書評を読みたい | 今日も花曇り

今日も花曇り

読んだ本や考えたこと、仕事について。

私は本が好きです。そして書評を読むのも好きです。

他の表現手段についてもそうです。

音楽や映画が好きで、その批評を読むのも、やはり好きなのです。

 

他の人はどんなふうに感じたのか、知ることができるのはおもしろい。

何より、自分より鋭敏な感覚でとらえられたものが、自分より真実味のある言葉で表現されているのを読むことが嬉しい。

自分の感覚が押し広げられる気持ちがします。

 

私は評論から作品に入ることも少なくありません。

例えばショパンやモーツァルトはそこまで好きではなかったのですが、遠山一行氏の『ショパン』や、小林秀雄氏の『モオツァルト』を読んで、改めて作品を聴いてみようと思い、そこからその作曲家がとても好きになりました。

(評論でイメージができてしまってから作品に接するのは危険でもあるとは思うのですが・・・。)

 

そんなわけで書評が読みたいのですが、よい書評に出会うことは結構難しい。

 

レビューサイトには膨大な感想が投稿されています。

でも投稿者はやはり素人なので、レビュアー自身の言葉が未熟だったり、独りよがりだったりして、読んでもかえって不満がたまることも多いです。

中には素晴らしいレビューもあるのでしょうが、レビューの数が多い本の場合、砂浜に埋められた宝石を探すようなものです。

 

プロの書評としては新聞や雑誌に載るものもありますが、紹介や解説に重心が置かれるうえ、分量にも制限があるため、やっぱり物足りない。

私は解説や分析というより、読み手がその作品とどんな対話をしたのか、どんな変化を促されたのかを知りたいのですが、そこを正面にした書評は多くないと感じます。

いわゆる評論家の、「作品をダシに自分のすごさを他人に知らしめたい」書評は、とてもニガテです。

 

何かいい方法ないのでしょうかね・・・。

 

今まで読んだ評論で、「自分もこんなふうに作品に向き合えたらいいのに」と心を動かされたのは、本についてだと『式子内親王・永福門院』(竹西寛子著)、『詩歌の待ち伏せ』(北村薫著)、『打ちのめされるようなすごい本』(米原万里著)などです。

 

こうしてみると結局、よい書評を読むには、そのためにまた別の本を読まないといけないようですあせる