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今日も花曇り

読んだ本や考えたこと、仕事について。

私は本が好きです。そして書評を読むのも好きです。

他の表現手段についてもそうです。

音楽や映画が好きで、その批評を読むのも、やはり好きなのです。

 

他の人はどんなふうに感じたのか、知ることができるのはおもしろい。

何より、自分より鋭敏な感覚でとらえられたものが、自分より真実味のある言葉で表現されているのを読むことが嬉しい。

自分の感覚が押し広げられる気持ちがします。

 

私は評論から作品に入ることも少なくありません。

例えばショパンやモーツァルトはそこまで好きではなかったのですが、遠山一行氏の『ショパン』や、小林秀雄氏の『モオツァルト』を読んで、改めて作品を聴いてみようと思い、そこからその作曲家がとても好きになりました。

(評論でイメージができてしまってから作品に接するのは危険でもあるとは思うのですが・・・。)

 

そんなわけで書評が読みたいのですが、よい書評に出会うことは結構難しい。

 

レビューサイトには膨大な感想が投稿されています。

でも投稿者はやはり素人なので、レビュアー自身の言葉が未熟だったり、独りよがりだったりして、読んでもかえって不満がたまることも多いです。

中には素晴らしいレビューもあるのでしょうが、レビューの数が多い本の場合、砂浜に埋められた宝石を探すようなものです。

 

プロの書評としては新聞や雑誌に載るものもありますが、紹介や解説に重心が置かれるうえ、分量にも制限があるため、やっぱり物足りない。

私は解説や分析というより、読み手がその作品とどんな対話をしたのか、どんな変化を促されたのかを知りたいのですが、そこを正面にした書評は多くないと感じます。

いわゆる評論家の、「作品をダシに自分のすごさを他人に知らしめたい」書評は、とてもニガテです。

 

何かいい方法ないのでしょうかね・・・。

 

今まで読んだ評論で、「自分もこんなふうに作品に向き合えたらいいのに」と心を動かされたのは、本についてだと『式子内親王・永福門院』(竹西寛子著)、『詩歌の待ち伏せ』(北村薫著)、『打ちのめされるようなすごい本』(米原万里著)などです。

 

こうしてみると結局、よい書評を読むには、そのためにまた別の本を読まないといけないようですあせる

 

夏以降、アトピーというか、体調が全体的にいいです。

例年、気温が下がり始めると途端に悪化することが多いのに、この季節に調子がいいのはとても珍しい。


なぜなのか自分でもよくわからないのですが・・・


夏以降やり始めたのは、毎朝の(本気の)ラジオ体操と、(続けるのがイヤにならないくらいの)軽度の筋トレ。

あとは引き続き、深い呼吸と正しい姿勢。


でもそれだけでそんなに変わるのか?

仕事はかなり忙しく、十分休息できているというわけでもないのに・・・。


夏に通い始めた整体と皮膚科も、一ヶ月前に体調崩して予約キャンセルしてから行っていないのですが、行かないからといって悪化するのでもなく。

よくわかりません。


ひとつ感じるのは、アトピーがひどいときは、それ自体がものすごいストレスになって自律神経がおかしくなること。

これがいったん解消されると、眠りやすくなり、元気があるので活動的になり、生活上のストレスも減る、という好循環が生まれるようです。


とにかく私は冬から春にかけてがアトピーの本番なので、引き続き気をつけようと思います。

今さらですが、いろんなものが値上がりしていて財布が軽いです。

 

先日、近所のスーパーに行ったらトマト1個が248円で、さすがにびっくりしました。

別に何か高級なトマトではなく、ふっつーのバラ売りトマトです。

でも最寄駅のビルに入っている高級スーパーでは小さなトマトが1個300円で、さらに驚き・・・。

 

リンゴ1個も、安さで有名な某スーパーでさえ238円くらいりんご

 

数年前までトマトやリンゴは1個だいたい100円くらいじゃなかったですか?

もう、倍以上。

お米も少し落ち着いたとはいえ、それでも以前の倍くらい。

おそろしい。

 

職場の近くの大戸屋もどんどん価格が上がり、おいしくて野菜がたくさん食べられるお気に入りだった「チキンかあさん煮定食」が990円!もう1000円目前ガーン

そして、独り身でおいしい魚を食べられる貴重なメニューだった「さばの炭火焼き定食」が、とうとう1000円を超えてしまいました。

「しまほっけの炭火焼き定食」はだいぶ前から1000円を超えてしまっていて、さば定食が頼みの綱だったのに・・。

もうおいそれと食べられないうお座

1000円以下で食べられるメニューは数えるほどになってしまいました。

 

少し前にこんな記事を書いたのですが

 

 

日本全体が貧しくなったかはわかりませんが、自分の家計は確実に苦しくなりました。

空前の賃上げムードですが、パーセントではなく〇割で上がっている物価には全然追いついていない気がします。

 

でも・・・

 

考えてみれば当たり前ですよね。

働き手は減り、特に一次産業で減れば、構造的に食品は値上がりする。

モノづくりの現場から遠く離れているはずの都会で、モノがこんなに安く買えるのがおかしいのかもしれません。

一方で技術やサービスはどんどん進化し、そこに社会全体のコストがかかってしまう。

スマホは食べられないし、AIは着られないのに、社会は莫大なコストを投入する。

 

衣料品などは国産を手にすることすらほとんどない状態ですが、外国製品が安いのはその国の物価水準が低いから。

その国が日本の水準に追い付いてくれば、価格も上がる。

そうした国は単に時間的にスタートが日本より遅かっただけで、日本はその時間差をたまたま利用できたため、モノの豊かさを享受できたのかもしれません。