写真は吉ヶ原駅駅舎を斜めアングルで。
かつてどの駅にもあった、手荷物小荷物取扱所。
石造りのラッチ(改札口)。
登録有形文化財指定のプレートが外壁に。
最後に明るくなったところで、キハ702をパチリ。
 
 
午前10時半を回り、バスの出発時刻が迫ってきました。バス停の名は吉ヶ原駅。
狭い駅前広場にバスが折り返す様子は、現役の駅さながらです。
 
駅舎の中は時が止まったような空間でした
その静かで薄暗い空間の中にいると、時が経つのをわすれてしまいそうです。
 
かつては鉱山のお膝元として栄えた街、吉ヶ原。駅もまた、鉱山と共に栄え寂れていきました。
広い事務所スペースを見るに、駅員と乗客が数多行き交う姿が目に浮かびます。
 
とんがり屋根の外観は細かく見ると、なかなか凝った意匠が見られます。これも鉱石輸送の功績でしょう!?
 
これまでの曇り空から少し日が照ってきました。
最後に、ホームに出てキハ702の勇姿をカメラに収めてきました。光線の具合よく、8時台に撮影したときよりいい画になりました
私的にはコイツがここのエース格、かな
(≧∇≦)
 
バスがやってきます。津山から乗ったバスと同じ車両、同じ運転手さん。
再び水かさの増した吉井川をさかのぼって、津山に戻りました
 
今度は展示運転の時に訪れたい、吉ヶ原です
o(^-^)o
 
 
 
 
 
写真は柵原鉱山記念館正面。
片上鉄道保存会のグッズ。クリアファイルとキーホルダー。
同じくクリアファイルと黄鉄鉱(右上の石)。
 
 
吉ヶ原駅跡のすぐそばにある、鉱山資料館。柵原は黄鉄鉱(硫化鉄鉱)という耳慣れない鉱石の産地でした。
 
黄鉄鉱は硫黄と鉄を含有しており、化学肥料や酸化鉄の原料として知られています。
重要な鉱石だそうですが、石炭や石灰石と違い、見た目は単なる石です。ただ比重が重く、手のひらサイズの写真の黄鉄鉱でもかなりずっしりします。
 
展示は、柵原の歴史や昔の街並みの再現、採掘の様子など。
その一角に、片上鉄道のコーナーがあります。もちろん私の主な目当てはここです。
残念ながら撮影は許可制、自由に撮影は出来ません。なので館内の様子はアップ出来ませんが、当時の写真や時刻表、行先表示板などが展示されています。
 
一通り館内を見て回ると、バスの出発まであと20分を切りました。エントランスには片上鉄道保存会関連のグッズが販売されていましたので、買い込みます。
 
クリアファイルはご覧の通り、ファンにはたまらない写真です♪
キーホルダーは柱の駅名標風、裏面は駅長ネコ「コトラ」が「ここにはなあんにもないがあるんやで」とのフレーズをつぶやく構図。
 
ん、この台詞、どこかで聞いた覚えが…
 
ちなみに、黄鉄鉱も資料館で500円にて購入したものです。決して盗掘ではありません、念のため
m(_ _)m
 
 
 
 
 
写真は新「柵原口」駅舎とホーム。
駅舎を正面から。
 
延伸部分の先端部分。どうやらこの辺りで終わりのようです。
路盤跡は更に北へと続きます。
 
新「柵原口」はずいぶんと立派なホームと駅舎が用意されていました。
もうすっかり完成しており、いつでも使用可能な状態です。それに対し、線路はまだもう少し時間が掛かりそうな気配です。
 
月に一度の、ボランティア団体による展示運転のために、なぜこんな立派な施設が造られたのか!?
謎ですなぁ
地元自治体が、観光資源として活用するために、経営に乗り出すのか?
 
ちなみに柵原口をカッコ書きにしたのは、駅名がどこにも記されていなかったから。一体どのように活用されるのか、楽しみでもあります
 
線路はここでおしまいです。
しかしこの先も、終点だった柵原方面への路盤は残されていました。
道を横切り、路盤の上を更に200mほど前進
しかし、鉱山住宅が並ぶ一角で藪に阻まれ、あえなく断念です廃線跡巡りは無理をしないのが鉄則ですから。
 
小さな谷合に入ってゆくところ。この先に旧柵原鉱山があります。脇の道から柵原鉱山方面に向かいましたが、途中で立ち入り禁止の表示を見て引き返します。
 
今来た道を急いで戻る途中、真新しい建物の脇を抜けます。吉ヶ原小学校です。
 
てっきり高齢者福祉施設と思ってましたから、ちょっと意外。最近ローカル線の車窓から見える真新しい立派な建物は、たいてい老人ホームなんです。
地方の高齢化の進行を見せつけられる思いです。
 
しかしここには体育館もあり、紛れもなく小学校。後で分かったことですが、付近の小学校の統廃合で出来たとのこと。
きっとスクールバスで遠方から子供たちが集まって来るんだろうな。
 
さて、吉ヶ原に戻った私は、次なる目的地へ。たっぷり2時間半時間をとりましたが、案外忙しいですな~
(≧∇≦)