事について。

最近、アマプラで『蟲師』というアニメ(原作は漆原友紀のコミック)を、寝る前に1話ずつ観ています。

というのも、YouTubeでこんな動画を見つけて

 

 

私も好きなスピッツの『ガーベラ』が主題歌なら、アニメも観てみようと思ったのです。

前知識なしで観はじめたのですが、思いがけず素晴らしいアニメで、毎回感心しながら観ています(いま1期の17話)。

 

ただ・・・

OPもEDも、歌がスピッツじゃないんですけど・・はてなマーク

 

おかしいと思って改めて動画のコメント読んでいたら、私がアニメのOPかEDと思い込んでみていた動画は、誰かが『ガーベラ』と『蟲師』を組み合わせて作ったオリジナル動画だったんですね。

MADというのが二次創作を意味する語だとも知りませんでしたあせる

 

でも、『蟲師』の雰囲気に『ガーベラ』があまりにぴったり合っていて、こちらが本家と言われても納得するくらい。

動画作者の方のセンスに感心します。


特に、闇の中に棲む「ギンコ」という光の龍のような巨大な蟲が遠ざかっていくシーンをアウトロに当てたのは、すごくいいと思いました。

『ガーベラ』は具体的な解釈をするのが難しい歌詞ですが、これも闇の中で命に触れる感じが『蟲師』の世界に合っていると思います。

 

『蟲師』は、普通の人間の目には見えない、動物でも植物でもない「蟲」と呼ばれる生命体がいて、それが人間に様々な影響を与えているという世界観です。

その「蟲」を見ることができ、対処法を知る特殊な職能が「蟲師」と呼ばれています。

その「蟲」と「蟲師」の描き方がとても奥行きがあって、印象的なのです。

 

「蟲」といっても蝶やセミのようないわゆる虫の姿をしているわけではなく、一見植物のようだったり、時には影、光、闇のような、不定形なものだったりします。

病気だったり、自然災害だったり、人間の生活に影響を与える出来事が、実は人間には見えない生命の活動によるものだったのでは・・・。

『蟲師』はそんな世界です。

 

舞台もほとんどが山奥の山村や海辺の村などで、時代も、作者によれば「鎖国を続けた日本」もしくは「江戸期と明治期の間にある架空の時代」という設定らしい。

民話や「日本昔話」に出てくる不思議な出来事を「蟲」による現象と置き換えた、といえばイメージに近いかもしれません。

 

一話完結の形式なのですが、どの回も静かな語りの中で、別れのつらさや自然に対する人間の無力さなどを感じさせるもので、余韻があります。

日本の自然の美しさや寂しさを描く美術も素晴らしいと思います。

 

道具立ては『呪術回戦』や『もののけ姫』にも少し似ていますが、そうした「戦い」の物語にしなかったところに、作者の特質を感じます。

きっと、穏やかで優しい方なんだろうなと、勝手に思っています。

 

昨日の参院選、参政党の躍進で気持ちが暗くなっていたところにこんな記事が。

 

 

そうだったんですか!

全然知らなかった・・・。

やっぱり『楓』を愛する人はたくさんいるのですね。

 

 

 

 

 

自分にとっても『楓』はスピッツの中でも特に好きな曲のひとつで、スピッツを聴き出したきっかけの曲。

 

 

今でも、「ああ 君の声を・・・」と投げかけられたままフェードアウトするこの曲の終わり方は、スピッツの曲の中でも本当に好きです。

 

それだけに、ちょっと不安が・・・

監督が行定勲さんということですが、私が観たことのある行定監督の作品は『世界の中心で愛を叫ぶ』と『ナラタージュ』なのですが、どちらもあんまりというより、ちょっと生理的に無理、という感じだったのですよね💦

特に『ナラタージュ』はひどかった・・・。

大丈夫かなあ。

 

もちろん映画と曲は別物なのですが、せっかくなら、映画を観た人が新たにスピッツのファンになってくれたら嬉しい。

だから、どうか映画もいい映画になりますように。

 

 

今週末に参院選があります。

最近、参政党の支持率が全体で2位とか3位とかの報道に接しました。

参政党のことをあまり知らなかったので「そんなに支持があるのか」と驚きました。

 

支持を集める理由が知りたいと思い、参政党のウェブサイトにある政策の説明を読みました。

 

 

そして、とても多くの疑問や懸念を感じました。

 

普段、政治のことはほとんど書かないのですが、書くなら選挙前でなければ意味がないと思い、書いてみます。

なお、引用した文章は掲載されている文言そのままです。

 

参政党は3つの重点政策として

1.教育・人づくり
2.食と健康・環境保全
3.国のまもり

をあげています。

 

例えば1の説明の一部として、次の文章があります。

 

「かつて教えられていた日本の国の成り立ちや偉人の功績が十分に教えられず、日本は悪いことをした国だと教える教育が続いた」

 

いわゆる自虐史観をやめよと。

具体的にはたぶん、第二次世界大戦での軍国主義をいうのでしょう。

私はまず、ここでつまずいてしまいます。

 

私たち一般人の多くは、日本がなぜあんな愚行を犯したのか、歴史を知らず、まともに考えもしていないと、私自身は思っています。

自虐どころか、あれは軍の暴走が原因で国民は被害者だった、くらいの意識が近いのではないか。

 

その意味で私は、自分たちの戦争についての認識は、自虐にすら届いていない不十分なものだと思っています。

それに、歴史をきちんと知ること自体は、決して「自虐」ではありません。

 

教育の具体的な方針の一部としては、以下が書かれています。

 

<推進する主な教育内容>
・神話など祖先からの繋がりや為政者が民の幸福を願う国柄のあり方を学ぶ教育。

・祖先からの家族のつながりを考え、社会形成の中心としての家族の重要性を理解し、家族愛を育む教育。

 

これは、具体的に何を教えようというものなのか?

「為政者が民の幸福を願う国柄のあり方を学ぶ」とは、いったい何のことなのか?

意味がわからなすぎて、率直に言って気味が悪いと感じました。

 

「家族愛を育む教育」とは、何を教えるというのか?

愛情は、教育により育めるものなのか。

 

少子化対策としては

 

・社会進出一辺倒ではなく、お母さんや専業主婦は女性に与えられた大切な選択肢であることの理解を推進する(女性活躍推進法に専業主婦支援を追加)。

・3年間はしっかり育児に専念すること(長期育児休業)を奨励し、補正した女性就業率を再評価する(育児休業中の人は非就業としてカウント等、M字カーブの推奨・再定義)。

 

まるで、少子化は女性の考え方に問題があるかのような書き方で、悪い意味で衝撃を受けました。

もちろん出産や育児は、これ以上ないほど大切な行為です。他人の生命を引き受けるのですから。

でも、3年間も仕事をしないで子どもに付きっきりになることが、いろんな意味で、必ずしもいいとは私は思いません。

 

育児は苦しいし、ものすごく大変なこともある。

その中で、仕事をすることで社会とつながれる部分もあるし、経済的にも働く必要がある場合が多いです。

それを無職で安心して暮らせるほどの保障をこれから日本がしていけるとは、到底思えない。

 

労働力も必要です。働き盛りの人間が育児で3年間も完全に仕事から離れるなら、その分の労働力を何とかしなければなりません

この点、例えば今は多くの外国人も単純労働を担ってくれていますが、参政党は「非熟練及び単純労働者の受入人数を制限」することを主張しています。

 

環境保護政策は、

 

日本特有の自然生態系を維持し、貴重な遺伝子資源を守る

行き過ぎた人間の多様性(ダイバーシティ)推進よりも、まず「生物多様性」を守っていく。特に、花粉媒介者(ポリネーター)としての昆虫保護、昆虫の生育環境を包括的に保護する法律、行動計画は整備が必要である。

 

これも、非常に驚きました。

ダイバーシティの問題と生態系における多様性保護は、全く別の問題です。

それを無理やり逆説するという明らかな不合理を、公にしてはばからない。

仮にそれは措くとしても、ならぱ人間も生態系の一部なのだから、ダイバーシティは推進されるのではないのか。

そして、何故その文脈で、いきなり花粉媒介者を持ち出すのか?

いったい何の議論をしたいのかすら、全くわかりません。

 

また、エネルギー問題については、

 

・パリ協定の離脱により炭素目標を撤回し、メガソーラー等コストの高い電源開発推進は即刻中止し企業の脱炭素投資を見直す。
・未だ科学的な議論の余地がある地球温暖化問題や、カーボンニュートラルの必要性の是非を判断するための、偏りのないエビデンスに基づく科学的な検証を実施する。

 

日本も大きく貢献した「京都議定書」の後を継いだのが「パリ協定」なのに、それを自ら棄てるというのでしょうか、環境問題における日本の国際的なプレゼンスを放棄するのでしょうか?

 

影響力の大きな国でパリ協定に参加していない(正確には離脱を通告した)のはアメリカだけです。

そのアメリカは、第一次トランプ政権で離脱、次のバイデン政権で復帰、第二次トランプ政権で再び離脱を宣言しました。

するとトランプ後、もし民主党政権となったら、改めてパリ協定に復帰するかもしれません。

日本が離脱した後にそんなことになれば、日本は国際的に完全に孤立します。

そのときは、ジャイアンの後ろにくっついていくスネ夫のように、日本も再加盟するというのでしょうか?考えられません。

 

与野党が対立のまま国会で議決または審議できない法案を、政府または衆参各院3分の1以上の要求があれば国民投票を実施し、その結果を斟酌した上で国会での採決を義務化(政府・国会要求型国民投票)。

 

 SNSやネット情報で、さしたる根拠もなく浮動票が雪崩のように動く現状を目にすると、恐ろしくて、日本国民にそんな判断は任せられないと感じます。

 

特に外交のような問題については、私たちは全く経験と知識がないため、現実には判断能力はないと思います。

自国の歴史すらまともに知らないのに、外国の政治や歴史、地理、宗教等を踏まえて外交方針を判断できる国民なんて、どれほどいるでしょうか・・・。

 

・・・と、

いろいろ書いてしまいましたが、実は、私は参政党自体を批判する気持ちは、あまりありません。

どんな主張であっても、結社の自由、言論の自由は、それこそ憲法が保障する大切な権利です。

既存政党に頼るのではなく、自分たちで何とかするという行動力も、傍観者としてしかいられなかった自分を省みれば、素直にすごいと思う。

 

でも、投票する人は、上で書いたような問題点を知らずに、もしも「日本人ファースト」というキャッチフレーズになんとなく共感し、票を投じようとするのなら、参政党の主張は本当に日本をよい方向に向かわせる内容なのか、どうかよく考えてほしいと思いました。