恥の感覚と父を思い出した話 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ



たった100ページそこらの本を読むのに1ヶ月以上かかってしまった。

そして、そこから分かるように大部分を今でも理解できていない。

本当に難しい本だった。

数ページ読んでは数日手が止まっていた。

何故こうなったかの答えは簡単で、

俺が理解すべき本だったからだろう。

言い替えると、俺の知らない世界(理解していない)を書いた本である。

そもそも依存症の奥深い部分を書いた本なので、依存症である俺が一発で理解できる筈がないのである。

俺はこれが理解できないから依存症になったのである。



いやぁ、本当に全く分からん。

勿論、今から2周目に入るのだが、

しかし、ひとつ感じたのは、やはり例えばアルコール依存症だとしたら、

“アルコール”

または、

“飲むこと”

ではなく、その奥の心理的な部分が依存症の本質なのだということを再確認出来た。

断酒12年目に入り、自助グループや専門病院等での活動も長くなってきた俺だけど、

今とても感じるのは、恨みの感情がこんなにも自分を破壊して、周りも酷く巻き込み、病んだ原因ということだ。

それは勿論父も歩んだ道であり、その周りで酷く巻き込まれたのが俺であったわけだが、

この本で更に奥深く気づかされたのがタイトルでもある“恥や罪の感覚”も俺の依存症に強く影響していたと言うことだった。

このブログのタイトル“ひきこもりお遍路へゆく”にもあるように、

俺は恥や罪の感覚に耐えられなかったから、ひきこもりという他人と関わりの無い世界を選び、その孤独や不安をアルコールや薬物で癒そうとした。

今なら“弱かった”と受け入れられるが、幼い頃から虐待や拷問を受け、強い(暴力的に)男で無くてはならないと父から刷り込まれた俺にとって、その弱さは直視出来ないものであり、否認するしかなかった。

そして、その否認を誤魔化すために子供や嫁の前では威張り散らし、時には暴力すら奮った。



恨みの感覚を紐解いて行くと(俺の場合、両親と兄)、

だったら、とか、こうであったならばといった“たられば”が見つかった。

更にこの“たられば”を紐解いて行くと、恥の経験(今現在)を否定するような感じがする。

親が虐待をしなければ、俺は精神を病まずマトモな人生を歩めて人並みに生きれていたはずだと。

マトモや、人並みという言葉からも解るように、俺は周りと自分を照らし合わせ、その差に恥を感じていたわけだ。

それを経験したからこそ“普通”に生きていたら恐らく経験できなかったであろう出版や講演などがあったと言うのに、無い物ねだりの人間の欲である。



今、これを書きながら思い出したことがある。

俺が幼い頃から感じていた2つの恥の記憶についてだ。



ひとつは、父からの暴力についてである。

父は大勢の見ている前でも、よく俺を罵倒して殴っていた。

俺は殴られる痛みとか怖さよりも、周りの人の目を気にしていたと思う。

本当に物凄く恥ずかしい経験であり、俺の精神的な部分(尊厳)は、物理的な暴力よりも酷いダメージを今でも残している。

そして、毎日、それも数回に分けて家のなかでも殴られていた俺は、躊躇の無い父の暴力によって頻繁に顔が腫れ上がり、紫色に変色していた。

その顔で幼稚園や小学校、中学校へ通う気持ちがどんなものだったかは想像に容易いことだろう。

俺だって何度か恋をしたが、その相手にこの顔を見られたときの恥ずかしさと言ったら……、

もし交際に至ってなければ、叶ったはずの恋愛も…、と言った他人から拒絶される感覚。



2つ目は、

父を他人に見られることがとても恥ずかしかった。

勿論、父の酒を見られることも凄く嫌だった。

俺に酷いことをしながらも父は頻繁に学校に顔を出す人間で、片っ端からPTAなど役員を引き受ける人だった。

その父は母と10歳以上離れていたし、アルコールを飲む人なので物凄く老けていたし、服装もいつもパジャマのようなジャージを着て現れていた。

そんな父が何処にいても大声で俺の名前を呼ぶ。

『やめて…、呼ばないで…』と感じていたのを今でも覚えている。

酒乱だった父は毎月何度もあった父兄の集まりで酒によるトラブルを起こしていて、顔を腫らして帰ってきたり、変なところで寝ていたり、

俺が4歳頃まで“えびの市”に住んでいた頃までは自衛隊の宴会で上司に掴みかかっているシーンなどを迎えに行ったり、宴会に連れていかれた先で何度か嫌な父を目撃していた。

矛盾するように父は俺のこと(父にとっては長男)を「貴公子だ」と色んな場に連れていき自慢していた。

それだけ俺は父と過ごす時間が長くして、恥の場も、暴力の経験も非常に多く味わってきた。

確かに思春期までの俺にとって父は恥だった。




父の酒乱や虐待は一度脇に置いといて、自分の過ちに目を向けると申し訳なかったと思う反面、

完璧になれない人間の宿命もそうだが、幼かった俺の不足もしょうがなく、御互いにあの時はああするしかなかったのだろう。

父との埋め合わせもまだ必要だと感じる。



今、意識していた訳ではないが依存症の回復過程に入って俺はいつの間にか恥の感覚から大分癒されている。

この場で書いていることもそう、他人なら恥と思うことを俺は恥だとは思っていない。

ひとつは、本当に他人(の目)という存在が俺のなかで重要で無くなったこと、

もうひとつはあれ程悩み苦しんだ劣等感ともコンプレックスともいうものが癒され、自尊心が人並みに、もしかすると人一倍図太く成長(肥大)したからだろう。



そして、もしかするとこの本に書いてあったように、

恥の感覚は人からもたらされるものではなく自分の内に生じていたものであり、

それが人に癒されることを自助グループや精神科の診察、カウンセリングのなかで感じ取ったからなのかもしれない。

人間は頻繁に本来とは真逆の行動を選ぶというミスをするようだ。

株式投資の話になるが、恐れている時(下落局面)に売り、調子に乗っているとき(上昇局面)に買うといった、

本来は下落している時に買い、上がった時に売るのが理想(だけど恐怖を伴う)なものとは真逆の行動を取る(取らないといけない)ように、

恥とは本来、他人からもたらされるものではなく、むしろ他人に話すことによって癒して貰うものなのだ。

限界まで隠し遠し、いよいよ世間にバレた時、

「なんだ早く言ってくれれば良かったのに…、うちも一緒だよ!」と、こんな話はよく聞く話で、

この状況を想像しただけで「なんだ、そうだったの…」と心が楽になるのは俺だけだろうか?

と、本日もキリがなくウダウダと書いてしまった。

書いた文章を見直せばあれもこれもと次々話が浮かんできて長くなる悪い癖。

これもまた才能なのか、

そして恐らくこれが才能だとすれば、自分に閉じ籠った経験により与えて貰ったもの。

人と上手に話せない、接することが出ない寂しさを埋めたのはアルコールや薬、暴力と行ったりネガティブだけではなく、

書く、読む、考えると言ったポジティブも与えてくれたと感じる。

全てのものは表裏一体だと感じている。

長所は間違いなく短所であり、

短所は間違いなく長所だ。

金も時間も物体も失えば必ず何かを得るし、

何かを得るということは必ず何かを失っている。

ピンチはチャンスだし、

幸せということは、まだ落ちる場所があると言うこと。

だから今苦しんでいる人に言いたいことは、

恐れず人生の底を待って欲しい。

俺は逮捕され、牢屋に入った瞬間に『やっと人生の底に辿り着けた』と安堵し、

そこから安心して人生を登り始めたのだ。

一応、その日から離婚や精神病院に幽閉されたりしたが、不思議と落ちていない。

当然苦しかったが、離婚や精神病院幽閉で得たものの方が大きかったというわけだ。